第957話 「上悩」

 翌日。

 ベレンガリアはこのジオセントルザムに身を置いてはいるが決まった仕事はなく、普段は割と暇を持て余している。

 だが、それでは外聞が悪いので一応は内部に連れ込んだ配下に魔導書関連の研究を行わせているのだが、成果は出ているとは言い難い。

 グノーシス教団へ供出した物に関しても結局の所、長姉の作成した物の複製でしかなかった。


 彼女自身、その点は痛い程に理解しているので、その分野に長けた者を雇い入れはしたのだが、姉の功績をなぞる程度の能力しかない。

 長姉は人間性にこそ問題はあったが、技術者としての能力は高いと認めざるを得ないといった屈辱を認識させられて身を焼かれるような思いだった。 だが、こればかりはどうしようもないので受け入れざるを得ない。


 クエンティンの口添えでベレンガリア率いるホルトゥナの立ち位置は装備開発を専門とした研究組織といった物になっている。

 だが実際は新たな成果をまったく上げられない閑職に近い物で、陰では枢機卿の道楽と揶揄されているのだ。


 どうにかしなければと考えてはいるが、今の彼女にはグノーシス教団でこれ以上に地位を向上させる手札は存在しなかった。 そもそも今のホルトゥナに技術開発や画期的な発明を行える人材が存在しないのだ。

 所詮は利害で強引に引き入れた人材だったので、忠誠心も薄く士気もそう高くない。 その為、研究組織としてはお粗末なものとなってしまう。

 

 ――それ以前に研究組織として地位を確立するには問題があった。

 

 何故なら既にその地位を不動の物としている組織があったからだ。

 ベレンガリアは普段は大聖堂――昨日集まったホールのある建物内にあるクエンティンの私室を住居としているが、普段は近くに建てられた研究施設兼魔導書の生産工場(人力)に居るようにしている。

 

 工場と言っても魔導書をせっせと書き写すだけなので、そう呼ぶにはやや語弊があるが。

 昨日も寝台でクエンティンのご機嫌を取ったので、しばらくは問題ないだろうと考えながら彼女は廊下を無言で歩いていたが不意に足を止める。


 時間は朝と昼の中間頃。 この時間は比較的、人が少なく移動するには気楽だったのでこの時間に出勤するようにしているのだが……。

 廊下の先に遭いたくない人物がいた。 明らかに彼女を待ち伏せていたようで、ベレンガリアの姿を認めると笑みを浮かべて近づいて来る。


 「おやおや、奇遇ねぇ」


 そう言って来た相手は女性。 豊満な体に長い髪。

 雰囲気としてはベレンガリアと似通っているが、彼女よりも雰囲気が妖艶だ。

 見た限りの年齢は彼女よりやや上といった雰囲気だが、明らかに所作からは経験の差が滲み出ている。


 明らかに見た目通りの年齢じゃないとベレンガリアは察していた。

 彼女はファウスティナ・ペラギア・エラゼビウス。

 ホルトゥナの源流とも言える上位組織――「エメス」の首領。


 前回の会議でも欠席しており、気まぐれにしか姿を現さない女だった。 当然ながらベレンガリアと似た立ち居位置なので、教団内部ではいい顔をされないが彼女にはこのジオセントルザムの防衛を担う戦力の一角を手中に治めているので発言権は強い。

 

 彼女の抱えている戦力。 その正体は異邦人。

 つまりは大量の転生者だ。 数千人規模の異世界からの転生者を束ねている彼女の事を無視できる存在はいない。 実際、前回の会議でも発言こそしなかったが部下の転生者がしっかりと出席していたので、会議の内容はしっかりと把握しているのは間違いない。


 ベレンガリアははっきり言ってこの女の事が嫌いだ。 初対面の時点で吐き気を催す程に他者に対して嫌悪感を抱いたのは後にも先にもこの女だけだった。

 微笑んでいるように見えるが、自分に向ける隠しきれない嘲りの感情が不快で、常に上から目線で挙動の一つ一つに小馬鹿にしたような意図が見え隠れする事が腹立たしかった。


 当初は何故ここまでこの女に対して嫌悪感――もはや憎悪に近い感情を抱いているのか心底不思議だったが、何度か会話していて段々とその理由に理解が追いつく。

 この女は自分の身内に非常によく似ているのだ。 姉にではない。

 

 ベレンガリアがこの世で最も嫌悪する存在である母親にだ。 彼女の母である先代のベレンガリアは親としての資質が欠落した女だった。 寧ろ子供の教育にとっては害悪と言い切ってもいい。

 常に子供を見下し、制御下に置く事に愉悦を感じ、姉妹を憎み合わせる事で発生した争いを見て心から笑える破綻者だった。


 ベレンガリアは今でも思う。 あの女さえいなければ姉妹間の関係はここまで拗れなかったと。

 可能であれば殺してやりたいとすら思っている存在だったが、もう既に故人となっている。

 

 ――筈だった。


 だが、ベレンガリアは半ば確信に近い物を持って目の前の女を睨む。

 顔も声も違う。 だが、気配が全く同じなのだ。

 見れば見る程に確信が強まって行く。 こいつはあの女だ。 どうやってか知らないが死を偽装し、今の立場に納まったのだろう。 ご丁寧に体まで乗り換えて。

 

 「……何かご用でしょうか?」

 「いやいや、聞けばこの間の会議で随分と肩身の狭い思いをしたとかで、ほら一応は貴女の上役?になるのだし、大丈夫かなと思って、ね? これでも心配しているのよ?」


 何が心配だこのクソ女。 心にもない事を並べるな。 今すぐ縊り殺してやろうか?

