第38話 <シーディス>視点



 終わらない書類仕事に、辟易して一息つくために窓際に寄りかかり大通りを眺める。ギルドは大通りに面しているから、この時間だと人通りが多い。


 人が多いのは、好い状況だ。そこに活気が加われば、商売も上手くいきやすい。休もうとしたってのに、また金勘定の事を考え始めている事に気づき息を吐く。


「あれは……」


 人混みの中で、見知った姿を捉える。確か今日は学園が、休みの日だ。どこかに出かけるのだろうか。

 誰かと約束でもして、遊びに行くのかもしれない。あの子の年頃なら、好きな相手を誘い出かけるというのもありえる……。


「レイザード!」

「ギルド長?」


 気づけば仕事部屋を、飛び出し彼の後を追っていた。とはいえ、情けないが走れない。見失わないように、後を追っていき追いついたときにはギルドからはだいぶ離れていた。


 僅かに首を傾げた彼を、見て我に返る。姿が見え気づけば追いかけていたなんて、ガキの様な行動だ。


「こんにちは。俺に何かご用ですか?」


 お前の姿が見えたから、飛び出してきたなんて口が裂けても言えやしない。

 この子にとって、俺は商人ギルドの長でしかない。ただそれだけの関係しかない相手に、そんなこと言われたら困らせるだけだ。


「いや商談が終わったとこでな、たまたまお前を見かけたから声をかけたんだ。

そのお前は何処に行くんだ?」

「街の外にある、湖に行くんです」


 それらしい理由を、口にする。どうやら信じてくれたらしいレイザードは、問いかけに口を開く。


「湖?」

「はい、最近知った話なんですが、6年周期で出現する湖があるらしくて。そこの水が欲しいんです。術を構成してつくる水と、そうでない水で違いがあるかちょっと調べようと思っています」


 その湖のことなら、知っている。とくに金にもならないから、構うこともなかった。彼が興味を持つと、分かっていたのなら事前に調べて教えることもできたというのに。


「一人で行くのか?」 

「はい」


 街の外に行く。そういう彼の傍には、誰もいない。まさか一人で行くつもりなのかと、問えば頷き返してくる。

 そこまで、治安の悪い地域じゃない。レイザードほどの力を持つなら、一人で行っても問題はないだろう。だが完全に危険が無いと言うわけじゃないんだ。一人で行くのを、見送るのは気が引ける。

 いやそれは、言い訳だな。俺が共に、いたいだけだ。


「ついて行ってもいいか?」

「え?」


 予想通り、戸惑いを含んだ声が返ってくる。


「いや、そのだな。その湖の傍に生えている、草の香りがいいらしくてな。抽出して香水に使えるんじゃないかって話が上がって、自分の目で確かめてこようと思っているんだ」


 言い訳がましいにも、程がある。けれどこの子にとって、俺は休日の時間を共にする様な存在ではない。ついて行くのには、それらしい理由が必要なんだ。


 ―― なんでこうなんだかな


 いつもなら意識せずとも、動く口が上手く動かない。商談の時は、こちらの利になる言葉が滑るように出てくる。だというのに彼の前になると、気の利いた話題一つだせやしない。


 もし俺が彼と同じ学園の生徒なら、もうすこし上手くいっただろうか。同じように学園に通い、講義を受ける。共に過ごせた時間も、多かったはずだ。


 ―― 夢物語だ


 彼と俺とでは違う。薄汚れ親に売られ奴隷になった俺と、レイザードは違うんだ。同じように時を過ごせていたのなら、なんて夢物語を考えても意味がない。


 碌な対応が取れていない。最悪だと思いはすれど、最低ではないのは彼の雰囲気が伝わってくるからだ。レイザードは、あまり表情を変えない。だが纏う雰囲気が、俺といるのを嫌がっているように見えなかった。

 少しでも俺といることを、心地よいと思ってくれているのだろうか。それならそれ以上の、僥倖はない。


「あの弟さんていますか?」


 ふとレイザードが、口を開く。俺のことに、興味があるのだろうか。それは嬉しいが、彼の望むような楽しい話題を出してやれそうにはない。けれど嘘をつきたくなくて、いた事実だけを返す。 

