第930話 「苦断」

 「あ、あー、じゃあその処置とやらをするのは俺じゃだめですかい?」


 ……あぁ、言っちまった。


 俺は心底不本意だが妥協案を切り出す。

 クリステラは俺がそんな事を言い出すとは思わなかったのか、驚愕に目を見開いていた。

 ファティマにとっても俺はアイオーン教団を操る為に必要な駒の筈なので、簡単に消されない――と思いたい。

 

 その為、生贄としては手頃だろう。

 一応、アイオーン教団内部ではそこそこの立場だから、モンセラート代わりとして不足はない筈だ。

 男は無言でこちらに視線を向けて来る。 あの、怖いんでこっち見るの止めてくれませんかね。


 もう見られているだけで逃げ出したくなるので勘弁してほしい。

 

 「ど、どうですかね? 自分でいうのもあれですが、教団にとってはそこそこの地位なんで担保としてはモンセラートと釣り合いが取れると思いますが……」


 喋っていて言葉がどんどん尻すぼみになって行く。

 駄目だ。 こいつが恐ろしすぎて上手く喋れない。 何か向かい合っているだけで動悸息切れがする。

 

 『……ふむ。 では、クリステラ。 お前はこいつの為に命を賭けられるのか?』

 「できますがそれは……」

 

 そこは嘘でもいいから断言してくれると個人的にも状況的にも嬉しかったが、いきなりの事に言い淀んでいる。

 

 『断言できない所を見るといざとなったら切り捨てられそうだな。 お前では不足だ。 やはりモンセラート本人に施す以外に有り得んな。 あぁ、本人には気付かれんように配慮はしよう』


 ……やっぱり駄目か。


 どうでもいいが俺の価値ってその程度だよなと若干悲しくなったが、相談もさせてくれない現状では無理な話だったか。

 もう、こうなってしまうと相手の条件を全て呑む以外に方法がないな。


 断るという選択肢もあるが、足を運んでまでこの状況を作っている以上は本当に治せる可能性は高い。

 正直、モンセラートの治療だけを考えるなら受けるべきなのだろうが、やらされるであろう事が恐ろしすぎて頷く事も躊躇われる。


 仮に頷けば泣こうが喚こうが連中が指定した事を強制されるだろう。

 わざわざこんな手間暇かけて話を持って来たんだ。 絶対に碌でもない事をやらされる。

 クリステラもその点を理解しているからこそ、軽々しく頷けない。

 

 表情は苦渋に満ちており、普段はかかないような大粒の汗が流れていた。

 

 『黙っていても状況は変わらんぞ? さっきも言ったが俺は暇じゃない。 これ以上、粘るなら帰るが?』

 

 男はつまらなさそうな調子でそう促す。 お前の出す条件が重すぎるんだよと言いたいが、恐ろしくてとてもじゃないが口にできない。 それに男と会話している間に向いているファティマの冷たい視線が、ザクザクと突き刺さり胃がしくしくと痛む。


 本当に何なんだよこいつ等は。 俺を苦しめる為に生まれて来た悪魔か何かなのか?

 もう、帰りたい。 家に帰って酒を浴びるほど飲んで眠るんだ。

 そうだな。 この一件が片付いたら少し休もう。 俺はきっと疲れているんだ。


 だからクリステラよ。 そんな助けを求めるような目で俺を見るのを止めてくれないか?

 モンセラートを助けたいが、条件を呑む事に強い抵抗があると言った板挟みに苦しんでいるのは分かる。 俺も逆の立場ならそんな顔をして誰かに助けを求めるかもしれんが、もうこうなってしまった以上は何が正しいのかさっぱり分からん。


 『……最後だ。 返事を聞こうか? ――あぁ、一つ教えておこう。 記憶の欠損などが起こり始めた場合、仮に治療手段が他にあったとしても元に戻らん事は保証してやろう』


 この様子だとモンセラートの症状はある程度、掴んでいるって訳だ。

 俺はクリステラに首を振って見せる。 もう、お前が決めろ。

 仮にどっちを選んでも俺はお前の選択を尊重する。


 「貴方達が約束を守る保証は?」


 クリステラから出る声は擦れている。 過去にない程に消耗しているのか、その表情には見た事もない程に憔悴が刻まれていた。


 『ないな。 ただ、俺が求めているのは聖剣使いの戦闘能力であって、顔も知らんガキの命じゃない』


 即答。 男の言葉には迷いが欠片も存在しない。

 つまりモンセラートの命はどうでもいいので、積極的に殺すような真似はしないと言う意味か。

 裏を返すと邪魔になったら気軽に殺すと言っているような物だ。

 

 「……分かりました。 貴方の話を受けます。 ――ですが、今取り交わされた約束以外の事をモンセラートにする事は許さない」


 クリステラが絞り出すように同意すると男は大きく頷く。


 『あぁ、約束しよう。 さっき言った仕込み以外は余計な仕掛けはしない。 さて、話が纏まった所で、最初の約束を果たすとしよう。 治療するからさっさと本人を連れて来てくれ』


 そう言って俺達は追い出されるように酒場を後にする事となった。




 「エルマン聖堂騎士。 すいません、私は――」


 街を離れた所でクリステラが申し訳なさそうに口を開く。

 それに対して俺は気にするなと首を振る。


 「いや、構わん。 はっきり言って治療の目途も立っていない状況だ。 あの男のモンセラートの症状に対する意見はかなり正確だった。 少なくともこれからどうなるのかに関しては理解しているだろうな」

 「恐らく私は取り返しのつかない事をしようとしているのかもしれません。 ですが――」

 「そこは気にする必要はない。 モンセラートの治療が成功しても失敗しても俺達の中に何かしらの悔いは残るだろう」


 結局の所、俺達は後悔をしないであろう選択肢を選び続けるしかないのだ。

 それが誰かを不幸にするような事だったとしても。


 「――さて、話は決まったが、問題はモンセラートをどうやって連れ出すかだ。 本人にも詳細は伏せろとの事だったので決まりに抵触しない程度に事情を話してから意識を奪って運ぶ形にはなるが……」


 仮に話が拗れて強引に行く場合、あの状態のモンセラートを無力化するのはそう難しい事じゃない。

 魔法道具等で眠らせれば連れ出す所まではどうにでもなるだろう。 ただ、それをやると聖女を含めた他の連中への説明辺りで破綻する。


 今から王都に戻れば着く頃には時間的に今日の仕事は殆ど片付いているだろうから、聖女は部屋に戻っている筈なので顔を合わせずにモンセラートに会うのは難しくない。 やはり、先々の事を考えると本人を納得させる事が必須となるだろう。

 問題は連れ出す際にどう誤魔化すかだな。 俺はどうした物かと頭をガリガリと掻きながら考える。


 「……はぁ、もう散歩とか適当な理由を付けて連れ出してしまうか。 城塞聖堂さえ出てしまえば後はどうにでもなるしな」

 「見咎められた場合はどうしますか?」

 「散歩と言い張り――いや、外出時間を考えると一工夫必要か?」 

 「どうしますか?」

 

 クリステラは何も思いつきませんといった感じで丸投げしてくる事に若干の苛立ちと不快感を覚えたが、努めて表には出さない。

 本音を言えばお前も何か考えろと言いたいが、余計な事をされても困る。


 「王都に戻る間に考える。 少し時間をくれ」


 俺は内心で溜息を吐きながらそう応えた。

 ぼんやりとした案は浮かんでいるので移動中に詳細を詰めるだけだ。

 やや面倒だが一芝居打つとしよう。 

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