 そんな言葉が反射的に飛び出しかけたが、鋼の自制心でぐっと我慢する。

 実行に移してしまうと立場が非常に不味い事になるからだ。 この女は教団での地位はベレンガリアよりもはるかに上で、例の階段の向こうへ立ち入る資格を得ているといえば分かるだろう。


 つまりは教皇に直接意見できる立ち位置なのだ。

 その時点でベレンガリアには勝ち目がなかった。 ファウスティナが教皇越しに彼女を殺せと命令すれば即座にこの国全てが敵に回るだろう。 それは彼女の死を意味する。

 付け加えるならベレンガリアは一人に対し、ファウスティナは背後に異邦人らしき護衛が数人控えていたのでどちらにせよ無理だ。


 ベレンガリアはこのジオセントルザムではファウスティナに絶対に敵わない。

 それを理解しているからこそファウスティナは粘着質な態度を取り続け、ベレンガリアは理解しながらも耐えるしかなかった。


 「御心配頂きありがとうございます。 ですが、私には何の問題もありません」

 「そう? だったらいいんだけど、何か心配事があったら――ふふっ、いつでもぷっ、言ってね? ほら、ホルトゥナは私の子供みたいな物だし? 援助ぐらいはしてあげるから」


 ファウスティナは嘲笑を隠せないのか半笑いでそんな言葉を口にする。

 ベレンガリアは血管がブチブチと千切れるような怒りを必死に我慢して「ありがとうございます」と型通りの返答を返す。


 「元気そうで良かったわー。 いや、本当に心配していたんだから」


 ファウスティナは用事はそれだけなのかそのまま去って行った。

 ベレンガリアは怒りに身を震わせる。 あの女は本当にこれだけの為にここで待っていたのだ。

 死を誤魔化した理由は不明だが、姉妹の争う姿を見たかっただけといった理由でも納得できるとベレンガリアは思っていたのでもしかしたらそれ以上の意味なんてないのかもしれないと思っていた。

 

 「――いつか殺してやる」


 上機嫌に去っていくファウスティナの背を睨みつけベレンガリアは口の中でそう呟いた。




 

 不機嫌そうに肩を怒らせて去って行くベレンガリアの背を見てファウスティナは心底からの愉悦を浮かべる。

  

 「……あまり良い趣味とは言えませんな」

 「あら? そう? 長生きの秘訣は適度なガス抜きよ? ストレスは寿命を縮めるしね?」


 ファウスティナを窘めたのは彼女の護衛についている異邦人の一人だ。

 頭部の形状に合わせた兜を被っているので、カバに似た姿をしているのは一目見れば分かる。


 柳橋やなぎばし 陽明てるあき

 ファウスティナの側近の一人だ。 早い段階で彼女の配下となったので付き合いはそれなり以上に長く、どういう性格なのかも把握はしていた。

  

 ――そしてベレンガリアが彼女にとってどういう存在なのかも。


 柳橋はファウスティナの事を人間のクズだと思っており、心の底から軽蔑しているが彼女に命を救われて今の地位を貰った恩もあるので逆らうつもりは一切なかった。

 今後も良き上司と部下としての付き合いを続けられればいいとは思っていたが、ベレンガリアの背中を見ると良心が咎めるのかついつい口を出してしまうのだ。


 異邦人――転生者達にとってこのジオセントルザムは世界で数少ない安住の地だと思っている。 その為、彼女の機嫌を損ねて追い出されるような事態は避けたいと思っているので、柳橋のように口を出す者は非常に稀だった。

 

 数千人規模の転生者を抱えるエメスだが、実際に戦力になるのは二割にも満たない。

 大半は何もしない上、言語の習得すら怪しい穀潰しだ。 度が過ぎた行いをする者は処分されるが、大人しくしている分には快適な生活が約束されるので逆らう者はまずいない。


 世界各地――とはいってもグノーシスの影響力が強い場所で保護された転生者はウルスラグナのような僻地でもない限りはすぐにクロノカイロスへ運ばれ、そのままジオセントルザムへと通される。

 基本的に何かを強制されることはないが、希望者は戦闘訓練を受けて聖堂騎士へと転職する事も可能だ。


 ただ、行動の自由が広がるだけなので、進んでやりたがる者は少ない。

 それでも柳橋を筆頭に一部の者は戦闘訓練を経て聖堂騎士へと就任した。

 何故か? 彼等はこの状況に少なからず疑問を抱いているからだ。 何も考えずに惰眠を貪るだけでは、何かがあれば簡単に切られるだろう。


 それをさせない為に自らの価値を高めようとしているのだ。 少しでも頭が回る者は考えるだろう。

 こんな世界で羽振りがいい国家とはいえ、自分達のような存在を無償で養う?

 できすぎだと。 彼等の言葉を鵜呑みにするのなら、異邦人は被害者なので手厚く保護するだの過去に異邦人は偉業を成したので国を挙げて客人としてもてなす事になっている等、それっぽい理由を並べているが聖堂騎士となった異邦人達は欠片も信じていなかった。


 かと言って他に行く当てもない。

 そんな彼等にできるのは自己を高める事によって自らの付加価値を上げ、いざと言う時に備えて力を付ける事だけだった。


 ――上司に悩まされるのは死んでからも同じか。


 楽し気にベレンガリアの背中を眺めるファウスティナを見て柳橋はこっそりと溜息を吐いた。

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