 そっけないと、とられてもおかしくない返答をした。だがレイザードは、気にする風でもなく俺を見上げてくる。


 どうやら背丈のことを、ひそかに気にしていたらしい。なぜだがあまり変わらない表情だというのに、すねたように見えて思わず吹き出しそうになる。


 満足な食事などとれない状態で、成長期を過ごした俺でも背は伸びた。大丈夫だと、答えるがまだ気にしているらしい様子を見せる。

 それがおかしくて、今度はこらえきれずに声に出して笑ってしまう。いつも落ち着いた雰囲気のレイザードが、子供のように拗ねているのが愛らしく感じた。


 ―― ああ、やはり幸せだな


 こうやってこの子と、話をしているだけで幸せな気分になる。彼と未来を共に歩むことは、ないだろう。彼のいく先に、俺のような奴はいないほうがいい。

 それでもこうやって一時でも、共に過ごせることだけでも幸福に包まれる。


 ―― 俺の光


 あの時俺に声をかけ、救ってくれた俺の唯一の光だ。


「ギルド長?」


 目を細めて見ていると、顔を上げながら首を傾げてくる。それに何でもないと返して、もう一度頭を撫でた。


 ――さてどうするか


 湖についたはいいが、肝心の目的がない。ただレイザードに言った手前、探さないわけにもいかなかった。適当な香草でも見つけて、それでよしとするか。そう考えていると、レイザードが手伝いを申し出てくる。あげくに勝手に、自分が邪魔だと勘違いし始めた。そんなわけがあるか。彼が、邪魔になることなどあるわけがない。 


 急いで分かりやすそうな草を探し出し、彼に見せる。これも安価だが、香水の材料になることは嘘ではない。その草を探してくれるよう頼でから、俺もそれらしい草を採取しに湖に周りを探り始めた。



 ――戻らないわけには……いかねえよな

 用事が済めば、帰らないわけにはいかない。ただでさえ比較的安全とは言え、ここは街の外だ。中が絶対に、安全だとは言い切れないが外よりは治安は良い。

 ゆっくり帰るか。そんな馬鹿なことを、考えていると異常にでかい音が辺りに響いた。


 ―― ありえない


 一体どうなっているんだ。なぜここに、ドラゴンがいる。

 ドラゴンの生息地と、ここはかなりの距離がある。基本的にドラゴンは、生息地から出たりはしない。そして大多数が、温厚な生き物だ。

 生息地から出たうえに、怒りの感情をみせていることなんぞありえない現象だ。


 ―― まさか……


 まさか彼が、狙われたのか?

 あきらかに、様子の可笑しいドラゴン―― もしあいつらが、この子の存在を知ったのなら……。その力を、ドラゴンに使い彼を害そうとしているのなら。


 ただの憶測でしかない。歴史上の話としての知識しか、持ち合わせてはいない。

 あいつはもちろん知っているのだろうが、そのことについて詳しく話すことなどなかった。

 

 実際はどんなであったかなど、深くは知りもしない。だがもし伝えらえている話が、本当なら狙われてもおかしくはないだろう。


 だが俺はあの子の秘密を、誰にも口外などしていない。もしや俺以外にも、知っている奴がいるのか。ならそいつを、どうにかしなければこの子に危険が及ぶ可能性がある。

 思考にはまっていると、ドラゴンが再び咆哮をあげる。


 考えるのは後だ。今はこの状況を、脱するのが先決だろう。

 レイザードを無事に帰す。今考えるのは、それだけでいい。


 ―― まずい! 


 拳くらいの大きさの石が、レイザードがいる位置に飛ばされてきた。

 気づいた瞬間、体が動く。衝撃と激痛が、腹部に走る。


「ギルド長!」

 遠のきかけた意識を、レイザードの声が呼びもどす。

 そうだ、気を失っている場合じゃない。

 けれど俺がともにいては、逃げ切ることはできないだろう。俺はなんせ、走ることが出来ないのだから。


「置いていけ」


 嫌われるのも、さげすまれるのも全て覚悟でレイザードに奴隷であったことを告げる。そして走れないこともだ。

 彼にだけは、知られたくなかった。ほかの誰に嫌われようが、どうでもいい。それでも彼にだけは……そう思っていた。けれど彼を生かすために、告げるべきことだろう。


「……」

 俺はその時、彼の表情が変わるのを初めて見た。大きな変化じゃない。ほんの僅かばかりの変化だ。

 最初は、軽蔑されたのかも思った。だがすぐに俺の言葉に怒りを、覚えているのだと気づく。良く見ていなければ、見逃してしまうほどの小さい――けれど彼は、怒っていた。


 初めて会った、あの土砂降りの雨の中――血みどろであった俺を見ても、眉一つ動かさなかった彼が初めて見せた変化だ。


 ―― 状況を考えろ


 今は危機的状況だ。そんなことは分かっている。けれど彼が俺のことを思い、怒りを感じていることに嬉しさを覚える。 


 だがそんな馬鹿なことを、考えている場合ではない。彼と共に、逃げ切らなければ――そう思った瞬間、大口を開けたドラゴンの姿が見え辺りを灼熱が覆った。




 






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