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《それでは詳しい日程が決まったら、メッセージをください。あなたとの殺し合い、楽しみにしていますわ》


 そう言うと彼女は会話の終了を告げるスタンプを一つ送りつけてきた。可愛らしいクマのキャラクターが、ばいばいとこちらに手を振っているスタンプだ。

 俺は会話が終わったルームを閉じると、ボードから目線を外した。ずっと下を向いていたため、首が悲鳴を上げていた。しかしそれ以上に、精神的疲労が段違いに大きかった。


「……はあ。とりあえず、第一関門は突破ってとこかな」


 ただ囚人仲間を集めたかっただけなのに、とんでもない相手を引き当ててしまったものだ。自分の運のなさに思わず大きく溜め息をつくと、背中を仰け反らせて、大きく伸びをした。


 ALAでも生粋の狂人で有名な血濡れの姉妹とつながりを持ったことが、のちにどういう影響を及ぼすのかはわからない。ただ一つ言えるのは、その狂を、怪物となる一歩手前で、まだである段階で踏み留まらせることができたのではないかという、ささやかな希望が胸を満たし、それに意外と満足している自分がいることだった。


「あの世界で召喚者とネイティブが戦い合う姿なんて、見たくないもんなあ」


 それはALAのサービス初日に味わった、苦い経験から来るものだった。

 初めてシューノに降り立ったとき、レオナスがリーナを犠牲にして街からの脱出を計ろうとするのを見たとき、自分でも何故だかわからないほどに激昂した。ネイティブを、まだ一つの人格を持った人だと認識する前だったというのにだ。


 なぜそこまで必死になったのかを考えたが、答えは出なかった。おそらく、いくら考えても納得のいく答えは出ないのだろう。唯一それらしい理由をつけるとしたら、鏡花の弁を借りて言えば、稲葉翔――そしてラビは、そういう人間だからだ。


 別に善人であろうとしているわけではない。ただ、ずっと夢だったVRMMOの世界で、現実世界の俺たちと初めて出会ったネイティブの交流が、血と血を流しあうようなものになるなんて、どうしても耐えられないというだけだった。


 しかしそれと同時に、俺はあのシューノ監獄の事件を解決した際に、一つの悔いも残していた。安全な狩場へのルートを探索して、召喚者とシューノ住人の激突を回避できた。そこまでは良かったが、そのあとに因縁をつけてきたレオナスを、未熟な俺は殴り倒して黙らせるという結果で終わらせてしまった。


 もしあのとき、もっとあいつの言葉に耳を貸して、どうにか歩み寄っていれば、あいつとの関係はいまとは違ったものになったんじゃないだろうか。リムルガンドでのあの戦いは起こらなかったのではないかと、ずっと引っかかっていたのだ。


「……ああ、そうか」


 そこまで考えて、ぽつりと呟いた。

 ようやくなぜ自分がいま、こんなに満足しているのかがわかったのだ。


「俺はあいつらと、あんな関係になりたくなかったんだ」


 もしかしたらこれは自己満足かもしれない。踏み留まらせることができたと勘違いしているだけで、彼女たちはこの一件が終われば、再び怪物への道を歩み始めるのかもしれない。それでも、自分の力でできる範囲のことをやれた。少なくとも、己の欲求に負けて叫ぶあいつを、殴って終わらせるような結末に今回はしなかった。だからこんなに胸が満ちているのだ。


 俺はロビーのソファから立ち上がり、家への帰路につくことにした。時間はもう十一時を回っている。蜘蛛たちに食われるよりも、よっほど神経をすり減らすPVPを終えて、とにかくだった。


「まだまだやることは残ってるけど、残りは明日だな。BBSへの書き込みも、ひと眠りしてからにしよう」


 ギルドを出る際に、カウンターのお姉さんがこちらに手を振ってくれた。アラクネの巣に捕らえられた初日に、俺の体を気遣ってくれた人だ。それに手を振り返して挨拶をすると、自動ドアをくぐって外に出た。春から夏に変わるこの季節、室内よりは涼しい空気と、心地よい夜風に浸りながら、俺は自宅へ帰り、シャワーを浴びるとそのままベッドに倒れ込んだ。


 ――そして翌朝、凄いことになっていた。

 すっかり頭が冴えた俺は、そのまま昨日の顛末をBBSに書き込もうと専用ブラウザアプリを開いた。すると昨日までは一日30件ほどのレスしかなかったスレッドに、赤枠に囲まれた725という文字が浮かび上がっていた。新着レスが725件ということを意味するその知らせに、さすがに目を丸くした。


「荒らしでもきたのか?」


 正直、ラビという人物はリズレッドの件もあり、かなりヘイトを集める存在となっている。クラウドのおかげで本格的に燃え上がる前に鎮火したと思っていた不服が、なにかの拍子にまた吹き上がり、次スレが立てられるまで白熱してしまったという自体は十分に考えられた。

 内心震えながらスレッドをタップし、なぜこのようなレス数がついているのかの原因を探った。昨日の最後にチェックしたレスから十件ほどは、他愛もない雑談だった。だがその次に投稿されていた二つの書き込みから、すべてが始まっていた。

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