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 なんとか面目を保てたという顔で頭を掻くと、彼はそのまま街へと踵を返して一同を先導した。それを追ってアミュレを含む四人が連なって歩く。

 

「さっき、あのオジサンとなに話してたの?」


 リズレッドとホーク、エレファンティネとアミュレという具合に、なんとなく二グループに分かれたため、一人取り残されたマナが、なにか面白いものを探すように小声で耳打ちしてきた。

 アミュレはそれに対してにこりと笑い、「秘密です」と応えた。胸にはほんの少しの充実感があった。


 たとえ微弱であっても、城塞都市の兵団であり、しかも隊長格の隠密スキルを破ったことは事実だ。それを彼女に告げるのは、彼の威厳に関わると思ったのだ。そして、そんな彼を索敵できた自分の力量に手応えもあった。


 そのときアミュレの視界に、一つの影がひっかかった。それは先ほどからまさしく話題に上がっていた、エレファンティネたちが隠れていた岩だった。得意になって、つい意識してしまったのだと思い、アミュレは苦笑した。だが次の瞬間、その岩の影が動いた。


 目を見開いた。それはなんてことのないトカゲだった。おそらく岩場に隠れていたのだろう。リムルガンドを歩いていると時折見かける、魔物に分別されない、ただの小動物だ。

 しかし少女が驚嘆したのは、全く違う理由からだった。脳裏に、先ほど自分が発した言葉が蘇る。


 ――エレファンティネさんの気配は、本当に微弱にしか感じられませんでした。


 自分が感知した気配は二つ。一つは気配の大きさからホークで間違いない。残りの一つは、同伴したあの隊長のものだと思っていた。だがもし、あの時点で物言わぬトカゲが、じっと影に潜んでいたのだとしたら――。


 アミュレは勢いよく前を振り向いた。そこには飄然と歩き続ける、男の後ろ姿があった。

 心に、再び冷たい風が吹き込むのがわかった。


「どしたの?」


 隣にいるマナがきょとんとした顔で訊く。少女は静かに言葉を返した。


「なんでも……ありません」


 リムルガンドは日中は砂と岩から照り返される太陽の熱で蒸すほど暑いが、夜は一変して一気に冷え込む。

 しかしその寒気こそが、心の奥底に潜む本当の自分を呼び起こしてしまいそうで、アミュレは小さな拳に力を込めた。そんなとき、ふいに後ろから声が響く。


「アミュレ、大丈夫か?」


 いつの間にかホークとの会話を終えたリズレッドが、少女の様子のおかしさに気づき、声をかけてくれたのだ。

 人は嫌いだと断言しながらも、ロックイーターとの戦いを通して、彼女も少しずつ変わり始めているのかもしれない。


「心配するな。どんなことがあろうと、私はパーティメンバーを守る。無論、アミュレもだ」


 おそらく明日起こるかもしれない熾烈な戦いの前に、萎縮していると思ったのだろう。月光の騎士は静謐な面持ちで、なにも不安がる必要はないのだと言い聞かせるように告げる。それが、アミュレの心に吹き込んだ冷気をどこかへ飛ばし、代わりに暖かなもので包んでくれた。


 自分をパーティに加えてくれた人、自分に暖かな感情を分けてくれる人。アミュレもまた変わらなければならなかった。呪縛のように己の影に潜み続ける、過去の自分。その恐怖に負けない強い自分へと。


「……ありがとうございます、リズレッドさん」


 改めて礼を告げる。

 リズレッドの選択が正しかったのかどうかは、どう運命の賽の目が転がっても明日わかる。であれば、精一杯のことをやるだけだった。僧侶として、立派に役目を果たすことが、ラビとリズレッドへの恩に報いることだと思った。


 アミュレが決意を胸に秘め、街へと戻る列に連なった。

 おそらく城塞の外壁を拝む頃には〇時を回るだろう。もう一度太陽が昇る前に、体を十分に休める必要があった。明日にどんなことが起ころうとも、自分にできる範囲で完璧な対応を行うために。


 ――もしかすると、いま自分たちを見下ろしている月が、明日に再び天に帰るころには、このような感情など抱けぬ状況になっているかもしれない。全員がそのような気持ちを抱きながらも、それを口にする者は誰もいなかった。



 城塞都市の守りべと亡国のエルフが共に歩を進め始めたとき、目的地である城塞都市ウィスフェンドにも変化が訪れていた。

 街の城壁は外郭を囲うだけではなく、市中にまでその堅牢な威厳を示していた。街の入り口である南門付近や、活気ある中央エリアには見られないが、北部はまるで入り組んだ迷路のように高くてぶ厚い壁が右へ左へと伸びている。


 リズレッドの故郷であるエルダー神国が民家を用いて用意した、外部侵入者に対する防御措置である迷路を、この街では文字通り壁で造り上げていた。


 しかしそれは、なにも外からの敵に対して用いられるわけではない。街で罪を犯したもの――たちを、一時的に一般領民から遠ざけるシェルターの役割も果たしていた。

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