第676話 「誘込」

 今しがた響き渡った何かにデュレットはその正体に凡その当たりは付けた。

 恐らく権能かそれに類する何か。

 そう悟り彼の中に怒りの炎が燃え上がる。 薄汚い辺獄種め、我等の力を真似るとは恥を知れ、と。


 怒りこそ抱いているが彼も聖堂騎士、心の芯には冷静さがしっかりと残っている。

 仮に権能だとすればどのような効果だと冷静に考察。

 敵の動きには大きな変化はない。 斬り捨てる辺獄種にも同様に変化は見受けられず、特殊な攻撃を繰り出してくる者も見当たらないが――


 瞬間、敵の中に素早く動く何かを視界が捉える。

 フードのような物を被った暗殺者の様な装いをした辺獄種だ。 身を低くして彼に肉薄。 手には短剣。

 戦闘の間隙を突いて暗殺する気か。 デュレットは小賢しいと考え、斬りかかって来る暗殺者を袈裟に両断。


 辺獄種は咄嗟に短剣で受けたが彼の刃は武器ごと敵を両断した。

 大した事はないが、いちいち影から狙われるのは厄介なと考えた所で暗殺者と目が合う。

 その目が嘲る様な笑みを浮かべるのが見え、警戒心が持ち上がる。


 ――だが、それはどうしようもなく遅かった。


 暗殺者の口が言葉を紡ぐように動き、ほんの一瞬だけだがその背に羽が現れた。

 

 ――ρετριβθτιωε ξθστιψε■■


 同時にデュレットの体にたった今、両断した辺獄種と全く同じ傷が刻まれる。

 血が噴出し急速に失われて行く体温と意識。 そして鎧の中で両断される上半身。

 一体、何が――?


 疑問が脳裏を埋め尽くし、立っていられなくなった彼は地面に崩れ落ちる。

 アストリュク・ニコラ・デュレットは自分に何が起こったのか自覚する間もなく、その生涯を終える事となった。


 同様の事態は戦場のあちこちで発生する事となる。

 察しの良い者は即座に気が付いた。 権能だ。

 辺獄種の中に権能を扱っている者が居る。 効果や使用している物は個体ごとに異なっているようで、何をしてくるか読めないが、現状で最も厄介なのは自身の傷を対象にコピーする物だろう。


 辺獄種一体に対して確実に一人が道連れにされてしまうからだ。

 聖騎士や聖殿騎士なら被害としては軽微だが、聖堂騎士が道連れにされてしまうと大打撃だろう。

 当然ながら異変に気付いた物は即座に状況を把握。 傾向を読み取る。


 勘の良い者は即座に気付く。 権能を使って来る相手は他と動きが違うと。

 

 「一部の動きのいい奴に気を付けろ! 何か仕掛けて来るぞ!」


 誰かの警告が飛ぶ。

 

 「なら任せなぁ!」


 その声に応じるように先頭で戦っている一人――ヤドヴィガが更に前に出る。

 彼女の手には聖剣シャダイ・エルカイ。 紫色の透き通った刃を持つ大剣だ。

 聖剣により強化された知覚が戦場の異物を発見。 即座に斬りかかる。


 大柄な体躯が象徴するように彼女の戦いは力に任せた大味な物だが、聖剣を手にする事で発揮される人外の領域に足を踏み入れた身体能力はその雑な戦い方の完成度を大きく引き上げた。

 フードを被った暗殺者風の辺獄種を周りの雑魚と一緒に一振りで屠る。

 

 周りの辺獄種達と一緒に暗殺者もその五体を砕かれて散らばり――

 

 ――ρετριβθτιωε ξθστιψε■■


 同時にそれが起こった。 砕かれた暗殺者と同じ傷がヤドヴィガの身にも刻まれる。


 ――だが――


 「それがどうしたぁ!」


 彼女が吼えると同時に聖剣が輝きを増し、傷が逆戻しのように消え去る。

 これこそが聖剣シャダイ・エルカイの能力の一つ。 使い手の即死に近い損傷すらも即座に回復させる再生能力。 死ぬまでにタイムラグがあるのなら凄まじい速度でその傷を癒し、戦いを継続させる超再生は権能が齎す死の運命すら跳ね返す。

