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「シッ。――どうやら、こことは違う場所で、何かが起こったようですわね」
「うん……構造のせいで音は大きかったけど、近くに敵の気配はないよ」
鏡花と弔花が鋭い目つきで周囲を確認しながら告げた。
俺はその言葉に、言いようのない不安を覚えた。こことは違うどこかで、なにか巨大なものが動いた。そんな音だった。
「――早くここから出ないと」
ほぼ無意識に言葉がついて出た。
そして顔を上げ、遥か上まで続く螺旋の階段の先を見据える。
この円柱の吹き抜け場がどこだかはわからないが、特有の音の反響と湿気の高さが、まさしく地の底であることを教えてくれていた。俺が初めて強制ログアウトを食らった日にギルドのソファで見た、どこまでも沈み込んで監獄に落ちる夢は、ある意味では正解だったというわけだ。
見上げた天上には一点の光さえ見えず、どこまでも続く闇だけが佇んでいた。まるで底なし穴を見上げているようだ。
「行こう、みんな」
焦る気持ちを抑え込みながら、四人に言葉を放つ。
鏡花たちはこくりと頷くと、前進する俺の後ろに連いてきてくれた。
「リズレッド、待っていてくれ」
小さな声でそう呟いたあと、壁から伸びる一枚の踏み板――あの人が待つ地上へと続くはずの階段の一段目を踏みしめた。
◇
ラビたちが地下空間からの脱出を計って頭上を見上げていたとき、彼が想う彼女もまた、同じように顔を上げていた。
それは密室の牢獄から抜け出すためではなかったが、状況的には似たようなものだった。
夜の闇すら焼き尽くすように燃え盛るウィスフェンドの街に、地を割って現れた巨大な影が彼女を見下げていた。
自分を支配しようとする存在に対して抗う意思を込めて、リズレッドは目に力を込めてその化物を見上げる。
「また会ったな、城塞都市の悪夢。空から来ると思ったがまさか地中からとは、恐れいったよ」
白剣を構えてそう呟く彼女の前には、自分に忘れがたい屈辱と、耐え難い別れをもたらした巨大な竜蟲、ロックイーターが一体、悠然とこちらを睥睨していた。
リムルガンドの硬い岩盤を掘り進むという無茶な地中活動を可能にしている体は、前進を赤黒い鱗に覆われ、まるで天然の鎧を纏っているようだ。目はなく、あくまでも周囲の気配を察知して行動を起こしている。アミュレの気配察知スキルの常用版といったところだろう。
そして最大の特徴は、その目も鼻もない、不必要なものを全て取り払ったあとに頭部のスペースをすべてこれに費やしたのだと言わんばかりの、大きな口腔。姿形と同じくそこもギザギザの牙でも付いていればまだ気も紛れたのだろうが、あいにく、竜蟲に備わった歯は全てが臼歯だった。硬質なものを噛み砕くために装備された特製の臼だった。異系の姿のなかでそこだけがやけに人間的で、生物的嫌悪感を否応なくリズレッドは感じた。
「あれが噂の、ロックイーターかい」
横にいるエレファンティネ・ロッソがうんざりするような声音で言った。
彼女の傍には城塞都市の守備隊を務める第二部隊隊長のエレファンティネ・ロッソと、ギルドの支部長バッハルード。そしてこの街の領主、フランキスカがいた。
四人は横に並び、突如現れた五十年前の悪夢を睨み助ける。
「ああ。推定レベルはおよそ40程度だろう。私とエレファンティネ殿で相手取れば、勝てない相手ではない」
「でも、それだけじゃないんだろう? なんたってあいつは、この街を絶望のどん底に落とした悪夢様だ」
「……人が悪いな。大方、ホーク殿から話は聞いているのだろう?」
エレファンティネは、ご明察、という顔でそれに首肯で答えた。ラビがロックイーターと戦ったつぶさの記録は、ホークを介して彼に伝えられていた。目の前の化物が、さらなる驚異の卵にすぎないということを。
「第二形態にはさせるな。あんな奴が街中に現れたら、ウィスフェンド自体が壊滅する可能性がある」
周囲を見渡しながらリズレッドは言った。
その目線は街だけではなく、己の後ろに控える大勢の戦士たちにも向けられた。
魔王軍の奇襲攻撃をに備えて全住人を避難させていたとはいえ、男で戦う意思のある者は全員が外に出ていた。冒険者や兵士だけでなく、自前の農具を構えて戦闘に参加しようと奮起する一般人もいる。
ウィスフェンドに現れた敵は、いまのところロックイーターただ一体。人間と同程度の大きさの魔物を想定して義勇兵を募ったが、敵はあまりに巨大であり、戦闘経験の乏しい住人がどうにかできる相手ではなかった。厳しい言い分だが、戦闘に参加したとしても何の力にもなりはしないだろう。リズレッドは即座にそう判断し、周囲に配らせていた目線はフランキスカに向けた。
「一般人を後退させてくれ。ロックイーターは私とエレファンティネ殿で引き受ける」
「おいおい、あんなデカブツを二人で相手する気か。オレも――」
「領主殿とバッハルード殿は、戦うよりも大事な役目があるだろう?」
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