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幸い、手にした白の剣が不思議と彼女に力を与えてくれていた。
それはリズレッドが『守護』の役割を強く自覚するほど輝きを大きくし、いまでは刀身全ては白く発光していた。
しかし対面する悪魔の力は、その覚醒した白剣で受けてもなお押し返されるほど膂力を発揮している。いや、それどころか、
「……っぐ!?」
リズレッドの顔に苦悶が浮かんだ。
受けきれない。
先ほどまでの泰然とした様子から一変したメフィアスの攻撃は、いまこの瞬間にも増していくばかりだった。それは白剣がもたらしてくれステータス上昇を上回り、見えかけた光明を、再び闇を覆い隠そうとするかのようだった。
「あの男……なにを……!」
メフィアスはノートンが何を行おうとしているのかわからなかったが、恐るべき直感により、自分にとってなによりも恐れていることを成そうとしているのを感じ取った。自尊心の高い彼女が唯一、己の全てを差し出して敬愛する相手――魔王から受けた命令を、彼が台無しにしようとしているのが。
『召喚者の牧場』を、彼はいかなる方法を用いてかはわからないが、壊そうとている。
メフィアスの総身に憎悪がみなぎった。
その行為は魔王への直接的な攻撃だった。自分に刃を向けるだけならいくらでも笑って相手になってやろう。虫の一匹が敵対行動を示したからとて、本気で殺意を向けるような無様は彼女はしない。だがその虫が、もし敬愛するあの御方に牙を剥くのなら、話は別だ。全力を以ってして、その過多に膨れ上がった不遜を罰さなければならない。
それを邪魔するのがお気に入りのエルフであっても、仕方がない。なによりも優先すべきは魔王の命令なのだから。
「邪魔をするな、エルフ」
暗い地の底から響くような増悪の声をメフィアスが発した瞬間、リズレッドは己の視界が大きく反転するのを見た。
全く反応できない速度で、受けた剣ごと空中へ吹き飛ばされていた。
「が……ハっ!?」
背中から強かに地面へ落ち、一瞬呼吸ができなくなった。メフィアスはそんな彼女には目もくれず、後ろ姿を見せて猛然と走るノートンを覆うとしている。リズレッドは混濁する意識をなんとか奮い立たせると、立ち上がりざまにそのまま疾風迅雷を発動させた。相手が背を見せている隙に、渾身の一刀を叩き込む。そのつもりで地を蹴った。その結果、彼女はおよそ人とは呼べぬ速度で悪魔へと追随し、予定通りの軌道を描いて白い刃筋を宙へ走らせた。
だがそこに、メフィアスの姿はなかった。
「――あなたとは、あとで遊んであげるわ」
後ろから声が聞こえた。全身の毛穴が開き、脳が緊急信号を発した。振り向いて横薙ぎの一刀を放とうとしたが、遅かった。それよりも早くメフィアスの爪が縦に彼女の背中を走った。
感じたのは装備したライトアーマーが、ついに真っ二つに破壊された衝撃と、自らの背中を押される感覚だった。その感覚はじわりとした熱さに変わり、そして次の瞬間には、激痛となって彼女を襲った。
「ア……ぐ……っつ!」
悪魔の爪を受けた背中が縦に裂け、鮮血がほとばしった。
そのまま前のめりに倒れこみ、体が得難い痛覚を受けてびくびくと痙攣した。
ライトアーマーのおかげで両断とまではいかなかったが、いままでに受けたどんな傷よりも深い裂傷が背中に刻まれている。
リズレッドは痛みによって意識がぶつぶつと途切れていくのを感じた。まるで精神を問答無用で鷲掴みにされて、無遠慮に千切られていくようだった。
油断などしていなかった。白剣によって人の域を超え始めた彼女だったが、対峙する相手は人を超えた化物なのだ。
だが魔王のために本気になったメフィアスの前に、リズレッドは呆気なく打ちのめされた。
悪魔は地に伏した彼女を一瞥もせず、再びノートンを追って走り出そうとしていた。疾風迅雷を使用した彼女の後ろを容易く取ることができる機動力があれば、彼に追いすがることなど簡単だろう。
――それだけは、させない。
リズレッドは残った意識を総動員させてぼやけた視界からメフィアスの足を視認すると、必死にそれを掴んだ。
彼がなにをするつもりなのかはわからないが、それよりもまず、誰も殺させるわけにはいかないという彼女のロールが、瀕死の体を咄嗟に反応させていた。
「……チィ!」
自らの足を掴む死にかけのエルフにメフィアスは思わず舌打ちをした。
常人ならば発狂していてもおかしくない痛みを与えたはずなのに、泣き叫ぶどころかいまだに正常な判断を下し続ける相手に、怒りが湧いた。しかも彼女の白磁の肌からいまも湧き出る鮮血の、なんと蠱惑的なことか。白に浮き立つ赤のコントラスト、そして眷属にふさわしいと認めた相手からしか分泌されない、吸血鬼にしか嗅ぎ分けられない特別なフェロモン。全てがメフィアスにとって最上級とも言えた。やはりこのエルフは殺すに惜しい。
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