 

 「妙な技を使う暗殺者はこっちで引き受ける! ハイデヴューネ! あんたは雑魚の掃除を頼む!」

 

 ヤドヴィガの後ろにいた聖女は彼女に前衛を任せつつ、水銀の槍で辺獄種の掃討を行っていた。

 前から来る敵はヤドヴィガが処理してくれるので安心して攻撃に専念できる事と、連れて来たエイデンとリリーゼが脇を固めている事も大きい。

 

 ただ、辺獄が近づいていたので転生者の二人は戦闘の開始と同時に下げる事となった。

 聖女は前をヤドヴィガに任せ、聖剣の魔力に物を言わせて水銀の槍を大量に生成して辺獄種達へと降らせる。

 その際には意識して、風体の違う者は避けて狙う。


 そちらの掃討は前衛であるヤドヴィガの役目だからだ。 彼女の聖剣の力ならば即死しない限り、問題はない。

 聖女はそろそろ進むのは抑えて敵の数を減らす事に注力すべきだと考える。

 辺獄がもう目の前なので、そちらに足を踏み入れてしまうと聖剣の能力に制限がかかってしまう。

 

 ヤドヴィガもそれを理解しているので、辺獄に足を踏み入れる程に突出していない。

 可能であればこの軍勢を辺獄に入る前に撃破して――


 ――させると思っているのか?


 瞬間。 辺獄の大地が一気に広がる。

 大地と空が凄まじい勢いで黄昏色に染まり、展開していたヴェンヴァローカ側の軍勢の前半分が瞬時に呑み込まれた。


 「――そんな!?」

 「チッ、いきなりこれは――!?」 


 聖女とヤドヴィガが動揺の声を上げる。

 辺獄に呑まれた事で二本の聖剣が即座に力の一部を失う。 変化はそれだけに留まらない。


 ――Ινξθστιψε■■ δοες νοτ■■ ρεαλλυ■■■ βενεφιτ■■ ανυονε,■■、 ανδ ξθστιψε■■■ δοες■■ νοτ■■ ηθρτ■■ ανυονε.■■


 同時に空気を震わせて何かが全軍に伝播する。

 そして、全員の権能による身体能力強化の効果が掻き消えた。

 

 「『――な、どうして!?』」


 当然ながら一番その事態に動揺していたのは権能を維持していたヘオドラだ。

 彼女の権能は間違いなくその力を発揮し、味方に活力を与え続けている筈。

 なのに効果が出ていない。 彼女は即座に原因を看破、間違いなく相手側の権能で相殺されている。 

 

 何とか押し返そうと力を振り絞るが、均衡は崩せない。

 悔し気に歯噛み。 皆に力を与えるという役目が果たせない、何とか――何とかしないと。

 彼女は動揺で荒れ狂う心を抑えつつ、何かないかと考え続けた。


 当然ながら権能での身体能力強化による優位は消え失せた事で、戦況は徐々にだが傾き始める。

 それは前線に行けば行くほどに顕著で、強化が切れたタイミングで辺獄種の質が上がってきているのだ。

 当初は聖剣と権能による強化で押し込んでいたが、伸びきっていたヴェンヴァローカ軍は辺獄に取り込まれたと同時に出現した辺獄種の増援に包囲。 結果、分断されて一気に劣勢に立たされる。


 辺獄種の指揮を執っている存在の狙いは最大戦力である聖剣の撃破。 その為に弱体化と分断を同時に行ったのだ。 加えてその二つを畳みかけるように行って動揺を誘い、相手に立て直す間を与えない。


 ――殺す。 確実に殺す。


 彼の殺意は形を成して戦場に伝播する。

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