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「マナ! 前々から言おうと思っていたが、ラビと私はそんな関係では!」


 急いで悪戯めいた笑みを滲ませるマナに抗議の意思を示す。それが逆効果になっていることに、まるで気づかない様子だった。

 あえてマナはその初心な反応を無視すると、目の前にウィンドウを表示させた。時刻はすでに十九時を回っている。二十時の定期捜索を終えれば、今日のノルマは達成だった。


 白く発光する表示板を開くのとほぼ同時に、ピ、という電子音を立てて、新たなアラートが追加された。


《現実:空腹【強】》


 ナノマシン管理下からなる、バイオリズム低下の警告である。

 マナは面倒臭そうにそれを見ると、払いのけるように手を左に振る。ウィンドウはそれで消失した。

 リズレッドはアミュレに茶化され、いまもなお赤面を継続中だ。マナはそれを確認すると、ぼそりと呟いた。


「……面倒くさ」


 誰にも気づかれないほどの声だった。まるでそれが不要であればどんなに良いかと、心底願うような声音。

 気だるさげな表情を浮かべた彼女は、やや間隔を置いてから、もとのにこやかな顔に戻り、後ろで談笑する二人に告げた。


「ごめん、ちょっとお腹すいちゃった。一回向こうの世界に戻ってもいいかな?」


 両手を合わせて謝罪する彼女に、


「無論だ。マナはこちらで食事を摂っても、空腹が満たされないのだからな」

「私も大丈夫です。マナさんの留守中になにかあれば、打ち合わせ通り、また黄金の箒で落ち合いましょう」


 二人は快諾した。もとより二人にとってマナは立派なパーティメンバーなのだ。自分たちの空腹だけを満たし、一人だけそれに耐えてみせろなどと言う気は毛頭なかった。

 マナは名残惜しそうに笑ったあと、六十秒間の沈黙を置いて、光の柱に包まれて送還された。


「全く、食事を抜く癖が、ようやく抜けはじめたな」


 光のなかに消えた召喚者が、つい先ほどまで立っていたところを見ながら、リズレッドが言った。

 パーティを組んだ当初、マナはほぼ食事を摂らなかった。物を食べるということに興味がないのか、大半をこちらの世界で過ごしていたのだ。無論、完全に食べないというわけではないのだが、本来ならば生物として当たり前に持っている食欲という欲求が、彼女の物差しでは最下位にあるのだと如実にわかるほど、その回数が低かった。


 一日に一回、それも数分で済むような簡易なもので済ませるだけの食生活も、リズレッドから注意が飛んだ。食事は摂れるときに摂らなければ、本当に必要な場面で力が出せなくなる。というのが彼女の言である。


 しかも彼女たちはいま、敵軍といつ交戦になるかもわからない状況で調査を行なっているのだ。栄養摂取の重要性は言わずもがなだろう。


 しかしそれはそれとして、食事という生物の最重要行為を脇に置いてでも、ラビを見つけることに注力してくれるマナに対して、リズレッドは内心で感謝もしていた。その気持ちがあったからこそ、結成当初はぎくしゃくしていたこのパーティも、うまく歯車を噛み合わせることができたのだ。


 彼女たちがリムルガンドに見当をつけて捜索を開始してから、もうしばらくが経っていた。

 いまだに召喚者同士で居場所を確認できるマップに、彼を示すピンは現れない。この岩だらけの荒野に限定していても、彼女一人の力に頼るしかない以上、どうしても時間がかかるのだ。


 しかしそんなことなどお構いなしに、事態は日増しに悪化していく。ウィスフェンドの防衛線が徐々に押され始めているのだ。

 先ほどあのような小隊と出くわしたのが、その事実を雄弁に語っていた。リズレッドに残された時間は、もう残り少ない。


 いまいる場所も、明日には簡単には行き来できないほどに激変している可能性もある。そうなる前に、できるだけ調査を進めておきたいというのが、リズレッドのみならず、三人の共通認識だった。

 押されているだけならまだしも、ネイティブと召喚者の混成防衛部隊が、いつ壊滅するかもわからないのだ。


 夜空を見上げながら星々に祈りを捧げるように仰ぎ見ていると、少しして再び光の柱が現れた。マナが戻ってきたのだ。

 実に十分とかかっていない、いつも通りの彼女の食事模様である。

 定期調査が控えているとはいえ、もう少し余裕を持った食事をするくらいは可能だというのに……。リズレッドは彼女を諌めるため振り返ると、


「ごめん!」


 出し抜けに謝られ、目をぱちくりとさせた。


「今日の調査、なしになっちゃった」

「なに? どういうことだ?」


 突然の報告に、たまらず訊いた。マナは両手を広げて落ち着くようにジェスチャーをとりながら、慌てて言い添えた。


「私のせいじゃないよ。それに、悪い知らせでもない。さっき向こうの世界に戻ったらラビから連絡が来ててね、ようやく監獄に囚われてる仲間を見つけたんだって。その人との待ち合わせの時間が、丁度私たちの時間とかぶっちゃったってわけ」

「本当ですか! じゃあ、これでラビさんの準備は整ったってことですね!」


 今度はアミュレが声を上げた。嬉々とした表情だった。マナはそれを見ると、難しそうな顔をしながら応えた。


「うーん、どうだろ? まだ名乗りを上げたのは一人だって言うし、まだ人数が足りないんじゃないかな。それに、コンタクトを取ってきた『鏡花』って子も、ちょっと気になるんだよね」

「キョウカという者に、なにか?」

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