第997話 「子袋」
『こっちだ! 慌てないで移動してくれ!』
日本語での誘導に従って大量の転生者達がざわざわと騒ぎながら移動する。
声をかけているのはベレンガリアの部下だ。
移動している様子を遠くからイライラとした気持ちで眺めながら彼女は内心で歯噛みする。
――転生者達の移動、よろしくね?
ファウスティナからそう言われ、ベレンガリアは従うしかなかったのだ。
あの女の使い走りという事実に怒りで頭がおかしくなりそうだったが、こういった誘導ができる者が少ないという事でこうして駆り出された。
ここは王城から少し西に離れた位置にある地下空間。 そこは数百人が収容できる程の広大さで、大量の転生者達が「こんな所に呼び出しやがって」「何が起こっているのだろうか?」と怒りや不安などを口にしながらも誘導に従って移動している。
彼等はこの街が何者かに襲撃されているので安全の為、避難して貰うという名目でこの場に集められていた。
ベレンガリアは小さく鼻を鳴らして集まった転生者達を冷めた目で眺める。
ここは円形をした筒状の広大な空間で、足元には巨大な魔法陣。 転生者達には転移魔法陣と説明してあるので、集まった者達は特に疑問を抱かずにそこにいた。
――馬鹿な奴等。
何も考えずに無為に与えられた日々を享受するだけの家畜。 恵まれた身体能力があるにもかかわらず欠片も活かそうとせずに怠惰だけを貪る無能。
それはベレンガリアにとって最も度し難く、嫌悪する存在だった。 特に彼女のように自らの安全を確保し、日々を生き抜く為に多大な労力を支払っている身としては当然だろう。
これから行われるのは転生者達を材料にした大召喚。 このジオセントルザムを守護する最強の防衛装置をこの地に現出させる為の儀式だ。
街の中にはこれと同じ物が他に三つあり、今は他の者達がここと同様に転生者達を誘導している最中だった。
教団としても折角集めた転生者達をこんな形で浪費するのは避けたいはずだが、この短時間でこれだけの被害が出ている以上、出し惜しみは危険と判断したのだろう。
法王、教皇共に使用に対しての躊躇はなかった。 判断自体は早かったが、準備に時間がかかってしまっているのは
異邦人として教団に所属していない者達は非常に非協力的な態度を取る。
行動にこそ制限がかかっているが何の不自由もない生活を与えられた者達は自分達が特権でも得たかのように横柄になる者が多い。
一応、異世界からの勇者や選ばれし者と吹き込んでおり、頭が緩い者はそれをあっさり信じ込むおめでたい考えの者も多かった。 全員ではないがそういった傾向の者が一定以上いる事で流される者も現れる。
その点に関しては仕方のない部分もあった。 見慣れない土地に通じない言葉、そしてとどめとばかりに変異した肉体。 そういった要因は彼等の精神に多大な負荷を与える。
転生者が自殺や凶行に走り、死に至る要因は主にこれらの事情だったが、早い段階で保護され、大量の同胞のいる場所に放り込まれればどうなるのか?
結局の所、彼等の精神を蝕むのはこの世界での立って歩く為の寄る辺がないからだ。
寄る辺を求める人間が至るのは周囲への同調――集団に属しているという認識が彼等の心を救う。
そんな中で何もしない事を是とする考えの人間が多ければそれに引っ張られるのは無理もない事なのかもしれない。
何故なら流される事は楽で、流れに抗い自発的に行動するのは苦痛が伴うからだ。
数こそ少ないが自身の考えに従い、流れに抗う者もまた存在する。 それがグノーシス教団で異邦人と呼ばれる聖堂騎士とただの転生者の違いだろう。
そして異邦人は戦力としての有用性を認められているのでこの場には呼ばれず、それ以外の者達はこうして防衛装置の起動コストとしてこの場で使用されようとしていた。
グノーシスにとってただの転生者は有用な資源以上の価値はなかったのだ。
今回、使用される予定なのは全体の三分の一を少し上回る数字だが、グノーシスにとってはかなりの痛手だった。 残った者達への説明もそうだが、異邦人達の士気にも影響が出るからだ。
――デメリットは多いがそれを無視しても使用する価値はある。
移動が完了したと同時にベレンガリアは部下に指示を出す。
彼等が入って来た入り口が封鎖される。 同時に床一面が発光。 悍ましい儀式の始まりだった。
ベレンガリアはその結果を直視する事に耐えられなかったのか踵を返してその場を後にする。
背後で転生者達の悲鳴が聞こえたが、無視して足を速めた。
大量の転生者の命を喰らい儀式は成った。 魔法陣から巨大な光の柱が立ち昇る。
王城の西側から立ち昇った光の柱はジオセントルザムどころかクロノカイロスのどこからでも観測できる程の巨大さだった。
そしてその光の柱から神聖な気配を身に纏った存在が姿を現す。
全長は百メートルを超え、頭部には光輪、背には煌く青みがかった三対六枚の羽根。 荘厳なデザインながらも女性的な細さを感じさせるそれは誰が見ても強大な力を持つ存在だと言う事が分かるだろう。
巨大な天使は戦場をぐるりと見回すと一拍置いて全身から音を発する。
不思議な旋律だった。 もしかしたらこれは歌なのかもしれないと考えた者も居るだろう。
当然ながらただの歌ではなかった。 変化があったのは天使の足元だ。
そこにいたのは無数の聖職者達。 彼等は転移で呼び出されたジオセントルザムの外に住む者達だ。
彼等は目の前に現れた巨大な天使の姿に歓喜の涙を流しひたすらに祈りを捧げている。
おぉ、天使様、我等を救う為に天使様が御光臨された。 素晴らしい。 素晴らしい。
同時にメキリと嫌な音が彼等の体内で発生。 背中が大きく膨らむ。
彼等は顔面の穴という穴から血液を垂れ流しながらも歓喜と共に祈りを捧げる。 背中のふくらみはやがて彼等の肉体の許容範囲を超え、その体を完全に破壊した。 それは生き物の脱皮を思わせる現象だった。
だが、彼等の肉体という蛹を破った存在は蝶と形容するには歪で巨大な姿を現す。
全長は二十メートルを超え、人間の中に到底納まるような存在ではなかった。
形状は口を下に向けた巨大な袋を思わせる物で、表面は天使同様に硬質ではあるが歪さの中に美術品のような造形美のような物を感じる。 そしてデザインで分かり難くなっているが、臓器の形状に精通している者なら別の物を連想したのかもしれない。
背面に光輪。 四肢はなく、ただ浮かんでいるだけだったが、この存在の本領はこれからとなる。
光輪を発光させそれは動き出した。
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