アーク・ライブ・アブソリューション

赤黒 明

第一部

01

『このゲームをクリアした奴には一億ドルやる』


 学校から帰り、居間で夕飯を済ませていた俺の耳に、そんな言葉が入ってきた。


「……ん?」


 テーブルに置かれた食器からテレビへ目を移すと、夜のニュース番組のテロップには『アラブの石油王、衝撃の発言』という見出しとともに、見るからにそれらしい格好をした男が、満面の笑みを浮かべて喋っているところだった。


「え、なになに? なにこれ?」

「さぁ? でもちょっと面白そうだよな」


 一緒に食事をしていた妹も一億ドルという言葉には流石に興味を引かれたのか、ぐいぐいと食いついてきた。

 俺たち兄妹の同様をよそに、画面に映った男――バルロン・アーシュマ――は、話を続けた。


『お前らいま西暦何年だと思う? 二○四四年だ。なのにまだ車は空を飛んでもいないし、人工知能を搭載したロボットも誕生してない。正直、俺はかなり落胆している』


 そう言って(無論、本人は外国語を話しているが、テレビが流暢な日本語に自動翻訳してくれている)肩をすくめて落ち込むそぶりをみせると、そのまま身を翻して手を大きく振り、カメラをそちらへ向けるように促した。

 視点が右へ移動すると、そこには白いポッドのような機械が置かれていた。


『こいつはお前達を異世界に転送する装置だ。異世界っつってもあれだ、本当の異世界じゃなくて、仮想世界だけどな。お前達VRMMOって知ってるか? 一昔前に創作で流行った題材なんだが、人間の五感すべてをバーチャルリアリテイ上に展開して、現実と変わらない感覚でゲームの世界を楽しめるってスペシャルな代物だ。俺はそれを作った』


 彼の発言の荒唐無稽っぷりに思わず唖然とした。俺もアニメやゲームが好きだから、ほんの二十年ちょっと前にそういうものが流行ったのは知っている。だが現実にその技術を実現するのは不可能だった。視覚や聴覚はかなりリアルに再現できたらしいが、触覚や嗅覚などの脳へ直接アクセスしなくてはいけない情報は、当時の技術では再現不可能で、正直、今の技術を用いても不可能だと思う。


『馬鹿じゃねーのと思ったそこのお前、お前こそ馬鹿だ。俺を誰だと思ってる? 石油王だぞ。基本、金さえあれば技術の壁なんてのは無理やりこじ開けられるんだ。俺は昔からゲームが大好きでな、特に日本のゲームに目がない』


 あ、馬鹿だこいつ。俺は確信した。


『だがちょっとばかり金がかかりすぎてな、懐が寂しいことになった。だからこのゲームを使って金儲けができないか考えた。考えてもみろ、現実と変わらない感覚で仮想空間に入れるんだ。上手いこと企業にアピールできれば、それこそ製作にかかった金額なんて簡単にペイできる。優勝者に配る一億ドルはその先行投資ってやつだ』

「へぇ、仮想空間の技術ってそんなにお金になるの? お兄ちゃん?」

「あー、まぁ確かにそんなことができたら、世界がひっくり返ると思う。まぁ、できたらの話だけど」

『今はこの一台しか完成していないが、これを量産し、来年には各国にアミューズメント施設を作ってそこで稼働させる予定だ。家のベッドで寝転びながらできねぇのかよ! ってツッコミを入れたそこのお前、すまん、流石に家庭用まで筐体を小さくするのはまだ無理だった。だが、このプロジェクトが成功したら、次はどうなるかわからねぇぜ? じゃ、詳しい情報はこのあとネットにアップするから、楽しみにしててくれよな!』


