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「オレ様を忘れて貰っちゃこまるぜーー!」


 俺と鏡花の連携を目の当たりにしたヴィスが、雄々しい叫びを上げて舞い込んだ。手には本来の武器である大斧を掲げ、大きく振りかぶると――


『調子に乗るな、召喚者がぁ!』


 大斧が頂点に到達したタイミングで、アラクネが毒に冒されていない脚を持ち上げた。鋭い杭を思わせる凶脚が、勢いよくヴィスへ突き込まれる。

 命中すれば体を貫通することは確実の一撃だ。脳裏に数刻あとの光景が浮かび上がる。アラクネの攻撃によって体に大穴が空き、上下が意図も容易く千切れ飛んだヴィスの姿が。


 ――させない。


 俺を信じて集まってくれた仲間を、むざむざ殺させるわけにはいかない。

 責任や義務といった感情もあるが、打算的に考えても、ここで彼を失うことはパーティの全滅に等しい。


 ヴィスがあちらの世界に強制転送され、再びロビーでログイン手続きをしている間、俺たちはこの荒れ狂う女王を相手取ることができるのか? 五人でも圧倒的に押されている状況で、壁役である前衛が一人消えるということは、何を意味するのか。


 最悪、全滅などすれば、アラクネは今回の奇襲作戦に即座に対応できるような、徹底的にメタな対策を取るだろう。

 俺たちは命を無限に持つが、チャンスは一つしか持っていなかった。


 俺はいまにもヴィスを穿つため真っ直ぐに突き込まれる脚に目を向けると、咄嗟にスキルを発動させた。


「《ストライクブレイク》ッ!」


《疾風迅雷》のような長時間の加速効果はないものの、一瞬の攻撃速度に関してはその上をいく、バーニィから譲り受けたスキル。

 アラクネの刺突に対して、高速の刺突がそれに追いつき、一点に集中した力をもって、軌道を僅かにずらした。


『なんだと!?』

「俺の仲間に……手は出させない!」


 叫びながら、横目でちらりとヴィスを見た。

 それは合図だった。高く振り上げた斧を持った大柄な男は、その一瞥でこちらの意図を察してくれた。


 彼が次に目線を向けたのは脚だ。自分を貫くはずだった、太く禍々しい脚。

 弔花の《ヴェノム》から逃れ、腐食を免れたアラクネの自慢のそれは、本来の殺傷先を見失い、虚しく宙を突いて止まっていた。


 ヴィスは目を大きく開くと、斧を握る両拳にあらんかぎりの力を込める。そして最大膂力をもって、勢いよく振り抜いた。断頭台の刃のような大斧が、上から下へ一直線にアラクネの脚に直撃する。


 バキィ、という音と、石畳が割れ砕ける音がほぼ同時に起こった。


 硬質なものを、力任せに無理やりへし折るような音だった。

 そう、ヴィスの大斧が、アラクネの自慢の武器に対して勝利を飾ったのだ。


「どんなもんだ、女王様」


 一撃に全力を込めたヴィスが、汚名返上とばかりにニヒルに笑った。

 いかに強靭な肉体と言えど、まな板の上に置いたように真横に突き出した態勢で、節を狙われて斧を振り下ろされればどうしようもなかったのだ。

 だがそれは決して楽な作業ではない。ぎりぎりの状況のなかで俺の意図を一瞬で汲み、窮地に置いても自分の力を最大限に発揮したヴィスの胆力なくしてはもぎ取れなかった戦果だ。


『!? ……っ!?』


 アラクネが信じられないものを見るように、粉砕された脚を凝視した。


 ダメージは確実に通っている。だがそれ以上に奴は動転していた。こんなはずはない、という心の声が、所作から漏れ出るようだった。

 アラクネは召喚者のことを完全に過小評価していたのだ。己が管理する監獄で無様に貪り食われ、死ねば再び蘇り、同じようにまた食われて死ぬ。しかも貪るのは、自分がいざというときのために用意した補給ユニットである我が子だ。


 そんな状況が続けば誰だって自分が、その限られた空間のなかでのみ神となったのだと曲解するだろう。

 そしてその肥大化した自己が、俺たちの付け入るべき決定的な隙だった。普通に戦えばまず勝ち目のない絶望的なレベル差。それを埋めるための逆転への門が、いま開け放たれているのだと確信した。


 こいつがもし自我を持たない、プログラムされたルーチンを機械的にこなすだけの一介のゲームのボスキャラだったなら、俺たちに勝ち目などなかっただろう。――だがこの世界は違う。どんな生き物にも心があり、そして欲がある。俺や鏡花がその欲のせいでよからぬ思いに振り回されたように、アラクネにもそれがあった。ただひとつ違うのは、俺の暴走をリズレッドが止め、鏡花の暴走を俺が止めたような、静止をかけてくれる相手が、こいつには誰もいなかったということだ。


 ならば、俺はそれを揺さぶろう。この戦場において仲間とともにここを脱出するためなれば、どんな手段でも講じよう。


 俺は目の前で戸惑う獄吏を前に、冷淡な口調で告げた。


「……アラクネ、お前は勘違いをしてる」


 蜘蛛の肢体に付いた人の上半身が、びくりと震えた。顔を見れば眉をこれでもかというほど寄せて、眉間にシワさえ寄っている。俺は構わず続けた。

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