第1151話 「注射」

 時間的に余裕がないのか返事をすると翌日には人を送ると言われ、王都に存在する大型店舗――オラトリアム商会が保有する建物へ三人を連れて向かう。

 フェレイラは何処かから付いて来ているのは分かっているので、気配はしないが気にはしない。


 「……本当にここなの?」

 「そのはずだな」


 モンセラートが訝しむように尋ねて来るが間違いなくここなので頷く事しかできなかった。

 中へ入って約束があると告げると建物の地下にある広大な倉庫へと通される。

 そこには三人の全身鎧を身に着けた騎士が居た。

 装備の意匠からグノーシスの聖堂騎士のものによく似ていたので複製品か鹵獲品だろう。 何せクロノカイロスを落としたのだからいくらでも手に入るはずだ。


 「あんた等がそうか?」

 「そうだ。 私はエルジェー・ナジ・エーベト。 オラトリアムの聖堂騎士だ」

 

 ……もう隠す事すらしないのか。


 ファティマの読み通りに事態が推移するのなら隠した所で無意味なのは理解していたが、モンセラート達が居る前で堂々と名乗るのは予想外だった。

 エーベトと名乗った薄紅色の全身鎧を身に着けた女は俺とモンセラート達と順番に視線を向けて――


 「一人足りないようだが?」

 「近くまでは来ている。 事情があってこいつ等の後に受けさせてやってほしい」

 「二回に分けると聞いていたが、そういう事か。 了解した。 処置自体はすぐに終わるのでこちらとしても問題はない。 では、誰からだ?」

 「……見ていてもいいのか?」

 

 エーベトは「構わない」と頷く。 モンセラートの時は随分と念入りに隠していたようだが、どんな心変わりだ? それとも治療は見られても問題ないが、例の即死する仕掛けとやらの方が明かせなかったのか?

 

 「私から行くわ! また意識を奪われるのかしら!」

 「いや、少しチクッとする程度だな」

 「そう、じゃあお願いするわ!」


 エーベトは特に表情を変えずに隣の女から変わった器具を受け取る。

 

 「これは注射器という医療器具だ。 針を刺して内部の薬液を体内へ送り込む」


 取り出して見せた注射器とやらには謎の黒い何かで満たされていた。

 おいおい、あの怪しい液体かどうかも分からん代物を体に入れるのか? 見た目からしてヤバそうなんだが、大丈夫なのか?


 「確かにちょっと痛そうね。 それで? どこに刺すの?」

 「うなじの辺りだ。 首より上ならどこでもいいらしいが、なるべく頭に近い方がいいと聞いている」

 

 モンセラートは黙ってエーベトへ背を向け、髪をどかしてうなじを露出させる。

 エーベトはそのままモンセラートのうなじに針を突き刺すと内部の怪しい液体を注射。

 時間的にはすぐだったが、見ている間は気が気ではなかった。


 「だ、大丈夫なのか?」

 

 処置が終わった所でモンセラートへ声をかける。 モンセラートは刺された部分を確かめるようにさすっていたが特に変化はなさそうだった。


 「えぇ、特に何もないわ。 ちょっと体が軽くなった? 感じ?」

 

 不思議そうに首を傾げる。 見た感じ変化があるように見えないが本当に大丈夫なのか?

 

 「少し前にあの方の処置を受けていると聞いている。 全快してからそこまで消耗していないからではないのか?」

 「だったら私が受ければその辺ははっきりするのかしら?」


 モンセラートに問題がなかったので抵抗感が薄れたのかマルゴジャーテが前に出る。

 後はさっきの繰り返しでハーキュリーズも腹を決めたのか注射を受けた。

 処置が終わった後、少ししてマルゴジャーテが大きく目を見開く。 どうやら効果はすぐに出たようだ。


 「……信じられない。 本当に回復してる。 ねぇ! これは一体――」

 「悪いが答えられない。 私達の仕事は注射を打つ事だけだ」

 

 マルゴジャーテは尚も質問を重ねようとしていたが、ハーキュリーズがやんわりと肩を掴んで止める。

 仲間が権能の行使で次々と死んでいく所を見せつけられ続けた身としては気になるのは仕方がない。

 こんな簡単に癒せるのなら今まで死んでいった連中は何だったんだと思ってしまうのだろう。


 正直、俺も驚いているぐらいだ。 こんなにあっさりと癒せるものなのか?

 さっきの怪し気な液体。 アレを調べれば何かが分かるかもしれないが、そんな度胸はない上に分かった所でどうにかなるかも分からないので詮索はしない方が無難だ。


 「早く次を連れてきてくれ。 悪いが我々も暇ではない」

 「――聞いた通りだ。 すまんが頼む」

 「分かった。 出て声をかければいいんだな?」


 俺が頷いて見せるとハーキュリーズは二人を連れてその場を後にした。

 しばらくすると入れ替わりにフェレイラが恐る恐るといった感じで現れ、そのまま注射を打たせると用事が済んだと理解してさっさとモンセラートを追いかけるべく消えて行った。


 報酬の受け渡しが終わった以上はもう後戻りはできない。

 

 「ファティマ様からの伝言だ。 『報酬を受け取った以上、約束を守って頂きます』」

 「分かっている。 面通し・・・も済ませているから血迷って攻撃するような真似はしない」

 「やるべき事を理解しているなら私から言う事はない。 くれぐれもオラトリアムを失望させる事のないようにするんだな」


 俺はもう一度分かったと頷いてその場を後にした。

 店を出るとモンセラート達は飯に行くと言っていたので姿はない。

 一人になった俺は大きな溜息を吐く。 元々、選択肢のない取引だ。 受けようが受けまいが内容的にそこまで変化はない。 見方によっては得なだけの話だ。


 ……ただ、今回の戦いでそんな思惑が入り込む余地があればいいんだが……。


 指示通りには動くつもりではあるが、果たして上手く行くのか。

 ファティマは終わった後の事を考えているようだが、俺は生き残れるかどうかの不安が消えない。

 そもそも後があればいいんだが――無理にでもあると考えた方が健全か。


 恐らくだが、オラトリアムとの大きな取引はこれで最後になるだろう。

 この一件が片付けば連中が他所に干渉する理由がなくなるので俺も解放される。

 ファティマと会話しなくていいのなら心の負担は大きく軽減されるので、勝って幸せな未来を掴むぞと気合を入れるべきなのだろうが……。


 「――はぁ」


 出るのは溜息ばかり。 我ながら相当疲れているな。

 体以前に心がだ。 終わったら終わったで結婚の話を進める必要があり、苦労は絶えないが乗り切れば大きな問題が片付く。 頑張ろう、頑張れと自分に言い聞かせて俺は体を引き摺るように城塞聖堂へ戻る為に歩き出した。

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