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「お前はただ、ここの管理を任されただけだ。そうだろ? だって俺たちは全員、お前に捕らえられたんじゃない、メフィアスに捕らえられたんだから」

『う、うるさい……』

「お前は半人半蜘蛛アラクネだ。そしてそれが、お前の分を物語っている」

『やめろ……っ』


 うろたえる奴を前にして、俺はついに決定的に相手のプライドを揺さぶる一言を放った。


「お前は魔王から名前を与えられなかった、ただの雑魚モンスターだ。なあ、そうだろ? 非ネームドアラクネ?」


 その一言が決め手となり、アラクネは煮えたぎるような憎悪を体中から放出した。もはや雑魚敵に向ける敵意ではない。ありったけの殺意をもって俺はめちゃくちゃにしてやるという意思が、弩弓となって体中に突き刺さるようだった。


 ――掛かった。


 心の中で低く呟いた。眼前の敵が放つ威圧感に思わず尻込みしそうな体をなんとか奮い立たせ、杖を構える。頭に血が上ったアラクネは、警戒という言葉を脳から消去したように、猛然と俺へと迫ってきた。それはフェイクもなにもない一直線の特攻だった。さっきまでのアラクネだったら、それで問題なかっただろう。だがいまは二本の脚を失い、さらには全身が弔花の《ヴェノム》に冒され、強度が脆くなっている。必然、対応できないほどの速度を誇った動きは、目で追えるほどにが陰りを見せている。それこそが手繰り寄せた勝機だった。目に見えない釣り糸を探し当て、死の未来が詰まった海から、一粒の真珠を身ごもった貝を釣り上げるような行為だった。


 そして、食いついた獲物をどう捌くかで、この釣りフィッシング勝利フィニッシュで終わるか、消滅フラッシュで終わるかが決まる。この瞬間は、まさにその瀬戸際だった。


 まだだ。俺とあいつとでは、まだ大きな差がある。こっちが挑戦者という立場はなんら変わらない。たとえ敵の装甲が薄れ、思考が鈍化していようとも、油断などできる状況じゃない。いまできる最大限の攻撃をもって、この監獄の主に引導を渡す。


 杖を前方へ向けて魔法を三発打ち込む。MPはあと一発分の使用で尽きる。詠唱なしの呪文発動がいかに便利と言えど、装填数に限りがあるのなら、与えられる総ダメージ数に変わりはない。もう無駄撃ちはできない。だが真っ直ぐにこちらに向かってきてくれる相手のおかげで、標準を定めるのに苦労はしなかった。直線運動を経て巨躯の蜘蛛に着弾した火球は、奴の毛むくじゃらの体を焼きえぐり、吹き飛ばした。


『――、――ッツ!!』


 アラクネの顔が苦痛に歪むが、驀進する脚に止まる気配はなかった。それだけ俺の踏んだ地雷は大きかったということか。この狭い世界のなかに置いてのみ、女王として君臨していた彼女の矜持を踏みにじったのだ。


「――だけど、それがどうした」


 他人を犠牲にして築く栄光なら、他人に犠牲とされて瓦解するのも栄光だ。いまにも俺を穿たんと眼前に迫る狂牙を前に、俺は勇気を振り絞って奴を睨み据えた。アラクネはもう眼前まで迫っている。手の伸ばせば届きそうな距離だ。残った六脚のうち、器用に二脚を持ち上げて、頭上から串刺しにせんと奴が体勢を持ち上げた。これが振り下ろされれば、確実に俺は死ぬ。リズレッドへ会うための未来は、そこで絶たれる。


「――そんなこと――ッ!」


 その絶望の未来に立ち向かうように、前へ出た。

 目を覆いたくなるようなグロテスクな敵の姿がさらに迫るが、臆するな。近接戦は俺の領域だ。なにを間違えたであろう、遠距離戦闘型の職業を、前衛運用で育ててしまったラビの、リズレッドと作り上げた領域だ。だから退かず、留まらず、前へ、先へ。


 ブラッディスタッフを使い慣れたナイトレイダーのように抜刀の構えで持ちながら、意識を集中した。

 何度も彼女と繰り返した動きを正確にトレースし、鞘から抜き放つように杖を振り抜き、スキルを発動させた。


「《灼炎剣》――ッ!」


 本来なら剣を用いて使用する、炎属性と攻撃力を上乗せするためのスキル。刀身に纏わせるべき焔を杖に宿し、抜刀と同じ所作で振り抜いた。俺はこの一年間、リズレッドから剣の技術のみを教えられてきた。だったらこの生きるか死ぬかの瀬戸際で賭けるべき技も、たとえこの手に握られているのが杖であろうと、変わることはない。全力で燃えさかる魂の刃を斬り抜くだけだ。


 灼炎剣は俺の意思を燃材としてくべられたように盛る炎を増し、そのままアラクネの胴体へと直撃した。ずがん、という鈍く重い音が石造りの監獄の内部で反響する。申し分のないヒットだった。敵はまさか俺が危機に対して前で出るなどとは思っておらず、むしろ後ろへ下がると読んでいたのだろう。注意は後方へと向き、結果、本来ならば容易く仕留めることができる超至近の俺を討ち損なった。

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