第7話
「最悪だ」
俺が大量に出現させた氷を、ジルベールがこれまた一気に蒸発させたものだから大量の水蒸気が発生した。
おかげで闘技場全体が、水浸しである。辺りは水蒸気のせいで視界が悪くて、手合わせどころじゃない。
それにしても、これジルベールが本気を出していたらヤバかったかもしれない。
今回は多分、温度も大して高くない炎だったから、水蒸気で濡れねずみになるだけで済んだ。
けれど、ジルベールが本気出してたら水蒸気爆発が起こっていた可能性がある。
いやないか、あれはマグマ並みの温度の時に起こるはず、あれ揚げ物でも起きるんだったか?
水蒸気爆発はたしか温度が高いだけじゃおこらずに、水の量も多くないと爆発しないんだったよな……調子に乗って大量に構築するのは控えよう。
今回の事で戦闘している時の高揚感は、冷静さを失わせることが分かった。注意する事にしよう。
それにしてもジルベールの奴、術を構築する前にめっちゃくちゃ楽しそうに笑ってたな。
ぜったいこうなる事は分かってたはずだ。なんなんだいったい、濡れるのが好きなのか、それなら一人で濡れていればいいんだ。
だいたいジルベールなら、全部風で切り裂いて無効化しようと覚え場出来たはずだ。わざわざ被害が拡大する方を、選ぶなんて趣味が悪い。
やっと視界が晴れたと思ったら数メートル先に、ぬれネズミのように濡れたジルベールが立っていた。水浸しになろうが、イケメンは変わらないらしい。
「フッハハハハ」
目を数回閉じたり開いたりを繰り返したあと、ジルベールは珍しく大口を開けて笑い出した。そうとうずぶ濡れの俺の姿が、滑稽らしい。腹が立つが平凡な顔面が水にぬれたところで、悪くはなれど良くなることはない。
「うっとおしい」
頬に張り付いた髪を掻きあげる。
髪から水滴が伝い、余計に不快度数が上がっていく。
制服の上着を脱いで、ぞうきん絞りの要領でしぼりあげる。すると顔をしかめたくなるくらいに、音をたてて水が零れ落ちた。
「レイザードちょっとまって、それだと制服シワだらけになるよ」
「シワになっても、この不快感が無くなる方がましだ」
真顔で言い返す俺に、ジルベールは苦笑すると手を俺の胸元に置く。今更、訓練の続きというわけでもないだろうと、様子を見ると体の不快感が消えていく。
時間にすれば20秒くらいだろうか、俺の服も髪も濡れていたところが全てもとに戻っていた。
「水分を火の力で、蒸発させたのか」
「御名答、どうまだどこか気持ち悪いところあるかい?」
「いやない」
そうか術を行使して……それなら俺も出来るな。そうだ俺は水を行使できるだから。水分を全て気化させてしまえばいい。よし今度から濡れたらそうしよう。ジルベールの力を借りるまでもない。
不快感がなくなったのはいいが、闘技場が悲惨な状態には変わりはない。とりあえずこの状態をもどさないと、次の使用は許可されないだろう。
「なにをやっている」
後ろからかけられた声に、振り向けばサイジェスが立っていた。なにもこの一番酷い状況の時に、現れなくてもいいだろうに。できればもう少しましな状態にした時にきてほしかった。
仁王立ちしているサイジェスの表情は、しかめっ面と表現していいだろう。そこまで表情を歪める事もないだろうに。
そういえばこいつも攻略キャラだった。顔をしかめているのに、顔立ちがいいのはそのせいか。まあジルベールと一緒で、主人公が現れるまではただのモテない男の敵でしかない。でもこいつ無愛想、無表情だからな。顔はよくてもモテないかもしれない。
「もうしわけありません。俺の全く望んでいない諸所の事情で、鍛錬の時間がめっきり取れなくなってしまったが為に、少々はりきりすぎてしまいました」
失礼なことを考えながら真顔で言い切る俺の横で、ジルベールが小さく噴出す。おいそこ、笑ってないでお前の優秀な頭脳を使って言い負かすか、煙に巻くかどっちかをする努力をしろ。
「拭け、貸し出しは片づけまで含まれている。一滴の水分も残さず元の状態に戻してから帰る様に」
そう言い切ったあとは、もう用がないと言わんばかりに去って行った。もっと説教でもされるかと思ったが、意外だった。どこまでも口数が少ない奴だ。
「おいジルベール」
「了解」
俺もジルベールも、ぞうきんを持っておとなしく拭き掃除する気は微塵もなかった。俺の合図にジルベールが笑みをつくると、奴は炎を行使して闘技場を乾燥させていく。
