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「自分のためだけに死ぬかもしれない戦場で戦える人間なんていない。誰でも、自分以外にも守りたいものがあるから、戦場に立つんだ。レオナス……お前は、『トリガー』の力で戦いの栄光を掴もうと思ったんだろうけど、逆だ。たったひとりのお前は、痛みを伴う戦場にはもう立てない」

「……」

「これが最後の忠告だ。もうこの世界に足を踏み入れるな。あっちの世界で、命のやりとりが起こらない状況で、自分の生き方を貫けばいいだろ。俺も弱肉強食の原理を否定する気はない。お前はそれに正しい心で従えばいいんだ。勉強とか、運動とか、そういうことで」

「……とどめだ」

「……なに?」

「なんでとどめを刺さねえ?」

「……わかってるだろ。その状態でHPがなくなったら、俺たちは多分、本当に死ぬ。脳が死を認識すれば、あっちの世界でポッドに寝たままの体もそれに従う」

「ここで殺さなかったら後悔するぜ。オレはまだまだ食い足りねえ。だからこの世界を諦めねえ。ここはオレの居場所だ。食い殺した獅堂京也の居場所はあっちかもしれねェが、レオナスはここで生まれた。ここがオレのホームだ」

「……っ」

「どうした、英雄サマ? 悪魔が死に体で目の前にいるんだぜ? きちんと射ち倒すのが役目だろ」

「……俺は……」


 右手に持つ光の剣を強く握りしめた。

 こいつの言葉には嘘がない。やると言ったらやる。それはさっきから、痛いほど実感している事実だ。

 多分ここでこいつを見逃せば、多くの人を不幸にする。召喚者やネイティブに関わらずだ。

 こいつにそんな区別はないのは、もう十分にわかってきた。


 レオナスは、召喚者のなかでも稀有な一握りの思考の持ち主だった。

 ネイティブを本当に命のある存在だと心から思っている。

 俺と同じ考えの持ち主だ。

 ……なのに、なんで、


「なんで……そういう考えができるのに……ネイティブを人間だと思ってるのに……簡単に命を奪うことができるんだ」


 彼はその問いかけに、馬鹿を見るような瞳を向けて答えた。


「人間だからだろうが」


 短くそう告げたあと、理解できずに憔然とする俺にひとつ溜め息をついてから、奴は言葉を続けた。


「ただのNPCならここまで固執しねえ。本当に生きた人間だから、そこに溜め込んだ物に価値があるんだ。オレは自分の人生を充実させるためにそれを利用し続けるだけだ。良い思いしてる奴なら誰でもやってることだ。こっちの世界でも、あっちの世界でもな」


 それに反応したのは、俺ではなく後ろに控えていた白爺だった。


『だから貴様は、奴も利用したのか』

「奴?」

『ミノタウロスだ』

「ああ……そうだな、その通りだ。だけどあいつはオレの経験値になれて文句はねえと思うぜ。なんせ自分もいままで、同じような生き方をしてきたんだからな」

『……あいつは確かに碌でもない奴だった。我輩たちを人として見ることはなかったし、魔物に堕ちてからはこの最下層に篭り、それきりだった。我輩は奴に引導を渡しにここまで来たのだ。永遠に続く神の束縛から、解放してやろうと思ってな』


 大きなトロールの体から、無念の思いが滲み出すかのような声音だった。

 確かに白爺とミノタウロスは、良い出会いをしなかったかもしれない。

 利用する者とされる者、それが互いを表すのに最適な言葉かもしれない。


 けれど二千年前、まだ神が人間たちと日常的に接触していた時代。

 彼らは確かにいっときだけ、同じ時を過ごした。

 そのときの思い出に決着をつけるためにも、彼はここに来たんだ。


 ……その結果が、ただの経験値として食われて終わったあの様だった。

 行き場のない思いが、この巨躯ですら狭いというように白爺のなかで渦を巻いている気がした。


「そりゃあご苦労なこったな」


 レオナスは、ただ平然とそう応えた。

 奴だってミノタウロスにここまで導かれた身で、少なからず恩はあるはずなのに。


 俺はこのとき、本当に心の底から冷気が込み上げてくるのを感じた。

 いままで接してきた人間と彼とは、明らかになにかが違った。

 最低限、根底に同じものがあるからわかり合える。そう確信させていたものが、目の前に佇む男からはなにひとつ感じられなかった。


 人という存在にうっかり絶望してしまいそうなほど、奴は隔絶している。

 なんでこの世界の神は、こいつに『トリガー』なんてものを授けたんだろうか。


 気づけば、呆然と立ち尽くす俺の前に白爺が立っていた。

 明らかな怒気を孕んで、いまにも握りつぶしてしまおうかというような様相で。


『あいつと我輩は別に仲間という訳ではなかったが……それでも、いまの言葉は聞き捨てならんぞ。ラビが殺せんというのなら、我輩が代わりに貴様を殺してやろうか』


 その怒りの声に、こっちまでぞっとなった。

 レオナスはぼんやりと白爺と、その周りの宙空に目を這わせてから、告げた。


「ああ……丁度いいな」

『なに?』

「丁度、腹が減ってたんだ。この体はとにかく燃費が悪いらしい。だから助かったぜ。食いもんが自分から皿の上に乗ってくれて」


 痛みによっていっとき減耗していた敵意が、再び溢れ出る気配が広がった。

 両膝をついた体勢から急制動をかけ、かぶりを振って立ち上がると、勢いよく前へと躍り出た。

 茂みににかくれたライオンが、獲物を仕留めるために一気にたたみかけるときのような獰猛さで。

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