17

  ◇



「遅い」


《黄金の箒》に戻った俺を、リズレッドはしかめっ面で出迎えた。

 部屋は俺が一部屋、リズレッドとアミュレが二人で一つの部屋を借りていたが、いま彼女は俺の部屋で腕を組んで立っている。

 アミュレがとっくの前に寝床に就いているため、込み入った話でそれを妨げたくなかったからだ。彼女には話を聞くと言ったのに約束を破ってしまい、申し訳ない気持ちが湧く。

 それだけに怒ったという訳ではないだろうが、リズレッドの表情はいつにも増して険しかった。


「君はいつからギルドで報酬を貰いにいくのに、こんなに時間がかかるようになったんだ?」

「……すみません」


 自室のテーブルの上には、アミュレを囲んで夕食を迎えるための準備が整えられていた。おそらく数時間前は出来立てだっただろう豪華な食事の数々は、すっかり冷え、物寂しく机上に並べられていた。いくらか食べた形跡はあるので、アミュレが先に済ませたのだろう。


 時刻はもう十時を周っており、別れたときから三時間が経過していた。しかも悪いことに、俺からは先ほどの祝賀会の残り香が放たれており、それを敏感に察知したリズレッドがぐい、と体を寄せてきた。


「しかも酒の臭いがするな。私たちとの夕食はキャンセルして、ギルドで楽しく呑んでいたという訳だ」

「いや……ギルドに偶然クラウドがいてさ……それで……」

「ああ、あのパートナーに卑猥な服を着せようとした召喚者か?」

「っ」


 クラウドの名を出した途端、彼女の表情がさらに険しくなる。俺は自分の失言に後悔した。例の一件はリズレッドも把握していることを、すっかり忘れていたのだ。

 言葉に詰まらせて「あ」や「いや」など、歯切れの悪い応えを繰り返す俺を、リズレッドの碧眼が射抜く。

 しかしそればかりでは埒が明かないと思ったのか、彼女は溜め息をひとつ溢したあと、組んでいた腕をほどいて、呆れたような口調で言ってきた。


「……まあいい。どうせ君のことだ、何か厄介ごとに首を突っ込んでいたんだろう?」

「……許してくれるのか?」

「君の返答次第だ」


 間断なくぴしゃりと言ってのける彼女に、いつかのメルキオールと会ったときのことを思い出した。《スカーレッド・ルナー》の、あの返答を誤れば即斬って捨てると言わんばかりの眼光である。


 だが俺も、少なからず反論したい気持ちがあった。大事な新メンバーを決める食事の日に、違う男と呑んでいたのはこちらの落ち度だ。だがここまで遅くなったのはあのノートンという男が原因であり、それを全て自分のせいにされるのはどうにも腑に落ちなかったのだ。


 厳しい視線が向けられる中で、俺はギルドで起こった事の顛末を話した。

 彼女はそれを黙って聞いていたが、終わる頃には呆れ顔をそのままに、


「……つまり、売られた喧嘩を易々と買ったと?」


 すべての話の総括とでも言うように、そう斬って捨てた。


「……それは、極論に過ぎないか?」

「……はあ、ラビ、この際だからギルドというものがどういう場所なのかを、改めて説明しておこう。君が赴いた先は、理性的な者たちが論理整然とした議論を述べ合うような綺麗な場所ではない。どの街でも、親は子供にギルドには近づかないようにきつく言い聞かせるし、大人になっても近寄ろうとしない者だっている。理由はわかるか?」

「まあ……客層を見ればな」

「……そうだな、ギルドに用がある者は、血生臭く、野卑な冒険者が大半だ。だがそれも仕方のないことだ。生きるか死ぬかの戦いで日銭を稼ぐ者たちに、常識的な振る舞いを期待するほうが筋違いなのだ。そんなまともな神経では、凶暴なモンスターを相手取ることなど絶対にできない。だがこの世界は、そんなネイティブがいなければ魔物に制圧されてしまうくらい危うい情勢だ。だからこそ疎まれつつも、どの街にもギルドというのは存在しているのだ」

「……つまり、そんな所に行って、簡単に喧嘩を買った俺が悪いと?」

「そういうことだ。今回の一件は、君の根本的な常識感の違いに端を発したものだろう。正直、君と共に旅をしていると、それがよくわかる」

「……どういう意味だ?」

「君たちの世界はおそらく、とても平和なのだろう。魔物もいなければ、他人が自分の金を盗もうと目を光らせていることもない。飢えて死ぬこともなければ、悪人に騙されて死ぬこともない。私はその世界がとても羨ましいと思うし、そこで育ったラビの優しさが好きだ。……だが覚えておいて欲しい、この世界はそんなに甘くはない。優しさが身を滅ぼすことだってある」

「優しさを捨てろってことか? ノートンみたいな奴に……大切な人を馬鹿にされても、黙ってへらへら笑ってろと?」

「悪意を持って自分に近付く者など、これから数えきれないほど出てくるぞ」

「……っ」

「君はそのひとつひとつを、今回のように力で解決する気か? 《ロックイーター》の件は確かに難儀な案件を任されたと思うが、そこは問題ではない。それよりもまずは、この世界の処世術を君に覚えてほしい。でないといつか、本当に痛い目を見るぞ」

「……なんだよ、俺が悪いって言うのかよ」

「その通りだ」

「……っ……」

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