119

 苦痛に歪む俺たち三人の顔を見て、悪魔はくすくすと愉しそうに嗤う。


「へぇ、私の血に抵抗するなんてさすがねリズレッド。そんな人間、いままで見たこともないわ。でも無駄なことよ。ううん、むしろそうやって最後の最後まで足掻いてくれたほうが、完全に私の物になったときの恍惚も増すというものよ」

「メフィアス、貴様――!」

「弱い男がキャンキャン煩いわよ。そんなに大事なら、しっかり保管してなさいな。自分の管理不行き届きを他人のせいにするのは、みっともないと思わないの?」

「リズレッドを物のように言うなッ!」

「あら、自分の物じゃないと言うのなら、彼女が誰に服従しようが勝手ではなくて? そんな脆い理念で動くから、横から奪い取られるのよ」


 頭がくらくらした。

 こいつらとは決定的に分かり合えないのだと、強制的に精神に叩き込まれたような頭痛だった。


 メフィアスたちは人を物としか見ていない。ペットですらなく、店先の商品棚に並んだ製品のひとつ程度にしか認識していないのだ。その製品ひとつが、自ら思考して、譲れないものがあり、至らない部分もあり、それでも必死に生き抜こうとしている生き物だという認識は微塵もない。


 だが何故だろう。――俺は、その感覚に奇妙な既視感を覚えていた。

 そんなものに同調する気持ちが湧くこと自体に激しい嫌悪感を抱きながらも、その感情がどこから現れているのかを考えたとき、そこにはひとつの回答があった。


 ――あのとき、ロックイーターと戦ったときに感じた思いが、まさにそれだったのだ。

 全てのステータスやスキルの力を何倍にも引き上げる代わりに、この世界の全てが無感動で無機質なものに変わるような感覚。まるで機械言語の0と1だけを永遠と眺めているような途方もない虚無。あのときの俺は、メフィアスと同じ目線を世界に向けていた。


 どくん、と心臓が嫌な鼓動を放った。

 それはこの絶望を打開するために、現状で考えられるたったひとつの方法。


 リズレッドはメフィアスの血を混入されたことで理性を消去されかかっている。

 じゃあその元凶であるメフィアス自身がいなくなれば、果たしてどうなる?

 血の強制力はなくなり、彼女は己の心を蝕む病魔から解放されるんじゃないか?


 それはすなわち、この場で、俺たちをひとりで圧倒したこの悪魔を討ち払うということだった。

 できるのか、俺に。アミュレから回復して貰わなければとうに死んでいたかもしれない俺に、この真祖吸血鬼を倒すことが――。


 だがその方法を、俺はすでに理解していた。

 いかなる力量差でも関係ない。対象が犯した罪の数だけ、それを相手に還す必殺の一撃。

『罪滅ボシ』――俺がこの世界で始めて与えられた対魔のスキル。それこそがこの現状を打開するための、唯一の鍵だった。


 問題は、どうやってその一撃をメフィアスに当てるかということだ。

 俺の後ろにはアミュレがいる。そして前方にはいまにも斬りかからんばかりに白剣を振ろうとするのを、必死に堪えるリズレッド。彼女が血盟を御してくれている間に、奴に接近して攻撃を加えるか? ――いや、その間に万が一リズレッドの精神が侵食されてしまえばアミュレを守る人間がいなくなる。『仲間を殺さない』という信念だけで抵抗の火を燃やしている彼女がもしアミュレに手をかける事態になれば、それは全ての決壊を意味している。自らの行いに心が折れたリズレッドの精神を、悪魔は容易く掌握してしまうだろう。それに運良くメフィアスのもとまでたどり着けたとしても、果たして俺の攻撃が奴に当たるのかという疑問もあった。あのアモンデルトと同じ、最上位の魔王直轄組織に属している彼女に、レベル20をようやく超えた程度の召喚者がどんなに一撃必殺のスキルを使用したところで、簡単に避けられてしまうのは想像に難くない。


 ――どうする。どうする。


 後を引く心臓の鼓動が、心に粘着質なものを塗りつけていく。

 打開策はあるというのに、そこまでの王手をかける手段が俺にはない。

 チャンスは一度だ。これが失敗すれば俺は二度とこの世界に戻ってこれなくなる。リズレッドやアミュレ――そしてホークを含む、この街の人間がどうなろうとも、全く手が出せなくなる。


 ――どくん、どくん。


 選択を迫られた心臓はなお早く、強く脈打つ。

 狼狽する俺に、リズレッドが震えた声で言葉を放つ。


「――ラビ、こんなことになって、ほんとうに――すまない。だけど最後は――きみに――討たれたいんだ――化物になるのは――いや、だ――」

「リズレッドさん……っ!」


 前後でリズレッドとアミュレの悲痛な叫びが響く。

 ああ、なんだ。なんなんだ俺は。並び立つと誓った人に殺せと懇願されて、それを跳ね除けることもできず。希望を抱いて城塞都市にやってきた女の子に、こんな絶望の顔をさせて……だというのに、やはり俺はなにもできず。

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