第7話 噂話
「なんだあ、兄ちゃん。見かけねえ顔だな」
「あ、はい。最近、仕事を探しにこちらへ来たばかりで」
「へえ、出稼ぎかい」
「はい、まあ……そんなところで」
「まっ、いいや。飲め飲め! おい、姉ちゃん! ここ、火酒二人前追加な!」
城下町の中でもひときわ雑然とした界隈の、小さな居酒屋。
王子は今、庶民の衣服を着てマントのフードを深めにかぶり、そこで酔客の男たちから話を聞いていた。いかにも混ぜ物の多そうな安い濁り酒のカップを持って、耳は必死に周囲の会話を拾っている。最初に恐るおそる少しだけ口をつけたが、喉を通るとかあっと胸まで燃えるように熱くなってびっくりした。
居酒屋の客は青年もいれば、中年や老年の男たちもいる。大体は日雇い仕事の連中だが、中にはちらほらと女の姿もあった。傭兵たちや旅人らしい風体の者もいる。
日雇い暮らしの男たちは、一日の仕事を終え、その日稼いだなけなしの金をぱっとこんな場所で使ってしまう。そうすることで日々の憂さを晴らすのが彼らの楽しみなのだろう。
見るからに明るい雰囲気の店の女たちは、大きな尻を振りふり酔客の間をぬっては酒や料理を運んでいる。
ある程度ほろ酔い加減になった客に目星をつけて、王子はそれとなく話を聞きだそうと頑張った。
「んん? 建国伝説ぅ? なんだそりゃ」
「あ~。アレだろ、なんとかいう魔王を倒して、国を建てたのが初代の王様だったとかなんとかって」
「あ、そうです、それです。それであの、魔王はとても悪い奴だったという話だったんですけど。ほかに、別の話が伝わってなかったかと思って」
「んん? そうだっけか。詳しいことは忘れちまったからなあ」
「っていうか、そもそもよく知らねえし」
「まあ、しょうがねえよ。大体、何百年も前のこったろ? 俺らにゃ小指の先ほども関係のねえことだしな」
「え? そうなのですか」
「そりゃそうだろうよお!」
どろんとなった赤い目で、ひとりの中年男がこちらを睨んだ。ゆらゆらと上体を揺らしているところからして、すっかり酔いが回ってしまっているらしい。
「だれが王さんになろうが、俺たち平民になんの関係があるってえのよ。ちょいと税の取り立て方が変わるとか、土地の切り分け方が変わるとかってなもんだろうが。役人の顔はすげ替わるかもしんねえけどな、それがどうしたってなもんよ──」
「そうそう。なーんも変わんねえ。上のほうのお偉い方々が入れ替わるだけ。やれ戦だなんだってどんちゃかやらかしてらっしゃる間は、俺らは家族をみんなつれて、巻き込まれねえように、山や田舎にひっこんどくだけのこった」
「そうそう。下手すりゃ男はみんな兵隊にとられるしな」
一人が持論を披露すると、男たちは次々に会話に加わって来た。
もともと顔見知りの者もいるのだろうが、そうでない者たちも遠慮なく入ってくる。それがこういう場所のありかたなのかも知れなかった。
「まあ、せっかく耕して種をまいたばっかりの畑を荒らされたり、戦争に巻き込まれた村なんかは気の毒なことになるんだがよお」
「だなあ。若い女は奪われるし、それを嫌がった娘は下手すりゃ殺されるしよ。食料は無理やり供出させられるしな。しかも、どっちの軍にもだぜ!」
「俺らはいい面の皮ってなもんだ。流れ矢に当たって死ぬ奴もいるしな」
「そうそう。戦争してると、兵隊どもはどうしたって気が荒くなる。ちょいと行きずりの村に若い女でもいりゃあ、そりゃえらいことする奴らもいるからなあ」
「うんうん」
「……そ、そうなのですか」
王子は聞いているだけで身震いがした。そんな場所に、もしも自分の可愛いあの妹たちがいたらと、想像しないわけにはいかなかったのだ。
「戦争があると……みなさん、大変なことになるんですね」
蚊の鳴くような声でやっと言ったら、「なんだおめえ、そんなことも知らねえのか」「どこからきた田舎もんだよ!」と男らはひとしきりげらげらと大笑いをした。
「お偉い方々の王座の奪い合いなんぞ、俺ら平民にゃただの迷惑でしかねえのよ」
「その魔王との対決? とかいうときだって、その時の平民はそりゃあ、大変な目に遭ったにちげえねえし」
王子はもう絶句して、みんなの言葉を聞いているばかりだ。
「だから別に、俺らは誰が王さんだって構やしねえ。……おっと、これはここだけの話にしといてくんなよ? 明日の朝には広場で公開処刑なんてされちゃあ、かなわねえからな」
言ってぐははは、と男は笑う。
「まあ、今の王さんはそこそこ税も搾り取らねえようにしてくださってるし、うまく
「おお。田舎の奴らでも、どうにか死なねえぐらいに暮らしは立ってるみてえだし。それぐれえのもんよ。なあ?」
「ああ、そうだなあ」
「平和がいちばん。戦争がねえのが、一番よ」
「まあ、武器商人どもは渋い顔してやがるけどな!」
「ざまあみろだぜ。死の商人どもがよ──」
うおおお、と場にいた男たちが木製のジョッキを振り上げ、意味不明の乾杯が始まってしまう。
王子は仕方なく自分も木製のジョッキを持ち上げて苦笑した。
(これが庶民。これが、民たちの感覚か……)
ひしひしと胸に迫るのは、ひどい自責の念だった。
自分は何も知らない。幼いころから王宮の中でぬくぬくと何不自由なく育って、王宮仕えの教師たちから様々なことを習って勉強してきたつもりだった。しかし、自分はこの世界の歴史も、今の状況も、ごく一部のことしか知らずに来たのだ。
このわずかな時間の間にわかったことだけでも、王子を打ちのめすには十分すぎるほどだった。
が、王子は気づかなかった。
居酒屋の隅にいる薄汚れた風体の何者かが、じっと自分を盗み見ていることに。
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