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 リズレッドは祖国を守れなかった不甲斐なさに拳を握りしめる。

 だがラビという言葉を発した瞬間のみ、その苛立ちの心に、安らかなものが浮かぶのを彼女は感覚した。


「――なるほど、つまり今回もそのときと全く同じことが起こるってわけだ。防衛線で相手取っている敵は囮で、本陣は空から来ると。確かにここ数日は、数匹の飛行系の魔物が街の近距離まで来ることもあったよ。そのおかげで、城塞都市のシンボルである壁もいささかダメージを喰らった。だが知っての通り、うちの領主様は聡明でね。エルダーの陥落を教訓に、対空兵も用意している。実際、飛んできた魔物は全員仕留めているよ。それでも不安なのかい?」

「ああ、その通りだ」


 間断なく応えた。考える余地などないといった態度に、さすがのエレファンティネも面食らう。

 リズレッドは彼から目線を外すと、今度はマナを一瞥した。奇怪な髪の色をした異界からの渡り人。その彼女が自分に示してくれたとある情報が、防衛線の急速な変化という事実と合わさったとき、恐るべき予測を彼女に与えていた。


 再び正面に向き直ると、リズレッドは口を開いた。静かに、だがこれこそが、一連の敵の動きから推測される、最悪の想定であることを態度で示すように。


「このままではウィスフェンドは落ちる。――マナが、私に教えてくれたんだ」

「へ、私?」


 突然の名指しに素っ頓狂な声を上げる。リズレッドは前を向いたまま、パーティを結束した夜に彼女の口から出た、とある魔物の名前を訊いた。


「マナ、ラビが監獄で遭遇した魔物の名前を覚えているか」

「……アラクネでしょ?」

「違う。そちらではなく、もう一体のほうだ」


 その言葉を聞いて、マナがあごに人差し指を当てて宙を見上げた。あまり聞きなれない名前だから、咄嗟に出てこなかったのだ。

 少ししてやっとその名を思い出した彼女は、クイズゲームの正解を答えるように言い放った。


「ああっ、メフィアスだ!」


 その名が出た瞬間、ホークの顔が凍りついた。隣にいるエレファンティネも顔面蒼白となり、愕然とする。

 当の本人はその反応にきょとんとしてしまった。自分がなにか大きな間違いをしてしまったのではないかと思うほどに、彼らの反応は異様だった。


「メフィアス……それは、本当ですか!?」


 ホークがたまらずもう一度聞き返すが、リズレッドが代わりに首を縦に振ることで返答した。


「本当だ」


 偽ってもどうしようもないという風な、断言する言葉だった。

 一瞬、驚きで目を見開いていたエレファンティネは、すぐにもとの飄然とした態度に戻ると、肩をすくめた。


「六典原罪の第五編がお目見えとはね。しかも、空中戦が得意な『真祖吸血鬼のメフィアス』とは……いやはや」

「無論、ラビの居場所はいまだ不確定だ。私たちはリムルガンドのどこかだと推測しているが、そうでなかった場合、メフィアスは今回の件とは無関係の可能性もある。というより、推測が当っていたとしても、奴が姿を現すと断言できる確証もない。――だが、戦線を一気に進行させて気を引くやり口は、エルダーのときと全く一緒だ。あのときは伝令が届いて兵が飛びだした翌日に、一斉の襲撃を受けた。明らかに手薄になったところを狙われたんだ。今回もそれと同じ戦術を取ってくるとは限らないが、騎士としての第六感が確信を告げているのだ。……正直、勘と言われても否定できない。だが私はこのタイミングで前線へ赴くのは、悪手だと思う。貴殿の意見に反対したのは、そういう理由だ」


 リズレッドは真髄な瞳をエレファンティネに向けていた。正直、憶測で作り上げた過程でしかないこの話を、信じてくれという方が無理というものだった。自分が相手の立場でも、一笑に伏すかもしれない。だが戦場では思いがけない奇襲は当たり前にように発生し、そういうときに最も信頼できるのは、命を賭けた戦いと通して、長年かけて培った、己の第六感だった。


 果たしてエレファンティネは少しばかり考えたあと、


「……ホーク君、街に戻ろうか」


 そう言い放った。ちょっと家に忘れ物をしたから取りに戻ろう、というような口調だった。

 ホークはそれに対して、


「良いのですか? 私たちはフランキスカ様のご拝受で防衛線へ向かっています。ここでそれに背を向けることは、背信行為と取られる可能性もあります」

「……『命令に遵守し、各々の持てる力を最大限に発揮し、都市に勝利を持ち帰れ』――ウィスフェンド兵が入隊するときに、一番最初に叩き込まれる訓辞だね」

「はい、その通りです」

「ふむ、じゃあ俺たちが今回承ったご命令は、一体なんだったかな?」

「『防衛線へと赴き、魔王軍を撃破し、ウィスフェンドの安寧を死守せよ』です」

「その通り。そして彼女の言葉が真実なら、防衛線とは俺たちがいま向かおうとしている先にはなく、むしろ出発した街そのものだ。なんたって相手は空を飛べるんだから、地上の戦線なんて関係ないんだからね。そして奴らが攻めてきたとき、これを撃破して街を死守すれば、ほら、命令にはなんも違反していないよ」

「少々、飛躍した論調だとは思いますが」

「そりゃ向こうは飛んでくるんだから、こっちだって少しくらいは大目に見てもらわないと、フェアじゃないじゃない?」

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