02

「うわぁああん! ごめんなさい! ごめんなさい!」


 その場にいる誰一人として、戦いに水を差した少女を咎めることができなかった。頭に血が昇り、普段は行わないような蛮行に及ぼうとしたウィスフェンドの民たちと、たとえ本当の人間でなくても少女を殺めかけたプレイヤーの両者が、罰の悪い思いに顔をしかめた。

 唯一、少女を覆い守る黄金の髪のエルフだけが、泣きじゃくる子供の頭を優しく撫でた。


「大丈夫、みんな気が立っているだけだ。君が悪いわけじゃない」


 エルフは人族との接触を嫌う。そして彼女は特にその傾向が強いため、本来ならばこうして触れるのすら嫌悪感を抱くのだが、少女を慰める声には、それ以上の優しさが含まれていた。


「スーシエ! 良かった、無事で、本当に良かった……!」


 駆け寄ってきた男が、そう言って膝をつき、スーシエと呼ばれた子を見て叫んだ。リズレッドは少女を解放し、背中を押すと、少女は弾かれたように男に抱きついた。


「パパ! ごめんなさい、わたし……!」

「いいんだ……パパが悪かったんだ。ごめんよ」


 その様子を見ていた市民と召還者は、無言で十字路から散り散りに去っていった。

 だがそれは毒を抜かれたというわけでは決してなく、単純に子供の前で血みどろの闘争を行えないだけだという感情が、くすぶった怒りを感じさせる表情からありありとわかった。お互いの確執は一旦の休戦を得られたが、決してなくなったのではなく、むしろより深い溝となっていた。


 少女の父親はリズレッドに対して礼の言葉は述べず、会釈を一つついて家の中へと戻っていった。無作法と言えるその対応だが、彼女はそれを怒るでも憐れむでもなく、淡々と見つめていた。ウィスフェンドに住む住民たちから向けられる視線には、もう慣れていた。彼らの辛辣ともいえる態度は、自らの指に光る銀の指輪にその根拠を置いていた。


 召還者とネイティブがバディとなった証であるそれは、召還者派と反召還者派で二分された現在の城塞都市では、最も煙たがられる存在なのだ。だが唯一、救った少女だけが閉まる戸の向こう側で、お礼を言うような眼差しで見つめ続けていたのも、彼女は見ていた。


 人族はいまだに好きにはなれないが、いまは亡き祖国を離れて旅した一年が、その返礼だけで、心に暖かなものを感じる程度にはリズレッドを変えていた。それも全ては一週間前にこの世界を去った、一人の男のおかげだった。


 薬指にはめたリングを優しく撫でた。どんなに都市の人間や召還者たちから蔑まれても、これだけは外す気にはならなかった。彼は必ずまた現れる。そして再びバディとして世界を旅する日がくる。自らの指に輝くこの指輪が、それを約束してくれているような気がした。


「こんにちはー」


 そのとき、ふいに後ろから声が響いた。

 あけすけで、敵意を感じさせない声音だった。だが、突然暗がりの中で背後から何者かが現れることは、戦場では最も危険な状況である。騎士団時代に研ぎ澄ませた反射神経のもと、リズレッドは剣を構えて即座に相手を視認した。


「ちょ、待って待って。敵じゃないって!」


 手をぱたぱたと振りながら慌てた様子で弁明するのは、奇妙な髪の色をした女だった。リズレッドには馴染みのない色だが、それは現実世界ではピンクバイオレッドと呼ばれる色で、ショートのボブカットで揃えた前髪が特徴的だった。


「……その奇妙な出で立ち、召還者だな」


 召還者はたとえ姿形や服装がネイティブと同じでも、立ち振る舞いや雰囲気から、すぐに看破することができた。そういった意味では、いま相対している相手は、姿形すら異色を放っており、もはや判断する必要すらなかった。


「ぴんぽーん。いやあ、こんな髪してると、やっぱりこの世界の人は警戒するよね」

「私になんの用だ」

「あはは、なんか聞いてた話と違って、随分刺々しいなあ。ええと、リズレッドさんで合ってるよね?」

「……なぜ私の名前を知っている」


 あくまでも警戒を怠らず、リズレッドは注意深く彼女を見ながら訊いた。眼前の女性はそんな彼女に対して、妙に芝居掛かった動きで眉を寄せながら困ったように笑うと、告げた。


「はじめまして、私の名前はマナ。とある人から、伝言を預かってきたんだ」


 強く降りしきっていた雨はいつの間にか小雨となり、突然の来訪者とリズレッドの二人は、ぬかるんだウィスフェンドの大地の上で、お互いに顔を付き合わせていた。


 ――同時刻、同じくウィスフェンドの中央に位置する小高い丘の上にそびえる宮殿で、二人の男が大窓に映る夜の都市を見ていた。広大な庭園と噴水に囲まれ、門からまっすぐ伸びる、塵一つない白い石畳が導くのは壮麗なバロック調の建物。そこは代々、城塞都市の領主が居を構えてきた邸宅兼都市の運営本部だった。


「今夜も荒れるな」

「この問題が解決しなければ、騒動はもっと大きくなりましょう」


 夜の街からは、そこかしこで怒声が響いていた。無論、ここからそれを聞き取ることはできないが、異様な雰囲気に包まれているのだけは否応無く理解できた。

 分厚い天板のテーブルを挟み、竜の皮をあしらって作られた特上のソファ二対に腰掛けるのは、白髪と立派なカイゼル髭をたくわえた筋骨隆々の壮年期の男――バッハルード――と、


「二人でいるときくらい、敬語はよせ、バッハルード」


 金髪の髪を横でロールした、いかにも貴族然とした男だった。だが体格はバッハルードと遜色なく、たくわえた顎髭と共に、領主の威厳を最大限に放出していた。

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