73

 まだ残る人だった頃の血や肉を返り浴びながらも、それでもせめて、人だった頃の面影があるうちに地に還してやろうと剣を振り続けたエルダー攻略戦。

 きっとリズレッドは、あのときの自分を、巨人に投影している。


「……あいつも、還れるのかな」

『なに?』

「あのトロールでもグールでもない……半人半牛の魔物……ミノタウロスも、リズレッドが儀式を終えたら、天に還ることができるのかな、と思ってさ」

『………………ああ。きっと還るだろうさ』


 そう言ってついに巨人は隣の部屋へと姿を消した。

 声だけが、この四角い部屋に響く。


『外の連中はあと一時間もしたら落ち着くだろう。そうしたら出発だ。儀式の間はここより下の層……古代迷宮最下層の最奥にある。はぐれた仲間も、きっとそこまでの道中で見つかるだろう。各々、身支度と休憩を取っておくとこだ』


 それきり声は止んだ。久々の長話で疲れたのかもしれないな。なにせもう、かなりの年だし。


「……なんだか気軽に受けた迷宮探索が、とんでもないことになってきたな」


 壁にもたれながら、頭の後ろに手をやって隣のリズレッドに言った。

 本当に、エデンへの情報がなにか手に入れば良いとダメ元で受けたクエストだったのに。

 神オーゼンが画策しているらしい人と魔物の戦いを告げられて、人が勝つには力を正しく制御できる『白剣の勇者』――リズレッドが儀式を受ける必要があって。

 その儀式っていうのが、ドルイドのおっさんを魔物に変えてしまった危ない代物で。

 ――だけどそれしか、上級の魔物に勝つ方法がないのも事実で。


「色々なことをいっぺんに知りすぎて、頭が混乱しそうだな」

 

 苦笑まじりにリズレッドが告げてきて、


「俺なんて、とっくにオーバーヒートしてるよ」


 思わず俺も、ため息交じりにそう返した。

 魔王を討ってエデンへとたどり着く。それが俺とリズレッドふたりの契りの誓いだ。

 それを果たすまで止まるつもりはない。

 だけどおっさんの話を聞いて、さらにもうひとつ、俺にはやりたいことができていた。


「神って、どうやったら会えるんだろうな」

「なんだ、まだ気にしているのか」

「リズレッドが言うように、自分に降りかかった火の粉は自分で振り払うべきだ。でもそれでも、俺には神オーゼンが、どうしてわざわざ火の粉を用意したのかを知りたい」


 ――もしかしたらそれは、プレイヤーである俺にも関係のあることかもしれないから。


「君の気持ちは尊重するが、あまり根を詰めすぎないようにな。目下の目標に集中しないと、それすら危うくなる」

「――ああ、そうだな。アミュレと鏡花、ふたりとも早く助けてやらないと」


 彼女からのもっともな指摘を受けて、苦笑で返す。

 頭をぶんぶんと降って情報が錯乱する脳をリセットすると、大きく息を吸って、吐いた。


「とりあえず一旦、向こうの世界に戻るよ。ここに来てから何も食ってないから、そろそろ警告が出そうだ」

「食事を摂るためにわざわざ世界を跨がねばならないとは、君も難儀な男だな」

「まったくだ。『トリガー』を使ったとしても、こればっかりはどうしようもないだろうしなあ」


 そう言って腰に巻いた鞄から、リズレッドの食事を取り出す。

 どこかの未来から来た猫型ロボットが持つ異次元格納機能が備わった神からの贈り物は、こういった食料問題が発生しやすい迷宮探索時に大いに役立つ。

 もっとも、レベルによって持ち運べる総量は決まっているから、無尽蔵に貯蔵できるというわけではないが。


 今日の飯は街の露天で買った堅焼きのバケットと、岩トカゲの乾物と少しばかりのチーズだ。

 日持ちする物を選ぶと毎回レパートリーが固定化されてしまうのが難点だが、今日はチーズがあるだけマシだろう。

 彼女の炎魔法でパンと一緒に炙ればそれだけでおいしいし、塩分はこの岩上で干からびて死んだようなトカゲが補ってくれる。


「ありがとう。君も向こうの世界に戻ったら、ゆっくり食事をするといい。まだ時間はあるようだしな」

「いや、簡単に済ませたらまたすぐ戻ってくるよ。リズレッドの隣にいたいからな」

「……そ、そうか」


 ウィンドウを開いてログアウトを選択。

 十秒の静止の後、光の柱が周りをぐるりと囲い、次いで世界が光の中へと消えた。



  ◇



 隣の部屋から眩い光が溢れるのを目にして、老トロールは眼をすがめる。

 その光には見覚えがあった。

 遥か昔、自分がまだ華奢な一介の人間でしかなかった頃に、突如異界から現れたあの男が、送還する際にいつも放っていた光だ。


 あの頃の自分たちは俺の知識に自惚れた愚かな若者で、きっとそれは本質的に彼も同じだったのだろう。

 あのふたりを見ていれば、それが否応となくわかる。


 自分たちと彼には、信頼関係というものはなかった。

 ドルイドは知識探求のために、彼は自分の万能感を満たすために。

 歪んだ欲望に気づきもしないまま、今日まで来てしまったことに、今更ながら自嘲する。


『考えてもみれば……貴様が笑った様を、我輩は一度も見たことがなかったな、ミノタウロス』


 儀式の失敗により、もはや異界にすら還れなくなった異形の魔物。

 自分の名前すら思い出せなくなった老トロールには、彼の名がなんだったのかは、もはや忘却の彼方で。

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