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 試すような語調に、思わずどきりとした。彼女とはアラクネの巣で一瞬会っただけで、しかもアバターの姿としてだったが、あの和装で黒髪を垂らした女性が、目を細めてこちらにつつ、と言い寄るような錯覚を覚えた。

 だがここでたじろいでいては、弔花に格好をつけた手前、示しがつかない。俺は『血濡れの姉妹』のリーダーである鏡花に、泰然とした様を装いながら応えた。


《願いごとの内容にもよるけどな》


 彼女はそのメッセージを読むと、即座に返答をしてきた。こういうときに間断を置かずに会話を進めるのは、どうやら彼女の癖のようだった。


《安心してください。別にあなたの大事なパートナーを差し出せとか、それに代わる金品を要求するわけではありません。――ただ、あなたの命が欲しいだけです》


 思わず噴き出しそうになった。

 いきなり殺人宣言とは、もはやレオナスすら超えている。境界線の上にふらふらと立ち尽くす女性の像なんて、簡単に吹き飛んでしまった。盛大にうろたえていると、彼女が言葉を言い添えてきた。


《なにを焦っているんですの? 勿論、ALAの世界での話ですわ。あの監獄から脱出したら、私と勝負なさいラビ。お互いに命を賭けた、一対一の殺し合いですわ》


 ……ああ、そうか。そりゃそうだ。

 少し考えればわかることだが、どうも彼女は本気と冗談の区別がつかないというか、ほんの少しのさじ加減で、冗談が簡単に本気へ転じるような気がして話していて肝が冷える。


《……どうしていきなり?》

《あなたの本性を知りたくなったからですわ》

《本性?》

《ええ。あなたは人が、どういうときに本当の自分をさらけ出すかご存知ですか》


 その言葉はまるで暗い闇の底から、こちらを見上げつつ問いてくるような静かさに満ちていた。

 だというのに俺は、冷たく冷えた刃が、首筋にぴたりと押し付けられているような気持ちになった。《さあな》と答えると、鏡花はそのまま話を続けた。


《危機に瀕したときです。その瞬間が、あらゆる仮面が剥がれ、人が素顔の自分をさらけ出す瞬間なのです。だから私は、相手を痛めつけるのが好きなのですわ。命の危機は、なによりも簡単に、どんな人間の仮面をも剥ぎ取ってくれますもの》

《俺が鏡花に嘘をついていると?》

《嘘なんて誰でもついていますわ。問題は、それが自分にとって許容できる嘘かどうかということです》

《俺は鏡花に嘘なんかついてない》

《それはあなたを追い詰めれば、自然とわかることですわ。人は自分自身にも嘘をついて、すっかり騙されているものです。危機に瀕したとき、思ってもいなかったような仮面の下の、本当の自分を感じたことはございませんこと?》


 そう問われて心臓が跳ねた。彼女の言い分に、心当たりがあったからだ。リムルガンドでのロックイーターとの戦いによって、絶体絶命の危機に陥ったとき、自らの心に湧いた支配欲。あれこそが鏡花の言い分を聞くなら、本当の自分ということになるのだろうか。

 黙り込む俺に、追撃するように鏡花がメッセージは放つ。


《どうやら、心当たりがあるようですね。でしたら理解できるでしょう? 私にとって相手を傷つけるというのは、その相手を理解するための、最も効率的なやり方なのです。そして、むき出しの素顔を知ることで、ようやく私は相手を信じることができる》


 彼女の言い分も理解できた。誰かと手を組むのなら、少なからず相手の素性を知りたいと思うのは当然の感情だった。問題は、その度合いが鏡花は他人よりもはるかに大きいということだった。瀬戸際まで追い詰めて、すべての仮初めを剥ぎ取らなければ他人を信用できない。それは言葉で表せば残酷そのものだが、俺にはどうにも違う印象を抱かせた。


《ええと、それはつまり、俺と交流を持ちたいってことか?》


 即答はなかった。

 本当の自分をさらけ出してもらわなければ手を取り合うことができない。それは言い換えれば、人と接することにとても臆病な、か弱いと言っても過言ではない、彼女の本性を表しているのではないだろうか。

 そう思ってわざとそれを刺激するような言い方をしてみたのだが、どうやら的を射ていたようだ。

 少しだけ間を置いて、鏡花が返答した。


《勘違いしないでください。あなたを通して、成長した妹の心理を理解したいだけです。実の妹に手をかけることなど、できないでしょう?》


 ずいぶん勝手な言い分だった。要するに俺に、妹を理解するための犠牲になれと言っているのだ。

 だが不思議なことに、嫌な思いではなかった。いまのやりとりで鏡花の人となりを少しは理解できた気がしたし、やはりまだレオナスのように吹っ切れた、本物の怪物にはなっていないとわかったからだ。そもそもあいつは、ネイティブを『人』と認識した上で手にかけているのだ。いまだにNPCと判断しつつも、その命すら奪うことに躊躇いを持っている鏡花は、やはりまだこちら側の人間なのだ。


《ああ、わかった。だけどお前の良いようにやらせないさ。勝負っていうんなら、こっちが攻撃したって文句を言うなよ?》

《あら嬉しいですわ。あなたも私と一緒で、サディストの側の人間だったのかしら?》


 からかうような言葉に、かっと熱くなった。

 急いで否定の返信をしようとしたが、遅かった。

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