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「鏡花さん!!」


 アミュレが叫びを上げる。

 その声と同時に、ついにミノタウロスが大槌を下ろした。

 何もかもを終わらせる鉄槌を。


 その時、鏡花はいまにも泣き出しそうな悲痛さが込められたアミュレに声に、独り言のように呟きを返した。


「私はもう、ここまでですわ」


 直後、けたたましい音が儀式の間に響き渡った。

 ミノタウロスの攻撃が鏡花ごと床を砕いた音ではなかった。それは入り口の大扉が、勢いよく開け開かれる音だった。


 一体の白髭を貯えたトロールが、大きく腕を伸ばして扉を全開にし、さらにその後方から、疾風のような何かが通過した。


「『ファイア』――!」


 何かはそう唱えると、炎の弓矢が一直線にミノタウロス目掛けて疾った。

 それは振り下ろした足よりも早くに着弾し、巨人の表皮を焼いた。


 思わず攻撃を止める迷宮の王。

 ダメージは軽微だった。表面の皮膚と毛が、ほんの少し焦げただけに過ぎない。


 しかし王はすぐに目を丸くすることとなった。

 炎の矢が吹き上げた爆炎の向こうから、輝く何かが突如現れたからだ。


『――ッ!』


 その輝きは見たこともない光の刃だった。

 長さは人の身長と同じほどで、太さは一般男性の肩幅ほどあろうか。大剣として括っても大型に属するそれが、突如放たれた炎の向こうから現れたのだ。


 まるで重さなど感じさせない、それ自体が一本の投擲槍のような敏捷さでミノタウロスへ迫る。

 咄嗟に右手を顔の前へ出した。次の瞬間、じゅう、という音とともに肉の焦げる臭いと、そして、


『貴様は……!?』


 その光の刃を携えた、白髪の青年を眼前に捉えた。



  ◇



 白爺が開け放った扉とタイミングを合わせて、俺は杖に魔力を込めて『ファイア』を発動し、撃ち放った。

 儀式の間へ続く最後の長い一本道を駆けているときから、地下空間を揺るがす戦闘音が響き渡っていて、そのおかげで扉を開ける前から大体の相手の位置は予測できた。


 リズレッドが先行したにもかかわらず、戦いがまだ継続している。それは相手がよほどの相手であるということなのだろうか。

 息を呑んで扉の先を改めて凝視すると、そこには確かに、上層で見た巨大な牛頭人体の――元人間の姿があった。


 大足を持ち上げて、何者かを踏みつぶそうとしているところに、射出した『ファイア』が着弾した。

『疾風迅雷』を発動させて脚に力を込めて、そのまま儀式の間へと突入。奴との距離を詰める一瞬の間に、踏み潰されようとしてものが誰なのかを見た。


 最初、それはリズレッドなのかと思った。

 だけどそれはリズレッドよりも背が低く、黄金ではなく黒色の髪をしていた。


 鏡花だった。

 上ではぐれたはずの鏡花がいち早くこの場に駆けつけて、ミノタウロスと対峙してくれていた。

 体中はひどい有様で、HPが尽きてリスタートされるか、強制ログアウトされていないのが不思議なくらいだった。


「――っ」


 ここでなにが起こったのかはわからない。

 けれど、彼女が必死でやろうとしていたことはわかった。


 無意識のうちに、杖から炎を吹き上げていた。

 心と共鳴するようにそれは大きく燃え上がると、杖へと纏い、すぐに一振りの刀身へと姿を固定化させた。


 駆け抜ける慣性力のまま跳躍し、巨人を伐つために光刃を向ける。

 持ち上げたあの足だけは、なにがあっても振り下ろさせる訳にはいかない。


 奴は突然の爆炎になにが起こったのか咄嗟に判断がつかなかったようで、鏡花を踏みつぶそうとした体勢のまま固まっている。

 そこへ真っ直ぐに、疾風の力を借りて突撃する。


 寸前で防御体勢を取ったミノタウロスにより、眼前に巨大な壁が出現した。奴の手のひらだ。

 だが構うことなく俺はそのまま攻撃した。怒りで暴走しているわけじゃない。それはさっき、リズレッドからきつく諭されたばかりだ。


 ただ俺は、あの鏡花が命がけでここまでしてくれたことへの、礼をしたかった。


『貴様は……!?』


 光刃は奴の手のひらを焼き斬り、貫通させた。

 流石にそのまま本体へ攻撃とまではいかなかったが、それで彼女への注意を逸らすには十分だった。


 驚きとともに声を上げるミノタウロスを尻目に、光剣が突き刺さった手のひらを蹴り上げて炎の刀身を引き抜く。

 だん、と勢いよく直下に着地し、すぐ横に倒れこむ鏡花を抱きかかえると、そのまま後ろに後退した。視線はあくまでもミノタウロスに向けたまま、バックステップで距離を取る。


「……あちらに」


 そう言って鏡花が視線だけを向けて、一つの方向を促した。

 相手に注意を向けたままちらりと一瞥すると、そこには良く見知ったローブを羽織った少女の姿があった。


「ありがとう、鏡花」

「……」


 彼女はなにも言わなかった。

 どこかふてくされたような面持ちで、ただ黙り込む。

 その心意がいまの俺には読み取れないけれど、それはあとからいくらでも聞き返すことができる。


「礼なんていいですから、早くアミュレの元へ。彼女は死んだら、もう元には戻らないのですから」

「あ、ああ」


 かと思えば、きつい口調でそう助言してきた。

『疾風迅雷』の効果はまだ継続している。俺は奴の周囲を回り込む形でアミュレへと接近すると、十分に奴と距離が離れていることを確認してから鏡花をそこへ下ろした。


「ラビさん、こんなところまで……」

「遅れて悪かった。あとは、俺がなんとかする」


 ボロボロのアミュレがそう告げて、俺はこちらが悪いような気がして思わずそう口に出した。

 そもそも、あのとき最下層に落ちるアミュレの手を取れていれば、こんな事態にはならなかった。

 パーティのリーダーとして、その責任はきちんと受け止めるべきだ。

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