経験した事へのうっぷん晴らし

中村彩香

1話目:食べ物の恨み云々よりも

 これはもう10年位は前になるのかな。私はとある小料理屋の裏方のバイトをしていた。駅前通りの外れに並ぶビルの一階にあって、女将さん・ホール二人・裏方二人(その内一人が自分)・開店前の清掃一人の、計6人の少人数だった。ここに応募したきっかけは、私が将来的に喫茶店を開きたくて、勉強や調理師免許を取る為だった。面接の時に店内や女将さんを見て、

 『やべっ!自分もしかして、場違いじゃね!?』

 なんて思ったが、自分も店を出した身として、応援してあげたいと女将さんが言ってくれ、めでたく採用された。まぁまぁ少し難のある女将さんだったが良くしてくれたし美人だし、バイト仲間の大学生さんやおばちゃんとも仲良くやっていた。女将さんのとあるやらかしを知るまでは……。


 さて、やはり美人な女将さんがいる小料理屋となると、若い方もいたけどやはりと言うのか、おじちゃん達が多く来てくれた。おじちゃん達は、地元で有名な洋菓子屋の社長さん。保険屋の課長さん。果物農家さん等々と中々の客層だったけど、お酒が入ると(入って無くても)陽気なおじちゃん達だった。女将さんだけでなく、従業員である私達にも良くしてくれて、行きつけのバーや焼肉屋なんかに連れて行ってもらった。

 その中で、ある有名なチーズケーキ屋の社長さんというのが、私の事を気に入ってくれていた。素面の時でも、私を見つけると手を振ったり親指を立てて笑ってくれたりした。お酒が入ると、わざわざ洗い場の小窓に椅子を持ってきて、「今日もお疲れさん!」とか「どうだい?最近の調子は?」とか声をかけてくれた。帰り際になると、この後も頑張れよと、泡だらけの私の手に握手したり。ビックリしたのは、奥様とお店に来てくれて、奥様に私の事をこれでもかって位褒めてくれ、結果的に奥様にも気に入って頂いた。

 ある日の事だ。そのチーズケーキ屋の社長さんが帰り間際に、私にチーズケーキは好きかと聞いてきた。好き嫌い無し・甘い物大好きの私は、社長さんに大好きだと答えた。そうかそうかと赤ら顔でニコニコしながら頷くと、今度お店に来た時に、私にチーズケーキを持ってきてあげると言ってくれた。しかも、新作を合わせた全種類を。単純な私は大喜びして、ありがとうございます!待ってます!なんて言って、社長さんを見送った。のだが、それから三ヶ月が経った。本当に単純な私は、ワクワクしながら待っていたのだが、何もなく……冗談だったのかぁとションボリと落ち込み、それから数週間。社長さんがお友達とお店に来た。その時女将さんが厨房に来て、私に耳を疑う事を話した。

 実は社長さん、あれから数日後にチーズケーキを持ってきてくれたのだが、その日私は休みでいなかった。社長さんからチーズケーキを預かった女将さんだったが、私が来るの暫く先だし、悪くしてしまうのは勿体ないと他の従業員と食べてしまったのだ。でも、私が食べてないと言うのもアレだし、ここは私も食べた事にしてお礼を言ってほしいと。

 開いた口が塞がらないとはこの事だ。何故電話の一つもくれなかったのか。何故食べてもいないのに、お礼を言わなければいけないのか。一人の大人として、そんな行動して良いのだろうか。疑問はいくらでもわく。しかし私は超が付くヘタレ。女将さんにキレる事も怒る事もせず、変な騒ぎを起こしたくない一心で、言う通りにしてしまった。食べてもいないのにお礼を言うと言うのは、何とも心苦しかった。

 それから数ヵ月後に私はそこを辞めたのだが、辞めた理由は女将さんを信用出来なくなった為と言うのを、女将さんは知らない。


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