第881話 「片付」

 『こっちよ! 急いで!』


 口々に危険や避難をするんだと叫びながらエルフ達はユトナナリボから離れようとする。

 コンスタンサはその避難する者達の中、街の外へと向かって走っていた。

 

 ――どうして?


 何故こんな事になったのか彼女には全く分からなかった。

 天使兵は見た事もない魔物や異形の存在に次々と撃破されて行く。

 街を蹂躙する者達に空には海が広がっているという意味不明な状況と巨大な魚の魔物。 戦闘の余波であちこちが破壊されており、一部は炎上までしている。 少し前まで平和そのものだったユトナナリボの面影は欠片もない。


 コンスタンサの脳裏にはただただ疑問が渦を巻いていた。

 何故ならこの街はハイ・エルフが治め、グリゴリの庇護下にある世界で一番安全で、幸福な場所の筈だ。

 エルフはグリゴリの加護の下、永遠の繁栄が約束され、自分達には幸福な未来しかない。


 少なくとも彼女はそれを心の底から信じていたので、こんな事になるなんて想像すらできなかったのだ。

 グリゴリの天使は偉大にして絶対の存在。 彼等の言う事は無条件で正しい。

 それを信じていたコンスタンサにはこの状況を受け入れる心の余裕は欠片もなかった。


 ハイ・エルフの誘導で複数のグループに分かれて散り散りに逃げており、コンスタンサ達は街の南――普段、グノーシス教団への「下賜」に使用している場所を目指している。

 そこまで行けばグノーシス教団の支援が期待できるからだ。 彼等はグリゴリの加護を受けた者達。


 一声かければ喜んで力を貸すだろうと言った考えがあったからだ。

 都市を構成する巨木を抜け、地上に降りて森を抜けようとしたが――


 「あ、きた」


 ――それを阻むように奇妙な一団が彼女達を待ち構えていた。


 先頭に立っているのは赤黒い肌をした大柄な男――ゼンドルだ。

 足元には狐のザンダー。 そして背後にはモスマンやモノスの群。


 「おとなしくいっしょにくるなら、なにもしないけど……。 あ、ことばがつうじないんだっけ?」


 じゃあしょうがないかなと首を傾げつつ呟き、ゼンドルはやや困ったと言った表情を浮かべた後に持っていた槍を構える。

 

 『貴様!』


 言葉は分からないが侮られたと解釈した戦士階級のエルフが、剣を抜いて斬りかかる。

 彼はユトナナリボの中でも上位に位置する剣の使い手だ。 動きはかなりいい部類に入るが――。

 ゼンドルは斬りかかってきた男を無言で見つめ、間合いを測る。


 槍の間合いに入ったと同時に刃ではなく石突を跳ね上げ、男の股間を下から打ち抜く。

 

 『――!?』


 男は声にならない声を上げていたがいつの間にか歩み寄ったゼンドルがその顎を拳で撃ち抜いて意識を刈り取る。

 文字通り秒殺された同胞の姿を見て、接近戦が危険と判断した他のエルフ達が弓や魔法で攻撃しようとしたが、横薙ぎに振るわれた巨大な尾に吹き飛ばされる。 ザンダーの尾だ。 振るった瞬間に巨大化してエルフ達を叩きのめし、一撃で行動不能に陥らせた。


 そこから先はもはや戦いですらなくなった。

 屈強な戦士たちが碌な抵抗も出来ないまま倒されたのだ。 勝ち目がない事は明らかだった。

 エルフ達は悲鳴を上げながら散り散りとなって逃げ出す。 グリゴリを信仰し、自分達は神に選ばれたと言った自負は消え去り、その姿はただただ恐怖の叫びをあげながら自らの保身だけを考える彼等自身が愚かと断じた存在そのものだった。


 コンスタンサもその例に漏れず、ただひたすらに死にたくないと祈りながらただただひたすらに森を走る。 彼女の思考は恐怖の一色で塗り潰されており、余計な事は一切考えていない。

 ただ、このままあの者達に捕まると確実に命を失う――否、もっと恐ろしい事・・・・・・・・になる。 そんな根拠のない予感を嫌という程に感じていた。


 分からない。 どうしてこんな事になったのか? どうすれば助かるのか?

 恐怖に塗り潰される思考の中、そんな疑問が微かに湧き上がっては泡のように弾けて消えた。

 死にたくない。 誰か、誰か助けて。 助けて、助けて。


 自分が助かる事を必死に祈り――脳裏に一つの思考が過ぎった。

 それは母から持たされた首飾り。 魔石を加工したそれは魔法が刻み込まれており、短い時間ではあるが使用者の気配と姿を隠してくれると言った代物だった。


 コンスタンサは藁にも縋る気持ちで魔力を通して起動。 その姿が消える。

 本来なら二、三人は隠せるほどの高い効果を持っているが、他人を気遣う余裕は今の彼女にはないのでそのまま周りには構わず自分一人で使用。


 ――だって、声を上げたら狙われるかもしれないじゃない。


 ちらりとそう考えて周りの同胞達をあっさりと切り捨てる。 中には親友のラフアナも含まれていたが、下手に声を上げると目を付けられる可能性が上がるので、そんな危険な真似はできない。

 あちこちで悲鳴が上がるがコンスタンサはひたすら無視して足を動かす。


 途中で転倒して足を捻ったが、痛みを無視して走る。

 仮に折れたとしても走らなければならない。 死にたくない。 死にたくない。

 彼女はただひたすらにこの場を逃れる事だけを考えてただただひたすらに走る。


 仮に逃げ切ったとしてもこの後、どうするのかなども一切考えない。

 逃げ切れば大丈夫。 少なくとも恐ろしい目には遭わない。 だから逃げなければ――


 ――その一念を以って彼女は――森を抜ける事に成功したのだった。


 抜けた先は随分と様変わりしており、沼のように地面がぬかるんでいる更地が一面に広がっている。

 これはディープ・ワンの攻撃により、ユトナナリボの結界の外にあった物が残らず洗い流された結果だ。 周囲には遮蔽物は何もない。

 

 ――だが、希望はあった。


 コンスタンサは希望に向けて一目散に駆け出す。 途中で首飾りの効果が切れて、その姿が露わになったがそんな事は関係ない。

 だって自分は助かったのだから、後ろから追ってくる気配は感じない事もそれに拍車をかけた。


 彼女は見つけた希望の前で足を止める。


 『た、助かりました! 大変なのです! ユトナナリボが襲われています! 急ぎ救援を!』


 彼女は捲くし立てるようにそう言うが相手は応えない。


 『き、聞いているのですか!? サブリナ・・・・! 早く皆を――』


 それが最後だった。 彼女が駆け寄った相手はグノーシス教団に偽装した者達――その先頭に立っていた修道服に身を包んだサブリナは笑顔のまま無言で持っていた錫杖をコンスタンサの脳天に叩きつける。

 自分に何が起こったのかを理解する間もなくコンスタンサは意識を失って崩れ落ちた。


 その姿にサブリナは笑顔をうかべたまま、まったく笑っていない視線を向け――


 「早くそのゴミを片付けなさい」


 ――周囲の部下にそう指示を出した。

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