第37話 <ギーニアス視点>
―― 遅い
仕事の話を、するためにあいつの執務室を訪れた。仕事に関する時間には、厳しい奴だ。遅れることはあり得ない。だが奴は、約束の時間を過ぎても現れない。
奴の部下は、突然ギルドを飛び出て行ったとしか言わずにまるで役にたちやしない。
―― なにかあったか
苛立ちが頂点に達しそうになる手前で、奴の身に何かあった可能性を考える。
あいつは短期間で、権力を金を手に入れた。妬み恨みを、腐るほど向けられている。その力と金を手に入れるのに、あいつがどれだけ血反吐を吐く思いをしたかなんぞ悪感情を向てくる連中には関係ない。ただ自分が持ちえないものを、得ている。それが最大の理由だからだ。
―― 探すか
仕事に関しての約束時間を、守らないなどありえない。こないということは、何かしら面倒ごとがあったということだろう。
面倒くせえが、あいつには借りがある。
立ち上がり、ドアノブに手をかけようとした時だ。階下が、騒がしくなったのは。
壊す気か。そうツッコミを入れてやりたくなるくらいの勢いで、扉が開く。
そして血と泥にまみれた、焼けただれた皮膚のシーディスが飛び込んできやがった。
「おい……どうし」
「この子の治療をしてくれ!」
状況を確認する前に、腕に抱いたガキを俺に向けて突き出してくる。
そのガキと、こいつを比べればどちらが重症か判断がつく。どうみても重症なのは、シーディスのほうだ。
「お前のほうが、状態が酷いだろうが。お前が先だ」
「俺はどうでもいい! ……わかった。けど俺はある程度いい。頼むこの子を、死なせないでくれ……」
そこそこ長い付き合いだ。こいつは、俺の性格を知っている。だからだろう。
すぐに了承して、頭を下げてきた。
―― 別人じゃねえか
露骨に焦りの色を、浮かべている。自分が動揺しているのだと、相手に悟らせていることすら気に掛ける余裕をもたない。
腕に抱えるガキを、死なせないでくれ。そう懇願するように口にしたシーディスに、普段の面影などありゃしない。
この歳で商人ギルドの長として、立っている。商人としての才覚を、発揮し他国とも手広く取引をしている。
商人の世界では、いやほかのところでも若造と舐められる年齢だ。それでもこいつが、今の立場を維持しているのはこいつ自身の能力に他ならない。頭が切れ、冷静―― そしていついかなるときも、感情で物事を判断せずに、利益を追求する。
それがまるで、中身が入れ替わったといわれても納得するような変貌ぶりだ。
いったいこいつを、別人にしているこのガキはなんだ?
「依頼ってことで、いいんだな?」
「ああ」
―― 仕事だ
湧き出た興味を、押し込めた。興味の追及は、あとでもできる。
―― こいつはいつから、馬鹿になりやがった
治療を終え、ガキの治療もこなした。
そのあとに俺は、あいつに安静にしていろ。そう何度も、念を押している。そうでもしなければ、ガキの様子を見にベッドから動くだろうと予測できたからだ。
その予測通りあのバカは、俺の言葉を無視して気づけばガキの寝ている部屋にいてガキの様子を見ている。
―― さっさと目を覚ませ。面倒くせえ
治療を終えても、シーディスより軽傷だったガキが目を覚まさない。起きればあのバカも、おとなしく横になっているだろうに面倒なことこの上ねえ。
「おい何起きてんだ。寝てろといったろうが」
ガキのいる部屋の扉を開けると、またベッドの上にいるはずのシーディスが壁に背を預け立っていやがった。
「いいか、聞こえの悪い耳をかっぽじってよく聞け。治癒って言ってもな、かけりゃ全部元通り、全部なったことになるって訳じゃねえんだよ。
お前の体はいま休息を要求している状態だ。ベッドに戻れ。いますぐ寝てこい。行かねえなら、無理にでも、連れてくぞ」
「彼の状態は、どうなんだ」
人が親切にしてやった忠告なんぞ、まるで聞こえていない。そんな面をして、ガキのことを聞いてくる。
「人の心配ってのはな、てめえ自体に余裕ができてからするもんだ。じゃねえとされる方も迷惑なんだよ。覚えておけ」
「ギーニアス、俺は彼の治療をお前に依頼した。依頼主だ。お前には報告義務がある」
自分の状態も、まともに判断できない馬鹿―― それが一瞬で、いつものこいつに戻る。
「何度も言わせるな。俺が治したんだ。完璧にきまってるだろ」
失敗などしていない。外の損傷も、中のものも治している。
こいつが目を覚まさないのは、体が休むことを欲しているからだ。
それに一回も意識を取り戻さなかったわけじゃない。寝ぼけ眼で、瞼を開けてまた眠りについている。
だが随分とガキを、大事にしているらしいこいつにとっては完全に目を覚ます状況にならなければ不安が付きまとうのだろう。
この扉の向こうでは、いつものギルド長としての顔でいる。だがここに入れば、また別人に早変わりだ。気色悪くてしょうがねえ。
「あの野郎……」
いつものことだが、いるべき場所には馬鹿がいなかった。何度目か分からねえ溜め息を、ついてガキのいる部屋に向かう。
「よかった」
扉を開けると、目を覚ましたガキが無表情であいつを見下ろしている。感情の見えない顔だ。だが馬鹿のことを、案じているのが理解できた。
「よかねえよ」
ガキが目を覚ましたのはいいことだ。面倒ごとが、一つ減る。だが馬鹿が、ここにいることは良いことなわけがない。
おもわずツッコミを入れた俺に、ガキがまだ変わらぬ読めない表情をしたまま視線を向けた。
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