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 自ら確かめるようにそう呟く。

 もう二度とと奢らないように。もう二度と自分の弱さに負けないように。


「――でも、俺なら……奴に届く――――ッ!」


 ありったけの力を脚に込める。それと同時に疾風迅雷を発動させ、奴を穿つための一筋の道を思い描く。天高くに居座る悪意の元凶に、このリズレッドの剣を届かせる。俺はただそのためだけの射出装置だ。トリガーの力で増幅されたスキルの力が、まだ熟練度に低い俺の疾風迅雷を、熟達したリズレッドの域にまで押し上げてくれるのがわかった。


 意を決して地を蹴り上げた。

 次の瞬間湧き上がったのは、重力をねじ伏せて跳躍する疾走感と、それに比例して迫る夜天の光景。


「ッツ!?」


 メフィアスは驚嘆の顔を浮かべる。


 皮肉なことに、奴の最大の慢心は、真祖吸血鬼の本領を発揮するこの空に在った。

 絶対に他者には負けないという自負の意識が強ければ強いほど、その領域に足を踏み入れた者への驚嘆は大きく、


 ――ここだ、ここしかない。


 奴に最大の隙を生じさせたこの最大の好機。これを掴まずして、俺に未来はない。

 リズレッドから託された白剣を握り込み、俺は対魔の技法を発動させる。重ねた罪の数だけ相手にその重さを返す神技――『罪滅ボシ』を。


 発動と同時に白剣に断罪の輝きが宿った。

 びりびりと手を通して伝わる振動。そうか、罪滅ボシさえもトリガーは効果を増幅させて――!


 しかし対する真祖吸血鬼も、ただ黙ってそれを受けてくれるはずもなく、


「――――『黒血纏衣』」


 禍々しい威容を漂わせてそう呟くと……彼女は『夜』に溶けた。

 メフィアスの体から――攻撃を与えた傷口から、ドス黒い血液が吹き出し、それが彼女の全身を包む。

 そしてただの黒となった彼女は、卵のように丸い球体となって泰然と宙へと浮かんだ。表面は夜と同化したかのような深淵の暗色で、それ以外はなにも伺い探ることはできない。


「構うものか! このまま奴を――」


 跳躍で得たエネルギーはなおをも上空へと俺を誘い、あと少しで奴にこの刃が届く。そう思った瞬間……卵が割れた。


「……この姿を見せることになるなんて、思いもしなかったわぁ」


 ばりばりと黒殻が剥がれ、重力を無視して空へと昇っていく。

 そして中から現れたのは――真っ黒なドレスを羽織った、メフィアスの姿。姿形は先ほどとはほとんど変わらない。強いてあげるなら、緑色だった髪が、いまは漆黒へと塗り替えられ、コウモリのようだった二枚の羽は、まるで堕天使が持つ翼のように威厳あるものへと変容していた。


「この翼、あまり趣味じゃないのよね。それに気が昂ぶって、すぐに相手を殺してしまうの。……だからごめんなさいね、ただの召喚者がこんなに頑張ったのに、あっさりと終わらせてしまうわ。ふふ、力を増幅させる技を持っているのは、あなただけではなくってよ?」


 それこそが真祖の吸血鬼の、真の姿。

 かつて世界を震え上がらせた、夜の女帝の再臨。


 その威容を拝み、俺は今更ながら納得した。

 ……なるほど、これだけの力を隠していたのなら、戦いの最中にあれだけ油断をしてしまうのも仕方のないことだ。

 これはもはや、人と虫の戦いですらない。増幅された直感が、最大級の警戒とともに教えてくれる。奴のレベルは……おそらく100を超えている。


 人よりも高いフィジカルを持ちながら、人の限界値すら超えた領域へと至る存在。

 そんな生物が、遊戯程度でも人間と武を交えていたのがむしろ不思議に思える。


 プレイヤーとしてではない。人として、生き物として、全ての感覚がこう告げた。――『逃げろ』――と。


「……誰が、逃げるか……ッ!」


 だがむろん、そんな命令に従う気などはない。そんな行動など、そもそも選択肢に入れてやるつもりもない。


 卵から孵った真祖の姫。その周囲に突如魔法陣が展開された。


「あれは!?」


 それはまさしく、リズレッドが唱えた高位魔法のグレーターファイアと同じ幾何学の模様。この世界に伝わる最上級の魔法を詠唱するときにのみ現れる、その紋様が……何個もの群を成して、瞬時に空中に浮かび上がった。


 妖艶な紫で発行するそれが示すのは――あれが奴の、正真正銘の本気の攻撃であること。


 この土壇場で隙の大きい高位魔法を使用するなど、それだけメフィアスが追い詰めている証拠だ。そして俺にそう悟られるのも、彼女なら当然察しているに違いない。


 ――だというのに、真祖はそうすることを選択した。

 つまりは、この一瞬を最後の決着とするつもりなのだ。短期間の内に予測不可能なほどステータスを上昇させる俺に、これ以上の猶予を与えるのは得策ではないと判断したのかもしれない。

 だがお生憎様だ。これ以上のパワーアップなんて不可能だし、仮にできたとしても、それを内包する器のない俺の体は、即座にばらばらに砕け散るだろう。


 ――全く、嫌になる。

 この世界の奴らは、どいつもこいつもあっさりと勝たせてはくれない。

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