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「鏡花――これよりお前を、仲間という認識から外す。それどころかお前は、人から略奪して生きる道を選ぶと私の前で宣言した。騎士としてその蛮行を見過ごすわけにはいかない」


 視界が歪み、いまだ微笑に痺れる右腕に構わず白剣を再度構え直す。

 彼女の胸に去来するのは祖国がまだ繁栄を極め、尊敬する兄とも言える騎士団長と共に戦場を駆った日々。


 リズレッド、お前はきっと特別な才能がある。

 それを磨け。

 悪に同情する優しい気持ちは一旦捨てて、敵対する者すべてに鉄槌を与える正義となれ。

 それが騎士としての誇りで、俺の願いだ。


 誰よりもエルフであることに誇りを持ち、優しさと強さを併せ持った理想の人だった。

 その人が望むのなら、私は、


「――私はこれから、正義をおこなう」



  ◇



「ここが頂上か。ったく、無駄に長え階段昇らせやがって」


 祭壇を上がりきったレオナスが毒づきながら周囲を一瞥する。

 地下深くまで潜ったかと思えば、今度はその逆をさせられたのだ。祭壇はとても高く、まるで天国かどこかへと昇りつめるための階段のようだった。


「――にしても、」


 だというのに、到達した先の風景があまりにも想像とはかけ離れており、彼はしかめっ面を隠そうともしない。


「なんなんだ、この殺風景な場所はよ」


 どんな絢爛豪華な装飾がされているのかと内心期待していたというのに、そこはまるで盗人にでも入られたかのように装飾どころか物のひとつもなく、唯一目を引くところと言えば、階下の通路とは違い、真っ白な化粧石を敷かれた床で構成されているというだけだった。レオナスは頭のなかで、ニュースで見た「物をなにも持たないこと」と主義とする人間の部屋を連想した。必要最低限のものがあれば良いと言い放ち、新築の部屋をそのまま使い続けているかのような殺風景さだった。いや、確かあの部屋には中央に背の低いテーブルがひとつあったか。そう思い起こしてみれば、ここも純白の床石を敷き詰められた一辺十メートルほどの床面の中央に、なにやら祭壇らしきものがあるので、ますます想像の部屋とかぶって見える。


「神様ってのは、清貧ってやつを好むのかねェ。自分は高みから見物する立場のくせに、人間には都合のいいことを押し付けやがって」


 下でリズレッドと鏡花が激しい戦いを繰り広げているのとは裏腹に、レオナスのいつも通りの皮肉と憎しみと、そして気だるさを発散させながらぶらぶらと歩く。

 目指すのは唯一なにもないこの場所で目についた中央祭壇で、天井に備え付けられた一際大きな光石が、そこを神の加護を授けている真っ最中のように灯りを落としていた。


「……なんだ、こりゃあ」


 到達したレオナスは、中央祭壇に収められていたある物を見て眉根を寄せた。

 そこにあったのは一冊の本だった。とても長い間放置されていた様子なのに、どこにも劣化が見られない燻んだ赤の表紙をした分厚い本だ。

 表題もなにも記載されておらず、触るとざらついた革製の上等な作りを示す感覚が返ってきた。


 彼は本を読むことにそれほどの嫌悪感はなかった。知識は人を支配する上でこの上なく役に立つ道具であり、それをどれだけ備えているかが腐肉食いとしての格に繋がるのだということを理解していた。

 だが、それにしても祭壇の本はなにも彼へと語りかけてはこなかった。


 ぱらぱらとページをめくっても一切の文字は書かれておらず、代わりというように、染みのような一本線が何本も引かれているだけだった。滴る液体をそのまま塗りたくって染みになったような、ぶっきらぼうな一本線の数々を見ながら、それがなんなのかをレオナスは不思議と察することができた。


 血だ。


 誰のものなのかはわからないが、本は幾人もの血痕のあとが列をなすだけの、文字という情報を持たないページで埋め尽くされていた。


「まるで呪いの書だな。これが本当に神様のありがたい本なのかよ」


 中央付近から無造作に開いたページがぱらぱらとめくられていく。

 やがて最初のページに戻ってきたとき、レオナスは眉を寄せた。


「なんだ、こりゃあ」


 そのページだけは血の染みのあとはなく、代わりに幾何学模様の紋章のようなものが記されていた。

 染みというにはあまりにも赤々しく、まるでいまさっき記されたような禍々しい雄牛にも見える紋章だ。


「大量の血の跡と、よくわかんねぇ印―――ったく、こんなところで謎解きをする気はねェんだがな」


 意味がわからず、悪態をつく彼がふいに目を下に向ける。

 本が置かれていた土台の裏へ。


 そこには決して風化させぬようになのか、直接石に刻み込まれる形で文字が刻印されていた。

 古代文字のようだが、召喚者に備わった翻訳能力が正しく働き、彼の脳へとその意味を流し込んだ。


「この世界の行く末を決める勇者よ。力を欲するのならば与えよう。神書に己が血を刻め。それが契約の証なり。――か」


 後頭部を掻きながら、彼はしばし考える。


「契約に血を要求するなんて、いよいよもって神様らしくねェな。ま、圧倒的上の立場から下を見下す奴に、そんなもん要求するのが間違ってるって話か」


 考えてもみれば神というのは自分たち『腐肉食い』を究極的に肯定した言い回しであるかのような気がして、レオナスはふふんと鼻を鳴らした。


 力を与える代わりに命の象徴である血を要求するとは、なかなか甘い『腐肉食い』だ。

 オレなら力も与えず命をむしり取る。


 そんな狂った思いから出る歪んだ笑みだった。

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