 そう言って、ニュースの緊急特報は幕を閉じた。

 金持ちの道楽か。俺なんて将来のことを見据えて、低賃金で働かされるのが見えてるのに、毎日勉強漬けの毎日を送ってるというのに、気楽なものだ。

 だけど一億ドルか……日本円にしたら百億円を優に超える金額だ。翌年に税金で半分取られるとしても、人生に余裕を持たせるには十分な額である。

 俺は夕飯を済ませると、自室のパソコンで詳細な情報を探ることにした。すでにネットは大混乱となっており、


『一億ドルってマジ?』

『VRMMOとか古ッ! やっぱ外人は流行が遅れてるわ』

『石油王ってやっぱすげー!』


 といった書き込みに溢れていた。

 そんな掲示板に目を通していると、あの石油王が言っていた公式ページに、情報がアップされた。


 《アーク・ライブ・アブソリューション》

 この世界であなたはひとりの冒険者として、第二の人生を得ます。

 限りなく人間に近い思考能力をもったネイティブと交流を築くもよし、

 ひとり流浪の旅の中で、世界の美しさに酔うもよし、

 生産職に精を出すも、魔法を極めるも、剣の道を追求するも、

 すべては第二のあなたの選択次第です。

 ですが忘れないでください、この世界に正解はありません。

 あなたの選択した道が、この世界を生き抜く唯一の真実です。


 ※プレイ中の行動について、運営はある程度のモニタリングを行うことを了承ください。

 ※ネイティブ(アーク・ライブ・アブソリューションにおけるNPC)は非常に高度な精神アルゴリズムを有しており、プレイヤーに心的害を与える場合もございます、。ご注意の上、ゲームをお楽しみください。


「……なるほど、プレイヤーの行動をビッグデータに蓄積して、精神学やマーケティングの分野に売り込むつもりなんだな」


 一億ドルという奨金額も、多くのテストケースを募るための撒き餌だろう。なんたって現実と変わらない世界で、人間全ての行動を観察できるのだ。しかもバーチャル上の行動はすべて機械が集計してくれるから、人的時間も経費もかからない上に、情報も正確となれば、そこから得られる成果も多大だろう。

 そして気になる稼働日については、来年の春と明記されていた。

 丁度良い、俺はいま高校三年の夏だ。受験勉強のスパートをかけるこの時期に、こんな面白いゲームが稼働されても困ると思っていた。

 初めは半信半疑だったこのゲームに、俺は徐々に期待を高めていった。奨金額もそうだが、それ以上に、MMORPGというものが本当に来年実現するのかもしれないという思いが、胸を沸き立たせたのだ。


 そして一年が経った。

 無事志望の大学にも入学し、晴れて大学生となった俺は、地方から東京に引っ越し、一人暮らしを始めていた。そして、


「ついにこの日がきたぜ……!」


 大きなトレーニングジムのような建物の前に立ち、鼓動は頂点まで高まっている。

 二○四五年、アーク・ライブ・アブソリューション 創世。

 そんな広告がでかでかと掲げられているここは、VR筐体が百台設置されている施設、通称『ギルド』だ。

 日本には百件、全世界に一万件を創設したというのだから、資本の力おそるべしである。

 店内に入ると、受付のお姉さんがお辞儀をし、案内をしてくれた。


「ようこそいらっしゃいました、今回冒険するのは始めてでしょうか?」

「はい」

「かしこまりました。それでは、簡単なご説明のあと、ギルドへ登録させていただきます」


 おお、なんか本格的だな。まだアークの中に入ったわけじゃないのに、早くも現実感が薄れてきた。こういう演出も欠かさないとは、石油王め、わかっている。

 お姉さんは料金プランや、ダイブ中の注意事項など、色々な説明を一通りしてくれた。中でも感心したのは、ゲーム内で死ぬと強制ログアウトとなるが、プレイ中に五回の戦闘を行うことを条件に、自分で意図的にログアウトした場合は、支払った料金が戻ってくるというシステムだ。正直これだけの施設を運営するのだから、一回のプレイ料金は三千円とそれなりに高い。その分、プレイ時間に制限はないのだが、なるほど、考えようによってはデスペナルティはプレイ料金となるわけだ。だがひとつ気になることがある。


「あの……このゲームって、難易度結構高いんですか?」


 いくらなんでも、無事にログアウトしただけで料金が全額戻ってくるのは破格すぎる。


「本日冒険に出られて無事に戻ってきた方は、今の所〇人ですね」

「ぶっ!」


 思わず噴き出した。稼働初日とはいえ大学が終わってからここにきたんだ。ガチ勢はもう大勢プレイしているだろう。なのに全員が死に戻りとは、とんだマゾゲーである。

 だがここで尻込んでもいられない、そのままギルドカードを発行してもらうと、そのまま奥にある筐体まで通された。

 奥はカプセルホテルのような作りになっており、ログイン中を示す赤いランプが、そこかしこで明滅していた。

 中で頭にデバイスを取り付けた俺は、お姉さんに合図を送る。


「それでは冒険者、稲葉翔さんをこれよりアーク・ライブ・アブソリューションの世界に送ります。お気をつけてお楽しみください」

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