第1203話 「払風」

 その風は波紋となって世界に広がった。

 在りし日の英雄――その一人が放った最後の一撃。

 九種類の極伝を束ねたそれはその身と引き換えに文字通り世界の根幹すら揺るがした。

 

 それはタウミエルという存在全てに均等に威力を伝える。

 結果、本体は小さくない損傷を受け、眷属である個体群は余波を受けて全て消滅。

 虚無の尖兵だけでなく、無限の衛兵や無限光の英雄ですら一体も耐える事が出来ずに問答無用で消し去られたのだ。 オラトリアム、センテゴリフンクスの両戦場にいる者達はあまりの光景に目を見開く。

 

 戦場で指揮を執っていたファティマも想像を遥かに超えた光景に一瞬、硬直するがそれも僅か。

 即座に状況を最大限に活かすべく行動を起こす。 最初はローの勝利かとも思ったが、穴から敵の追加が現れようとしていた。 決着は着いていないが、タウミエルにとって不都合な何かが起こった事だけは分かる。 消滅した事もそうだが、敵の生産スピードが大きく落ちていたからだ。


 「残存戦力を集めなさい。 防衛線を敷き直します!」


 治療が必要な者はこの隙に施し、戦える者達は山脈内で合流して立て直しを図る。

 聖剣使いも四大天使も健在。 オラトリアムは落ちていない。 まだまだ戦える。

 サベージも聖女を連れて突入に成功したらしく、戦闘自体は最終局面を迎えていると見ていい。

 

 かなりの綱渡りだったが、何とか成功した事にほっと胸を撫で下ろす。

 転移は空間的に連続している必要があるので、辺獄などのこの世界と隔絶した場所には移動できない。

 だからこそ突入してからしか使えなかったのだ。 現状、タウミエルとの戦いに付いていけそうな戦力は聖女ぐらいしか思いつかなかった。 実際には聖女というよりは彼女の持っている二本の聖剣の力だが。

 

 エロヒム・ツァバオトとアドナイ・ツァバオト。

 過去の戦闘記録からあの二本は隔絶した実力差すら覆す強力な聖剣だ。

 不確定な要素は非常に多いが、タウミエルという脅威を鼻先にぶら下げてやればローに利する可能性は高い。 非常に不本意ではあったが、援軍として送り込む事は早い段階で決めていた。


 ローに話すと要らんといわれるので秘密裏に行った事もあって装備に細工を施すのに苦労したが、首途に頭を下げるといった屈辱的な代償を支払って解決。 こうしてローの下へと聖女は向かう事となった。 やるべき事は行い、打てる手は打った以上、後は信じて戦うだけだ。


 



 「敵の増援が来るまで時間があります。 各自今の内に魔法薬などで回復をしなさい」


 サブリナがそう指示を出す。 場所は山脈内にある比較的高い山の頂上。

 連戦で体のあちこちに傷を負ったのか衣服や装備はボロボロだったがその瞳は爛々と輝いており、心は折れるどころか傷ついてすらいない事が分かる。


 戦力の大部分が脱落したので陣を敷く事は難しく、聖剣使いを中心に密集して時間を稼ぐ方針に切り替えたのだ。 サブリナが居るのは夜ノ森やアスピザルの近くだった。

 

 「いや、この状況で元気だね。 僕はもう疲れたよ……」


 絶好調のサブリナを見てアスピザルはやや呆れ気味に声を漏らす。

 夜ノ森は精神的に消耗したのか座り込んでいた。 教皇も近くに居たがサブリナと同様にやる気を漲らせている。 ここに居るのはロートフェルト教団の者達が大半なので、誰も彼も異様な輝きを瞳に宿して戦意を漲らせていた。 その中にいるヒュダルネスだけはサブリナや教皇に恐怖の眼差しを向けていたが。


 ヒュダルネスはグノーシス教団の生き残りと一緒に参戦したがこの地獄のような戦いを必死に生き残り、ここまで来たのだが同じように組み込まれた元グノーシスの仲間は彼を残して全滅してしまった。 妻と娘の為にも生きて帰らねばと思っているが味方であるはずのサブリナ達の狂気に怯えを見せながらも迫りくる敵に比べればマシだと自分を納得させている。


 正直、負けたとほぼ確信していたが、ここに来て敵が一掃されたのだ。

 もしかしたら勝てるのではと少し希望を抱いたアスピザルもサブリナ達から目を逸らして敵の対処へ意識を向ける。 勝機はゼロではないと信じて。




 ――帰りたい。 もう帰りたい。


 瓢箪山は泣きそうになりながら疲労している体を引き摺って割り当てられた配置につく。

 彼が行けと指示されたのは弘原海の近く。 要は彼の護衛だ。

 上司であるグアダルーペからは聖剣の防衛をしつつ盾になって死にかけなさいとありがたいお言葉をかけられ心身ともに折れかかっていた。


 いや、それ以前に本当に自分は生きているのだろうかといった疑問すら湧き上がる激戦だったのだ。

 戦っている間はそこまで気にはならなかったが、こうして一息つくと疲労と絶望が背に圧し掛かる。

 ケイティやゼンドル達はヴェルテクスの方へ行ったのでここには居ない。


 五分もかからない内にまた戦闘に入る事になるが、逃げ出したくてたまらなかった。

 こんな血生臭い戦場から離れてラジオがやりたい。 聴取者からのお便りを読み上げて、直近の天気予報やってギターで演奏するんだ。 練習してきた歌も形になってきたし、梼原も遊びに来てくれるようになった。 自分はこれからなんだ。 こんな所では終われない。


 瓢箪山は折れそうな心をどうにか奮い立たせて遠くから近づいて来る敵の群れを見つめる。

 


 立て直す為の猶予を得たのはオラトリアムだけではなかった。

 センテゴリフンクスでも負傷者の治療や、装備の交換など更なる敵の襲来に備えて急ぎで行動していた。 休んでいる暇はない。

 

 日枝は小さく息を切らせて地上へ降下。 その場で息を整えていた。

 葛西と北間は肩で息をしつつも他の生き残りに声をかけて何とか奮い立たせようとしている。

 指揮所を兼ねた建物の中ではモンセラート達が権能を一旦切って魔法薬を呷って強引に疲労を抜こうとしていた。 治療を受けた事によって寿命の問題は解決されたが、連続使用による消耗は隠しきれない。


 聖女と入れ替わりで屋上に陣取っていたクリステラは黙って敵を見つめ続けており、治療が済んだエイデンとリリーゼが戻って来ていた。

 最後にエルマンは憔悴しきった顔で座っている椅子に背を預けている。


 恐らくだが、この半日足らずの時間で寿命が大きく減ったなとどうでもいい事を考えつつかなり効果の強い魔法薬――麻薬に近いような高揚感を与えてくれる薬を服用して強引に気持ちを上げる。

 敵の再襲来までもう数分もない。 敵の出現数は減っているが味方の損耗は激しく、普通なら壊滅と言っていい状態だ。 だからといって逃げる事はできない。


 オラトリアムが勝利条件を満たすか全滅するかの二つしか結果が用意されていない以上はやるしかない。 エルマンは違法品じゃないのか? 全然効かないぞと思いながら追加で薬を服用した。

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