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『子供の駄々も、いい加減飽きたぞ』
そう告げると、沈黙を打ち破るように巨獣が動いた。
唸りでも上げるかのように鼻息を荒く吹き出して突進してくる相手へ、
「私も、大人に振り回されるのはもう飽きましたわ」
言い放ち、同じく前へと駆けた。
左右へとフェイントをかけるでもなく、一旦退くわけでもなく。ただ前へと。
明確な作戦があるわけではなかった。
ただ今まで自分が目を背け続けてきたものに、今度こそ真正面から対峙したいという思いが彼女をそうさせた。
最初に仕掛けたのは鏡花だった。
初動こそ遅れたものの、巨体のミノタウロスでは動作のひとつひとつが大振りになる。それに比べて彼女は小柄で、さらに速度は常人の比ではない。
「――はッ!」
気勢を放ち剣を振るえば、それがたちまち幾重もの剣閃となりミノタウロスを襲った。
『無駄だと言っておろうが!』
だが相手はその攻撃を意に介さず、豪腕をもって叩きつけた。
鏡花はその動作を、振りかぶる初動で感知していた。『鋭化感覚』の力で、彼女の神経は敵の所作をつぶさに知ることができた。
むろん、それだけの集中力を無理やり作り出すことは、ポッドのなかで眠る京花の脳にも多大な疲労を与える。
痛みはないはずなのに、先ほどから疲れが顕著に出始めていた。
『どうした、もう終わりか? 自慢のスピードとやらも、もう出し尽くしたようだな』
「さあ、どうでしょうね」
『……減らず口はまだ残っているか。いいだろう、ならばその全てを奪い取ってやる。儂と同じように、なにもかもな!』
ミノタウロスがそう告げると、背中へと手を回し、備えていた棍棒を勢いよく振りかぶった。
「あら、ずいぶん本気でお相手してくれるのですわね」
鏡花の顔が一層険しさを増した。
いままでのミノタウロスは、すべて力任せの打撃による攻撃のみを行っていた。自分にはその程度で十分という奢りだったのだろうが、それも彼女にとっては大切な勝機のひとつだった。
『お前の速さではこの長物は少々取り回しが悪かったのでな。だがいまなら、そう易々と回避できる状態でもあるまい』
ミノタウロスはおもむろに二メートルはあろうかという鋼鉄の棍棒を水平に横に構えると、そのまま振り抜く。
途端、衝撃の波が真横を通過した。
鏡花の長い黒髪が、その波に煽られてなびいた。
ただの素振りでその威力だった。スキルもなにも発動していないただの一振りだけで、当たればお前などミンチにできるのだということを雄弁に棍棒は語っていた。
巨大な質量を持つ物体を優に扱う筋力を持つミノタウロスが持つことで、これほどまでに変わるものか。
自分がいま装備しているサブの武器でさえ、それほど安値のものではない。店売りの一品だが、品揃えの中では高価なものを選んだ。
だというのにこの剣はあの化物に対して、爪でひっかいた程度のダメージしか負わせることはできない。対してあの棍棒は、ただの鉄塊だ。名工の技も、優れた材質でできたわけでもない。ただ大きいということだけしか取り柄のないものだ。
……だがそれでも、自分を殺すのには十分すぎるほどの威力を持っている。
あれが直撃した際の己を無意識に想像し、鏡花は息を呑んだ。
「せっかく攻撃のリーチが読め始めていましたのに、これでまた降り出しですわね」
『心配するな、これで終わりだ。姑息な労を使うことも、もうない』
ミノタウロスは斬首台に昇る罪人へ最後にかける言葉のように、厳かにそう言い放った。そして棍棒を片手で悠然と持ち上げながら、そのまま鏡花へと突き進む。対する鏡花は、感覚を研ぎ澄ませて相手の一手を知覚する。腕による攻撃範囲に慣れきったいま、ひとつ目算を謝ればそれがそのまま命取りになることを鏡花は理解していた。
しかしミノタウロスは、それをあざ笑うかのようににやりと笑みを浮かべると、
『『偽神の一撃』――!』
スキルを発動させた。
手に持った棍棒に、粘膜のようなどす黒い瘴気が発生する。そしてそのまま、
『これを見て、単純な打撃攻撃が来ると読んだのが貴様の敗因だ』
「――ッ、しま――」
棍棒を鷲掴むと、腰をひねり、槍投げのようにそれを投擲した。
鋭く尖らせた感覚も、足に込めた疾風の機動力も、全ては接近戦を想定して身構えていた。だが相手はそれを逆手に取り、大質量の打撃武器を投擲に使う一手を放ってきた。
当然、まだ距離が空いていた彼女の全身は、想定外の事態に対処が遅れた。
偽神とは名ばかりの、まるで本物の神の一撃を思わせる黒い瘴気を纏った一投が、虚をつかれた鏡花へと牙を向く。
ミノタウロスの膂力ゆえに、棍棒はそれ事態が1トン以上の重量をもっているとはにわかに信じられないほどの速度で射出された。
傍目からは巨獣が構えたかと思ったら、次の瞬間には何かが打ち出されたようにしか見えないだろう。
結果、棍棒は見事に儀式の間の壁面へと強烈な衝突音を響かせながら着弾。古の建造物が耐える術なく吹き飛んだ。
分厚い壁を崩し割り、露出した地表が姿を見せている。
周囲は子供がいたずらで割ったビスケットのようにボロボロになり、ぱらぱらという瓦礫の音と、舞う埃に包まれた。
埃は儀式の間全体に及び、しばらくの間、土とカビの匂いを含んだそれらが視界を完全に覆った。
ミノタウロスはその場に止まり、状況が落ち着くのを待った。
奇襲をかけられる可能性など微塵もないし、もしかけられたとしても対処に遅れることはないという心持ちが見て取れる泰然さで。
数十秒が経ち、ようやく煙の濃度が薄くなってくる。
果たしてそこにいたのは――
「……くっ、う……」
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