下手すれば闘技場が焼ける。術の調整が下手な奴がやれば、そうなるがジルベールには下手を打たない腕がある。
俺もできるだろうが、俺の魔術のタンクはジルベールより少ない。これ以上使ったら疲れるから残りが有り余っているジルベールに押し付ける事にした。
5分ほどたったくらいだろうか、やっと片が付いたらしい。
「随分と時間がかかったな」
「土まで、水浸しだったからね」
そういえば闘技場の地面は、土だ。乾燥さえるのにも、技術を要しただろう。少しばかり、ジルベールの表情にも疲労が見える。
そう考えると、まあ原因の一端に俺も含まれている。礼くらいするのが、筋というものだろう。
「礼はなにがいい」
「え?」
「ここを乾かした礼だ。何がいい。言え」
「………………え?」
何度か瞬きを繰り返した後、ジルベールは絞り出すように一言どころか一文字発したあと動きを止めた。
それから奴は、一切の動きを止めた。この一時停止状態はいつまで続くんだろうか。
「おい、嫌なら」
「嫌なわけがない! ……あっとすまない。そのなら今度お茶でもしないか?」
声を上げたかと思ったら、気まずそうに謝罪をしてくる。どちらかというと、いつも余裕ぶった態度のこいつにしては珍しい行動だ。
まあすぐにいつもの顔に戻ったから、特に気にする必要はないだろう。
「それくらいなら……かまわんが」
そういえば、おれこいつの挨拶に等しい茶の誘いに一度も乗ったことがなかった。それにしても礼を言われてお茶しに行きたいって……やっぱりこいつボッチ、いやそれはない。こいつ女子に大人気だしな、誘わなくても女子からよってくる奴だしな。
あれだきっと女子への吸引力がすごくて、それに反比例して同性の友達が少ないのかもしれない。
しょうがない、もてる男はモテない男の僻みを買うのが世の常だ。甘んじて受けろ。
「ありがとう。本当にうれしいよ」
随分と嬉しそうだ。どんどんこいつのボッチ疑惑が深まっていく。
まあでも、たまには同性と茶が飲みたい時もあろうだろう。主人公が現れているなら、主人公と言ってもらいたいところだが今はまだいない。それまで我慢しろと言うのも、憐れだ。しょうがない、これは礼だ。
「火の力の方を好んでいるのか」
途中まで一緒に帰ろうと誘ってきたジルベールに、頷いたときは驚かれた。別に用もなく頷いたわけではない。確かめたいことがあったからだ。
「うん?」
「風より火の術を使っていただろう。お前は両方に適性があるのに、偏って使うという事はそちらを好んでいるということか」
「俺の適性を覚えててくれたのか」
いやそこでなんで嬉しそうな顔をする。だいたいそんな程度の事、一度聞いたら覚えているだろう。お前の中で俺はどれだけ忘れっぽいやつ認定されているんだ。
「好みというより、火の方が使いやすいんだよ。2つ適性があるって言っても、同じように使えるわけじゃなくて、使いやすさが違うんだ。他の人は知らないけれど、俺は使いやすさに差があるから、使いやすい方をどうしても多く使うな」
「他の奴……お前みたいなのが、そこらに転がっていたらたまらない」
他の奴がどうかなんて、しらなくて当然だ。
2種類に適性があるやつなんて、そうそういるもんじゃない。いたら困る。ゲーム中だって、2種類使えると明言されているのは、ジルベールだけだった。
あれそうかんがえると、ジルベールってけっこう貴重な人材だよな。そういう奴って狙われたりするよな。大丈夫なのか? まあライトなファンタジーだから、そう重い展開にはならないか。
「おい、気をつけろよ。いつだって愚者は強者に群がる。足を掬われないように注意する事だ」
でも一応は忠告しておいてやろう。こいつになにかあったら、イベントみれないしな。
「うん、気を付けるよ。ありがとうレイザード」
だからなんでそこで、そんなに嬉しそうに笑うんだ。もう俺がこいつにかけたボッチ疑惑は疑いじゃなくて、ボッチって断定して話すべきなのだろうか。
まあ主人公が現れるまでなら、お茶くらいつきあてやってもいいか……
俺はそう結論づけて、歩みを進めてから気づいた。学園のやつと、まともに約束をしたのが初めてだ。どうやらボッチは俺らしい。
気づきたくなかった事実に気づき、暗雲たる気持ちで帰路に着いた。
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