第451話 「潮時」

 ラーヒズヤは村の外に目を向ける。

 視界は悪く、先は見通せない。 まるでこの村の運命を暗示しているかのようだと小さく自嘲。

 少しずつではあるが霧の村への影響が強くなっている事を彼は察していた。


 もうこの村は駄目だと悟ってはいたのだ。

 だが、だからといってどうすればいいのだという思いが彼をこの場所に縫い留めている。

 彼は生まれた時からこの地に縛られていた。


 四方顔の剣士として生まれ、育ち、死ぬ。

 そう定められており、彼自身もその運命を受け入れていた。

 

 ――だというのに――


 表面には出さなかったが彼は苦悩していた。

 命だけは助かる方法は勿論存在する。 家族を連れて逃げる事だ。

 外の事情には疎いが、四方顔の技は外でも充分に通用する。 生き抜く事は可能だろう。

 

 幸いにも彼の家族は妻と娘のみ。 カンチャーナの術の影響は受けない。

 ならば全てを忘れ、家族と共に新たな道を探る。

 それがいいと彼の理性は囁く。 だが、今まで過ごした日々が進む足を鈍らせるのだ。


 結果、前にも後ろにも進めないと言った中途半端な態度を彼に取らせていた。

 時間はそう残されていない。 彼がローに話した事に嘘はない。

 この村は龍穴の近くに存在し、大地から噴き出す魔力がカンチャーナの術を防いでいる。


 だが、世界を巡る魔力の流れは日々動いている。

 全ての者が知っている事実ではないが、龍穴は少しずつではあるが位置がずれてきているのだ。

 その為、村を守る防壁が機能しなくなってきている。

 

 遠からずこの村はカンチャーナの影響下に置かれるだろう。

 願わくば外の者達がこの騒動を収めてはくれないだろうかと考える。

 それが逃げだと言う事は彼自身理解していたが、決断できない以上、彼は動けない。


 だからこそ――


 「父上!」


 あのローという冒険者に彼は期待していたのだが……。

 外に出ていた彼の娘であるハリシャが戻ってきたようだ。 息を切らせて走って来る。 


 「どうだった? ここまで来れたのだ、無事下山する事は……」

 

 念の為にとローの護衛に付けていた。

 安全な所まで降りた所を確認して戻って来たのだろうと思っていたのだが……。


 「そ、それが、あの者は下山するどころか奥へと向かって行きました」

 「……何?」


 馬鹿な。 何を考えているのだあの男はとラーヒズヤは憤る。

 折角、四方顔の情報を与えたというのにそれを無にするような行動を取るとはどう言う事だ?

 カンチャーナの危険性も可能な限り伝えたはずだった。


 それを聞いて尚、本堂を目指す神経が彼には理解できなかったのだ。

 ラーヒズヤは思う。 あの男はまさか、聞いているふりをして自分の話を適当に聞き流していたのではないのかと。


 それか単純に血迷ったか道を間違えた?

 

 「道を違えたか?」


 疑問を言葉にしたが返って来たのは否定。

 ハリシャは首を横に振った。


 「いえ、少なくとも私の見た限り歩みに迷いはなく、あの男は明らかに本堂を目指していました」

  

 ラーヒズヤは考える。

 ハリシャの言葉を疑うほど彼は耄碌していない。

 つまりはローという男はラーヒズヤの話を聞いた上で本堂を目指したと言う事だ。

 

 とてもじゃないが正気とは思えない。

 カンチャーナの惑わしの術は男である以上、防ぐのは困難――いや、不可能と言って良い。 

 そして一度術中に落ちればもう戻れない。


 ラーヒズヤは大きく肩を落とす。

 希望が潰えたからだ。 ハリシャが戻って来たと言う事はローが峠を越えたからだろう。

 あそこを越えれば本堂までそうかからない。 そしてカンチャーナの妖気も濃度を増す。

 

 ラーヒズヤはローはもうだめだと確信する。

 恐らくあんな濃い霧に曝され続ければ第五を完全に開放した自分でも長くは保たないだろう。

 そう考えれば何か道具の類で術を防いだとしても即座に焼き切れるのが目に見えていた。


 もしかしたらこれで良かったのかもと知れないと彼は考える。


 「ハリシャ」

 「はい」


 彼は己の決断を娘に伝える。


 「母と村の女たちを連れて山を降りろ。 そしてアラブロストルの者達に知り得る限りの事を話し助力を乞え。 完全に信を置く事は難しかろうが、そこはかの教団の者達も同じ。 有用なうちは害される事もない筈だ。 お前は父と違い賢い。 上手く立ち回れ」

 

 ラーヒズヤの言葉が予想外だったのかハリシャは目を見開く。


 「ち、父上、ですが……」

 「あの冒険者がカンチャーナの手に落ちればここの事が筒抜けとなる。 後は分かるな?」

 「ならば! ならば私があの毒婦めを斬ります! 私ならばあの汚らわしい術の影響を受けません。 万全の状態で戦えます!」


 ラーヒズヤは力なく首を振る。

 結果が分かり切っているからだ。 確かにハリシャは強い。

 いや、正確には強くなる素養を秘めている。 この若さで第四までのチャクラを操れると言うのは才がなければ難しい。


 このまま成長すれば守りを突破し、あの娘の首に刃が届くかもしれないとラーヒズヤは親の贔屓目を抜きにしてもそう思う。

 だが、それは今ではない。 彼は確信していた。

 行けば死ぬと。 カンチャーナは容赦がない。 恐らく死ぬだけでは済まない。

 

 操られている者達の慰み者にされるかもしれない。

 あの娘の憎悪の深さはこの惨状を見れば明らかだ。 

 ただ殺すなんて生温い真似はしないだろう。 可能な限りの恥辱を与え、絶望の底に落としてから命を奪おうとするだろう。


 そんな事は親として断じて許容できない。

 他の人間が迷い込んで来るなんて幸運はもう訪れないだろう。

 情報が漏れた以上、ここは攻勢に曝されるのは間違いない。


 ならば残るのは男達だけでいいだろう。

  

 「……父上……分かりました」


 ハリシャは絞り出すようにそう言うと踵を返してその場を後にした。

 ラーヒズヤはそれを見送ると仲間に事情を話す為に村の集会場へと向かう。


  


 村に残っている戦闘が可能な者達を集めてラーヒズヤは事情を説明した。

 何となく潮時と感じていたのか、ローを招き入れた彼を責める者は居ない。

 各々頷きここを自らの死地とする運命を受け入れた。


 方針が決まれば後は早い。

 村を挙げての荷造りだ。 必要最低限の荷物と換金できそうな物を持たせて山を下りる準備をさせる。

 女達は家族との別れを惜しみ、避難した後の生活に不安を感じているのだろう表情は暗い。


 気持ちは痛いほどわかる。 

 皆、この山と四方顔と共に生きて来たのだ。 それを捨てるなんて考えた事もなかったのだろう。

 留まる事は死に直結する事を誰もが理解している。 だが、それでも故郷を捨てる事に強い抵抗を示していた。


 一日で荷造りを済ませ後は出発の機を窺うだけだったのだが――

 

 作業にかまけておりラーヒズヤは娘の姿が村から消えていた事に気付くのが致命的に遅れた。

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