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「ですが、ミノタウロスのレベルはその……ラビさんを大きく超えています。ここは一度引き返したほうが……」
言いづらそうに切れぎれに告げるアミュレへ、同じくボロボロの鏡花がそっと言い添えた。
「大丈夫ですわアミュレ。ラビなら、きっと」
「……なんか、えらい信用のされ方だな」
「あなたには、あの操り人形の攻撃を読むことは容易いでしょう。私よりももっと、この世界に本当の目を開いているあなたなら」
そこに含まれている意味も、どうしてそう言い切れるのかもわからなかったけど、彼女はただ淡々とそう語った。
水が沸騰するのは百度だ、という当たり前のことを口にするように。
「なんか、変わったな、鏡花」
鏡花が横を向いた。
少しだけ照れたように頬を赤らめて、それからまた口を開いた。
「……それと、リズレッドはあそこですわ。ミノタウロスは契約により彼女には手が出せませんが、流れ弾が被弾する可能性はあります」
「リズレッド……! 本当だ。てっきり儀式を開始してるのかと。じゃああそこで繭を作ってるのは、誰なんだ?」
「あそこにいるのは、レオナスですわ」
「レオナスが? あいつがなんでここに……?」
「……私が、彼を招いたからです」
「鏡花が?」
「……」
押し黙る彼女を見て、アミュレが言葉を差し挟んだ。
「あの、ラビさん。事情は私もわかりません。ですが鏡花さんが命がけで私やリズレッドさんを助けてくれたのは事実です。たとえ無限の命を持っていようと、命は命です。どうか鏡花さんを……」
「わかってる、大丈夫だ。正直色々と訊きたいことはあるけど、本当に訊きたいだけだ。俺も鏡花を信用してる」
そこまで口にしたところで、今度は鏡花が目線をこちらに向けて言った。
「私がこんなことを言うのはおこがましいことを理解してお願いします。どうかリズレッドを助けてください。彼女は、私を助けてくれました。ですが私は彼女を助けられなかった。悔しいですが、あなたしか彼女を救えない」
「当たり前だ。リズレッドは俺のバディで、大切な人だからな」
一体、俺がここに来るまでの間になにがあったのか。
上層で最後に見た彼女とは、本当になにかが変わっていた。決定的ななにかが。
そこへ、巨獣の叫び声が上がった。
『貴様……貴様も、邪魔をするか。同じ現実世界の人間だというのに、どうして儂の邪魔をする! どうしてそんな人形どもに肩入れをする!』
苛立たしさを露わにした叫びだった。
俺は再び杖を握りしめると、炎の刀身を具現化させて向き合った。
「……ミノタウロス、大人しく手を引いて儀式を見守ってくれないか。お前は元人間なんだろ、俺は……たとえ魔物に堕ちたとしても、そんな相手を斬りたくない」
『ハッ! 今更なんの話をしている。人は人を食い物にして生きる生物だ。ここまで足を踏み入れておいて、そんな都合の良い選択を迫ること自体が間違っていると知れ!』
「……そうか。残念だ」
どくん、と心臓が一層大きく脈打った。
元人間。あちらの世界に体はすでになく、こちらの世界に完全に転生を果たした、召喚者の先輩。
それをこれから俺は……。
これから自分がやろうとしていることが、ひどく残酷なことだと理解している。けれどリズレッドやアミュレの命を守るためには、戦わなければいけなかった。
息を呑み、覚悟を決めて一歩を踏み出す。
「俺もお前と同じで……もしかしたら狂っているのかもしれない。だけどいま迷ったら、それが狂っているのかどうかもわからなくなる。だから今は全力で、お前を倒す」
そして、火蓋を切るように一気に前へと駆け出した。
お互いの警戒が最大限に引き上げられて、宙で火花が散るような激しい緊張が走った。
「白爺、ふたりを頼む!」
目線はあくまでもミノタウロスに向けたまま、入り口に立つ白爺へ鏡花とアミュレの保護を頼んだ。
大きな巨人が頷く気配を感じた。
『この後に及んで他人の心配とは――ハハッ! なるほど、あいつがお前を気に食わないと言う理由もわかるな!』
「お前は……なんで、そんな風にしか考えられなかったんだ! お前だってドルイド族と一緒に、この世界で生きてきたんだろう!」
『生きていたのは儂だけだ。他は、全て儂らが調整した擬似人格で動く人形だ。あれらに意思など感じるのだったら、お前はただの馬鹿だ!』
拳を振り上げて殴りかかってくるミノラウロスに、俺は突撃槍のごとく『ストライク・ブレイク』を発動し、攻撃をすり抜けてそのまま胴体へとカウンターを放った。
燃え盛る火焔を刀刃に変えた一撃が、奴の脇腹へと深々と刺さる。
『ギィイイイイイイイ!!?』
「これが痛みだ! ネイティブたちだって、これと同じ苦痛を感じるんだ。なのになんでお前は――」
苦悶に歪むミノタウロスの表情が、その言葉を聞いた瞬間、にたりと笑った。
その笑みがあまりにも恍惚としており、背筋に冷たいものが走るのを感じた。
『そうか……これが痛みか。たしかに、現実世界ではこのような痛みは、感じることができなかったな。なにせこんな傷を追うような事件など、向こうではすっかり規制されてしまっていた』
光刃で脇腹を貫かれたまま、奴は腕を動かし、手のひらを広げて俺へと迫った。
そのまま鷲掴み、握りつぶすつもりだった。
咄嗟にスキルを解除して刀身を消した。
固定するものを失い、浮遊感が生まれた瞬間に奴を蹴り上げて魔の手をすり抜ける。
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