第9話 大魔道士メルキゼデク

 数日後。

 やっとまた周囲の人々の目をごまかして、王子はあの古城を訪れていた。

 最初に彼に会ったあの広間の片隅である。二人はそれぞれ、倒れた柱や崩れた大理石の階段に腰かけている。今は深夜の時間帯だった。

 王子は持ってきた燭台をそばに置き、あの夜出合ったモアブという不思議な男から聞いた話を、男に話して聞かせていた。


 モアブの話は、こうだった。

 かつて、三百年もの昔。

 この地は賢王ザカライアの支配下にあった。

 彼は伝説にあるような血も涙もない王ではなかった。むしろ民衆を愛し、彼らの生活の安定のため、日々、粉骨砕身働くような王だったというのである。

 剣技に優れ、豊かな魔力をその身に蓄え、魔道の技にも精通していた。

 民らは彼を「賢王」と讃え、その治世を喜んでいた。

 だが、彼に近しい臣下のうちにひとりの逆臣が現れた。それが、王子の古い先祖、大貴族アシュクロフト侯爵である。


 彼が何を理由にザカライアに反逆したかは定かでない。

 ともかくも、アシュクロフトはザカライアの良くない風聞をわざと巷間に流すと共に、秘密裏に自分の協力者を集め始めた。さらに、なんのかのと難癖をつけ、あるいはひどい冤罪に陥れることにより、ザカライアの忠実な臣下たちを彼から遠ざけていった。


 やがて、遂にアシュクロフトはザカライアを罠に掛けた。それはザカライアが、とある地方へ視察に出かけた折のことだった。よしみを結んだ仲間の兵たちと、その子飼いの魔道士たちで彼を取り囲み、一気に攻めたのである。


 ザカライアはよくしのいだ。だが、結局は多勢に無勢だった。

 遂に彼を追い詰めたアシュクロフトたちだったが、最後の最後、どうしても王の命を奪うことだけは叶わなかった。ザカライアの魔力の前に、その場にいた魔道士全員の魔力をもってしても太刀打ちできなかったからである。

 仕方なく、アシュクロフトはザカライアを半死半生の目に遭わせた上で、魔道士たちに恐るべき呪いを掛けさせた。

 勇壮な偉丈夫だったザカライアの姿を醜い化け物のように変え、その体と心とを呪術によって幾重にも封印させたのである。


 それは、本来であれば誰も手を出してはならない、禁術に類するものだった。

 禁忌の呪文ことばを知らなければ、有用な呪文も使いこなせないとされる。その呪文は知ってはいても、決して使ってはならぬものだとされていた。そのはずだった。だが、彼らはその禁を遂に犯したのである。

 ザカライアの臣下であった魔道士たちも武官も文官も、捕えられた者は極刑に処され、その他は散り散りに逃げ、地下に潜るよりほかはなかった。大魔道士メルキゼデクも、そうやって命からがら逃げおおせた一人だったのである。

 だが、新たに王となったアシュクロフトの追撃の手は非常に厳しいものだった。見つけ出された者たちは一族郎党、女も赤子も老人も構わずに、すべてむごたらしく処刑されていったという──。

 


 一連の王子の話を、男は黙って聞いていた。

 不思議なことに、以前のように不審げな様子は少しもない。気のせいかもしれないが、もしかしたら以前の記憶が少し戻ってきているのかもしれなかった。


「……そうか。配下は全滅を免れたのだな。なによりだ」


 最後にぽつりと男が言って、王子は自分の確信を強めた。

 思い出している。

 この人はもう、昔のことを相当、思い出しているのに違いない。


「やっぱり……そうなのですね」

 王子は静かな声で言った。

「貴方の名は、ザカライア。その、伝説の賢王だったかたなのですね」


 男は黙したまま答えない。

 だが、「応」と答えたも同然だった。


(なんてことだ──)


 王子は膝の上で両の拳を握りしめた。

 なんと、自分の祖先は王を弑逆しいぎゃくしようとはかった裏切者だったのか。

 しかもこんな優しい人を。民から「賢王」とまで讃えられていた人を。

 こんな人を卑怯野蛮なやり方で陥れ、恐ろしい呪術で命を奪おうとした。


「すみません……」


 蚊の鳴くような声で誰かが言った。

 それが自分の口から出た声だと気づくのに、少しかかった。


「すみません……ザカライア殿。ごめんなさい……ごめんなさいっ……!」


 次第に声が大きくなり、ひび割れていく。

 とうとう堪らず、王子はぱっと顔を覆った。

 ぎゅっとつぶった目の奥がきんきん痛んで、熱いものを滲ませ始める。


 まさか。

 そんな。

 自分の遠い遠いご先祖が、この人をこんな目に遭わせていた張本人だっただなんて。

 信じたくない。だれか、嘘だと言ってくれ。

 だが、とても嘘だとは思えない。

 胸が痛くてたまらなかった。


 王子は座っていた場所から飛びおりると、ザカライアの足元に走り出、床にぴたりと両膝をつけた。

 深々と頭を下げる。


 こんなことをしたって、許されるようなことではない。

 ないが、そうせずにはいられなかった。

 彼にだって、大事な家族や親族、愛してきた臣下たちがいたことだろう。それらをみんな無残に奪って、先祖は今の王国を築いたのだ。彼から何もかも奪ったうえで。こんなにも酷い呪いを彼の身に刻印したうえでだ。

 王子の目からぽとぽとと、熱いものが床にこぼれ落ちた。


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