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 そう言外で語りながら、レオナスは嗤いを浮かべながら彼女へと迫る。

 それは彼女とて否定するつもりのない事実だった。過去から逃げないということは、自分が彼の言う通りの人間であるということを認めるということでもある。


 迷宮への入り方は――ランプを特定の順序で押し込むという方法は――今日ラビが実際に行っている場面をつぶさに観察していたので記憶している。

 全く、あの白髪の青年は本当に甘い。今日加入したばかりのメンバーにあのような重要機密をあけすけに明かすなんて、レオナスの言う通り世間知らずと言う他ないだろう。彼はきっと知らないのだ。世界には他人を供物にして自己の利益を得ることに、なんの厭いも感じない人間が大勢いるということを。――いや、むしろ大人の世界のおいては、それに躊躇する者のほうが疎まれる場面も時として存在するということを。


 ――そんな奴が言う綺麗事なんて、俺たちの生き方には通用しねえ。


 先ほどレオナスが語った言葉が、脳裏で何度も反響した。

 実際、それは彼女も理解していたことだ。昨日、同じ穴のむじなたる彼と再開して迷宮調査のスパイを打診されたとき、やはり自分は彼とは違う側の人間なのだということを朧げに再確認した。

 自分は屍肉喰いスカベンジャーだ。そこから逃げないからこそ、綺麗な世界で生きてきた彼とは心を隔てなければならない。


 ――そう思っていたのだ。つい、さっきまでは。

 だがミノタウロスを目撃して、言いようのない焦燥に狩られて単独行動を取りかけた鏡花に、彼は言った。

 俺たちが連いていると。

 それは正しく絵に描いたような優しい世界で生きてきた人間の言葉で――だというのに、彼からは微塵も嘘や心許なさを感じなかった。


 これが常人なら、平時に囁いた甘言など、その身に危険が迫れば簡単に捨て去って逃亡するだろう。実際、彼女がいままで仮面を剥がしてきた連中は、そういう人間ばかりだった。自分が絶対的に安全な環境にあるときはいくらでも善人で、まるで今生に唯一現れた自分の理解者であるかのように振る舞う。けれど少しでもプライドを傷つけてやれば、容易くひっくり返す。いつだったから「どんなことがあろうと、俺だけは君を信じる」と、うんざりするような言葉を放った男に、次々と相手の至らない点を私的し、学業の成績でも圧倒的な差をつけた結果、簡単にその相手は自分に猛威を振るった。


 といっても、暴力がナノマシンによって厳重に監視されている昨今で、大っぴらに拳は振るわれはしない。だがそこにはもう甘言を放つ心の余裕も、ましてやそれを実行するだけの胆力もない。ただ器が狭く浅ましい自分を露呈する男がいるだけだった。


 剥がしても剥がしても、出てくるのは下卑な素顔ばかり。


 ならばいっそ、いま目の前にいるレオナスこそが――同じ殺人者としての彼こそが――自分を真に理解する者なのではないか、とさえ思った。

 しかしラビは真髄に、一直線の心をもって、彼女に言ったのだ。なにかあれば、必ず助けると。

 

「……私は、あなたのような男と手を組むつもりはありません」


 ならば、自分もそれに応えなければならないだろう。

 優しい世界で生きて人間が、それでもこの最低な自分を守ると言ったのなら――その言葉が嘘ではないと、なぜか仮面を剥がしたわけでもないのに理解してしまったのなら――彼の仲間として闘うことに、なんの迷いもない。


 全く、笑ってしまう。

 少し前までは信じられる人間は妹の弔花ただひとりで、誰かと触れ合うためにこんな生き方をしているにも関わらず、そんな相手は現れないのだろうと、薄く覚悟をしていたというのに。


 全てはあの日の夜、メフィアスと決死の戦いを繰り広げた彼を見たあのときから始まっていた。

 誰かのために真実命をかけられる人。それを、あんな形で目撃させられて――それによって、自分の心がどれだけ救われたか。


 ああ、いるんだ。正義の味方は世界に、ちゃんと存在するんだ。

 あの人なら私を救ってくれるかもしれない。こんな汚しい、他人の不幸を啜って生きてきた自分でも――彼と共に歩めば、なにかが変わるかもしれない。


 最も嫌悪し、増悪し、卑下する男に育てられ――相手と殺しあうことでしかわかり合う術をなくしてしまった、こんな歪んだ自分でも――彼と共にいれば、なにかが矯正されるかもしれない。


 鏡花は吸血鬼の姫と退治する彼を見たときの思いを反芻しながら、他者を侵食して生きることに、もはやなんの疑問も抱かなくなった眼前の男に背を向けた。

 レオナス。

 彼女の父と結託し、咲良の前身となった会社の社長を死へと追いやった、技術者の息子。


 その彼に背を向けて、はっきりと決別を示した鏡花の双眸に迷いはなかった。

 同じ屍肉喰いスカベンジャーとしてその過去を受けいれた者同士、わかり合えることもあるかと思ったが――彼から伝わってくるのは、ただただあの日の悪夢と同じ、深く昏い感情だけで。


「――いいのかよ」


 その深淵から響くような声音が、決別を決意した彼女の心をわずかに引っ掻く。

 普段の彼女であればそのまま去る場面。だが同じ境遇で幼少期を過ごして同じく歪んだ人生観を形成した人間として、わずかに耳を傾けた瞬間。彼は耳元で呟いた。

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