38

 どくん、どくん


 心臓の音が重たく耳に響いた。俺はこれから人を斬る。何度も、助けるために斬るのだと言い聞かせるが、それでも怖れは容赦なく心に侵入し、刻々と毒を吐いて俺を支配していった。


(リズレッドは、こんな気持ちで戦っていたのか)


 勝手なことに自分が同じ状況になって、改めてその凄絶さに気づいた。『王を救うために王を斬れ』と提案しておきながら、こうして魔物以外に刃を向けて、初めてそれがこんなに怖ろしいことだとわかるなんて、自分が情けない。

 だが俺はなんとしてでも、ここで彼女を斬らなくてはいけない。シャナを助けたいという気持ち以上に、リズレッドと同じ罪を背負う必要があると感じたのだ。彼女にだけ辛い思いはさせない。そう断言した以上、この一刀がその覚悟を試す分水嶺だった。


(……すみません。あなたの右腕、頂きます)


 俺はもう一度深呼吸してから剣を構え――


 ザン


 ――やるべき事を果たした。


 その後は、そこで小休憩となった。

 斬った瞬間にリズレッドがポーションによる治療を行ったが、容体を経過観察する必要があった。

 血は一時噴き出たものの、今は切断面は綺麗に閉じ、初めからなかったように、彼女の右肘から先は虚空を映している。

 メルキオールはそんな彼女に付き添うように横になっていたが、いつの間にか本当に眠りに入っていた。子供の彼が、今日一日で体験したことを考えれば、良く頑張ったと褒めてやりたかった。

 そして情けないことに、俺自身への精神的ダメージも、小休憩を取らざる得ないほど大きなものだった。斬る際に剣から伝わる肉を裂き、骨を砕く感触が、生々しく手に残っていた。ポーションをかける寸前まで溢れ出ていた彼女の血しぶきが、脳の記憶領域に一瞬で焼きついて離れなかった。

「初めはみんなそうなるんだ」と、嘔吐感で崩れ落ちた俺の背中をさすりながら、リズレッドは諌めてくれた。それがなければ俺は、眼前にイエローで大きく表示された『警告:プレイヤーに重大な精神疲労が発生』というウィンドウを消すことができず、強制ログアウトされていただろう。

 魔物を斬るときと人を斬るときで、ここまで差があるとは思わなかった。もしかするとALAのシステムが、魔物を狩るときだけ罪悪感にセーフティをかけているのではないだろうか。そう思えるほどの体験だった。

 幸いだったのは俺の読みが当たり、シャナの体は、切断後にゾンビ化を示す変色が止まったことだった。それを確認して心の底から安堵した。人様の体を傷つけておいて失敗などしたら、本当にどうしていいかわからず、呆然と立ち尽くしてしまっていただろう。


「ありがとう。だいぶ落ち着いた」


 冷たい石の壁にもたれながら、俺とシャナを介護するリズレッドに礼を言った。あのときの感触を上書きするように、彼女は優しく手を握りながら「おつかれさま」と柔和な声で言ってくれた。

 人を斬って労いの言葉をかけられることに不思議な違和感を覚えたが、俺はその気遣いに感謝した。


「人なんて斬るものじゃないな」

「全くだ」

「……シャナ、やっぱり怒るよな」

「そのときは、私も一緒にどんな罰でも受ける」

「……サンキュー」

「ん」


 シャナの看病に移ったリズレッドが、手で熱を計りながらそう言ってくれたのが嬉しかった。

 その後ろ姿を眺めていると、唐突に疑問が湧き、つい口から放り出た。


「リズレッドも、人を斬ったことがあるのか?」


 自分でも何故そう思ったのかわからない。だが訊きたかった。彼女もあのおぞましい体験をしたことがあるのかを。

 その質問に対し、リズレッドは「ああ」と短い言葉で返してきた。樽の水に浸した布をしぼり、シャナの額に乗せたあと、振り向いて、今度は俺に訊いてきた。


「軽蔑したか?」


 感情を伴わない瞳だった。

 俺はその双眸から目が離せなくなった。離したらなにかが終わると直感した。

 おそらく彼女は、このような質問を何度もされてきたのだ。だがそれは、自分のためではなく国のため、誰かのために剣を振るった結果なのだと、確信を持って言える。

 しかし当たり前だが、それを快く思わない人間もいる。そういう人たちから敵意を向けられることは、騎士である彼女には日常茶飯事なのだろう。何度もできるかさぶたを障るような、無感情の瞳がそれを物語っていた。


「いや」


 俺は先ほどの彼女と同じように短い言葉で返した。本当のことを言うと、少しだけ怖かった。一瞬だが、人を殺したことのある彼女が、全く異質の存在のように思えた。だがそれは向こうも同じことだ。召喚者という不死の存在など、本当は怖いに決まっている。俺たちは二人とも、どこか似ていて、全く違う価値観を持つ者同士なのだ。だがそれでも一緒に歩もうと誓ってここまで来て、俺は彼女と同じ罪を背負った。その事実の前に、長ったらしい返答は不要な気がした。


「……そうか」


 少しだけ安堵したように、リズレッドは自虐気味に笑った。

 夜の闇が染みわたる倉庫の中で、俺たち二人の間に、見えないなにかが結ばれた気がした。


 しばらく経ってシャナが目を覚すと、自分のなくなった右腕を見て愕然となり、凝視した。

 俺はたまらず精一杯の謝罪をする。


「すみませんでした!!」


 エルダーの人たちに通じるかわからないが、頭を床につけ、全力で土下座した。彼女の顔が怖くて見れず、額をすりつけて、逃げるように目をつむった。体全体が震えるようだった。

 少しして、頭上から彼女の声が響いた。


「顔を上げてください」


 落ち着いた声音だったが、それが認許からなのか憮然からなのかは判然としない。それを確かめるためには、俺が顔を上げて彼女と向き合う必要があった。

 怖る怖る額を床から離し、彼女を見た。そこには、


「……」


 無表情で俺を見下ろすシャナがいた。

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