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 攻撃を開始する俺を前に、奴は二つの拳を握り合わせ、ハンマーのように振り下ろしてきた。それを回避しつつステータスを確認すると、見慣れぬ数字が、刻々と時を刻んでいた。


 2:15を経過したそれは、なおも規則正しくゼロへとカウントを進める。おそらくこれが、あの声が最後に発した、俺に残されたチャンスの残り時間だった。次にレベルを確認すると、ラビ・ホワイトの名の横に、78という数字が明示されていた。


 もとのレベルは26なので、先ほどの三倍の力が、今の俺には備わっていることになる。竜亜人の実力はおそらくリズレッドとほぼ互角。だとすれば、レベル50台である相手に対して、大きな差が生まれていた。


 実際、奴からは最初に感じたような脅威はもう伝わってこなかった。だが気になるのは、声の主が最後に語っていた一言だった。

『力には代償が伴う』……その言葉が、どのような意味を持っているのか計りかねていたとき、奴の右腕が風を切り、鉄槌となって俺を打った。避けようと思えば避けられたが、不思議と受けてやろうという気になったのだ。今の俺が奴の攻撃にどれだけ耐えられるかを知りたかった。


 そして予想通り、レベル差が約20も開いたことで、ダメージはほとんどなかった。バーが減少するが、脅威と言えるほどのものではない。だが俺は顔をしかめた。攻撃によるダメージによってではない。予想だにしなかった結果が我が身に降りかかり、呆気に取られたのだ。


「ぐあ……ッツ!?」


 

 一瞬、何が起こったのかわからず、低い呻き声を漏らした。あり得ない。プレイヤーに痛みすらフィードバックするなんて、ゲームの仕様を完全に逸脱している。一年間このゲームをプレイしてきて、何度もダメージを負ったが、何かが触れた程度の感触が残る程度だった。しかしこれは違う。現実世界と変わらぬ痛覚が、脳へ直接受信されたような感覚だった。


 ザ ザザ――


 再び視界が揺れた。そして心なしか、視界がさらに鈍色を増した。


「これが……声の主が言っていた『代償』なのか……!?」


 途端に恐怖が蘇った。『力』の代償が『痛み』だとすれば、それは本当に現実と相違ない体験を、俺に与えることになる。

 攻撃を受ければ痛みが走るということは、もしHPがゼロになった場合はどうなるのだろうか。想像した瞬間、背筋がぞっとなった。


 昔、何か本で読んだことがある。人間は実際がどうであれ、脳が現実だと理解した現象はすべて真実として反応すると。夢のなかでどんなに怪我をしても痛みは感じないが、もし痛みを感じるとしたら……そしてその結果死ぬことがあれば、実際に死亡するの生き物なのだと。


 だが無論、それはあくまでも仮説でしかなかった。夢で痛みを感じるなどという事例がないからだ。しかし今、それが現実として起こっていた。ALAという夢の世界で、リアルと全く同一の痛みを伴うことよって。


『どうした……急に威勢が落ちたじゃないか……?』


 竜亜人は訝しげに首を傾げた。

 奴からしてみれば、急に自分を圧倒する強さを手に入れた相手が、理由もわからず今度はうろたえだしたのだ。警戒してしかるべきだろう。


 そしてその疑念を、俺は最後まで誤魔化しつ続ける必要があった。

 召喚者は痛みを感じず、何度も生き返る存在。その前提条件があるからこそ、俺たちは化物じみた魔物たちと対等に戦えたのだ。もしそれが覆ったと知られれば、奴は嬉々として迫ってくるだろう。


 なんの戦闘経験もない俺たちがこの世界で生き残れているのは、痛みを感じないからに他ならない。無痛だからこそ無茶な戦い方もできたし、その結果、ネイティブたちが驚くような戦歴を上げることができたのだ。


 ……だがいまは違う。攻撃されれば相応の痛みを覚える。それは戦意を削ぎ、動きを鈍らせる。不死身の戦士を、ただの大学生へと還らせる。事実、俺は先ほどのなんてことのない攻撃を受け、ダメージ以上の恐怖で心の底から震え上がりそうだった。


「別に、なんでもないさ」


 いたって何事もないように告げた。現実世界に残してきた体が、心臓をばくばくと動かしているのがわかった。悟られるな。いまここで心的有利を捨てれば、それだけ勝利が遠のく。リズレッドに危険が及ぶ確率が高くなる。


 心の中で憎悪の自分が囁いた。


『痛ぇな。だが人間はそれを糧に、戦いに快楽を見出すこともできる生き物だ。痛みを覚えれば覚えるほど脳内物質がそれを補おうとする。そしてその結果、俺はさらに強い戦士になれる。リズレッドを守るためには、必要なことさ』


 ……ああ、そうだな。いまこの場で痛みに耐えられないようじゃ、彼女と比肩する男になんかなれる筈がない。痛みを高揚に変えて、さらに前へ進む力へするんだ。


「……さあ、戦いを再開しようか、ロックイーター」


 そう言って奴に向かって突撃した。不思議と心の声に従えば、痛みも恐怖も消えた。奴を倒すための必要な条件が次々に揃っていく感覚に歓喜すら覚えた。だが考えてもみれば当たり前のことだった。殺し合いという非常識な舞台に立っておきながら、常識的な思考で挑むほうが間違っていたのだ。相手を叩きのめし、命を奪うことに悦びを覚える。許されざる行為だが、いまの俺には何よりも必要なことではないか。リズレッドを救うために退却する? なにを馬鹿なことを!


『殺せば済むことじゃないか』

「殺せば済むことじゃないか」

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