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  ◇


 翌朝、アラームの音で目を覚ました。

 重たい目蓋を開き、ぼやけた視界で宙を見る。


(ここは……現実か)


 ALAは一度のログイン料金が高額な分、プレイ時間は設定されていない。そのため、ゲーム内の宿屋で寝ることも多く、時々このように、自分かどちらの世界にいるのか、すぐに判断能力できないこともある。


 勿論、込み合う昼間に寝落ちなどしたら強制的にログアウトを食らうこともあるが、客の少ない夜間なら、かなり自由に時間を使うことが可能なのだ。ポッドの中では常に寝ている状態なので、ALA内で寝ることは現実で就寝することと何ら変わらない効果もあるので、体調面でも問題ない。


 何を隠そう、昨日も宿屋で寝ようと画策していたのだが、俺が目覚めたベッドから見える光景は、《黄金の箒》の天井ではなく、小ぎれいな白の壁紙が貼り付けられた、現実の部屋の天井だった。


 七時を知らせるアラームがボードから鳴り、それを手慣れた手つきでオフにする。すると画面に次々と体のバイオリズムを示す数値が表示される。

 二〇三〇年から施工された、体内注入を義務付けられたナノマシンが二十四時間体内を巡り、仔細に体調の管理を行っているのだ。


《精神的疲労の増加が考えられます。今日はリラックスした一日を過ごすと良いでしょう》


 血中のPEA濃度からストレス値を検知したナノマシンが、昨日の出来事を観測していたように、そんなメッセージを流していた。


「リラックスした一日……か」


 ボードをベッドの上に戻すと、再び視線を天井に戻してぼんやりとそれを見つめ続けた。


「別に、ストレスって訳じゃないんだけどな」


 一日経って改めて、リズレッドと喧嘩したのだとはっきりと自覚できた。一年間、何事もなく旅をしていたのが嘘のように、するときは呆気なくするものだ。

 我ながら頭に血が昇っていたとはいえ、もう少し言いようはなかったのかと自責の念に駆られる。だが何時までもそれを考えていては、今度はロズとの約束をすっぽかすことになる。俺は気だるい体を無理やり起こすと、顔を洗い、パーカーを羽織って外出の準備を整えると、そのままギルドへと向かった。


 地下鉄に乗ってギルドへ到着すると、まだ朝だというのに多くのプレイヤーが集まっていた。

 即ポッドに向かう人もいれば、通路で仲間を待ち合わせをする人などもいた。俺はすぐにポッドに入る気になれず、約束の十時までまだ時間もあったので、ひとまずロビーをぶらつくことにした。


 ロビーは今日のクエストを成功させるため、ボスモンスターに対して各々の立ち回りを再確認するプレイヤーたちがテーブルを囲み、熱い議論を繰り広げていた。だがその中に、彼らとは別に立て札を置いた『露天商』と呼ばれる人がいることに気づく。


『翡翠 @1000円 売ります!』と書いた紙を貼り付けて、来客を待つ彼らはALAプレイヤー内で『露天商』と呼ばれ、リアルマネートレードで収入を稼ぐ人たちだ。

 翡翠とは回復スキルの効果を高めるアイテムで、単純に綺麗なこともあり、贈り物にも重宝される。そこでふと、昨日知り合った少女の顔が浮かんだ。おそらく僧侶であるアミュレには、翡翠はあって困ることのないアイテムだろう。昨日のお詫びとして持って行くには丁度良いかもしれない。


「すいません、一個……いや、二個欲しいんですが」


 最初はアミュレの分だけ買おうと思ったが、寸前のところでもう一つ買い足すことにした。無論、それはリズレッドの分だ。癒術を使えない彼女だが、単純な贈り物としても価値がある翡翠なら、昨日の白熱してしまった口論の溜飲を下げることができるかもしれない。


「まいどー、受け渡し方法はどうする? 直接? それとも間接?」

「時間がないんで、直接でお願いします。場所はウィスフェンドで」

「あいよー」


 そう言うと露天商に、自分のALA内での名前を記したメモを渡した。

 ログイン代と合わせて五千円の出費は大きいが、今回だけは目をつむろう。それに俺も売れそうなアイテムがドロップしたときは、RMTで小銭を稼いでいるので、意外と現実世界の懐に不自由はなかった。


 彼が先ほど訊いた『直接』と『間接』とは、アイテムの譲渡方法を示すものだ。『直接』とはその名の通り、プレイヤー同士がALAの世界で直接会ってアイテムを渡す方法だ。だがこれはもちろん、二人が同じ場所にいなくてはいけないという制約がある。広いALAの世界でそれを行えるのは稀なことで、大半は《鷹の翼》という、アイテム運搬を生業とするネイティブのサービスを利用する。


 名前の通り鷹が足にアイテムをくくりつけて、街々に設置された支店に物品を届けてくれるのだ。無論、これも輸送時間はかかるが、人の足で届けるよりは相当早い。


 対して『間接』とは、名前を知られたくないプレイヤーが選択する譲渡手段だ。時間を示し合わせて特定の場所にアイテムを放置し、買取主がそれを拾う。リアルバレを嫌う傾向のあるALAでは、こちらのほうが一般的な手段だったが、なにせ今は時間がなかった。

 露天商はお金を受け取ると、笑みを浮かべて言った。


「俺もウィスフェンドの近くにいるから、すぐに届けられると思うよ。あんたツいてるな」

「ウィスフェンドの近くに野営を?」

「いや、小さいけど街があるんだよ。ちゃんと《鷹の翼》の支店もあるから、すぐに送っとくぜ。多分、一時間後くらいには届いてるんじゃないかな」


 そう言うと彼は翡翠を送るために、荷物を片付けてポッドへ向かった。

 俺も少しだけロビーを散策したが、他に目ぼしいものがないことを確認すると、受付のお姉さんにクレジットを払ってALAの世界にダイブした。

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