第217話 「報告」
「動きは無し、か」
小さく溜息を吐きながら俺――エルマンは壁の監視を続けていた部下の定期連絡を聞き終えていた。
現在地はオラトリアムを抜けてメドリームに入って少し行った場所だ。
野営の準備も済み、周囲を警戒しつつ皆が一息ついている。
まだ時間は経過していないがオラトリアムに動きはなく静かな物らしい。
不気味な程に。
……こりゃどうした物かね。
基本的に待ち続けていれば良いだけだが、嫌な感じが止まらん。
本当にここでこうして居てもいいんだろうか?
もしかして、俺が直接監視をしたほうが良かったのだろうか?
不安に似た考えが脳裏に渦巻く。
いつもの俺なら気長に待ちますかねとか言って昼寝の一つでも始める所だが、何故かそうしようと言う気が全く起こらない。
そんな焦燥感に似た何かがじりじりと身を焦がす。
ここ最近、天候が崩れやすくなっている所為か全体の移動速度も落ちてきている。
ウィリードへの帰還は数日遅れる事になりそうだ。
どうしてこうついてないかねと思いながら俺は思考を巡らせる。
考える事は帰還後の話だ。
遅かれ早かれマルスランの事は上に報告しなければならない。
奴の自業自得とは言え、責任者であるクリステラにも何らかの処罰が下るかもしれん。
その前に釣り合うぐらいの成果を出して置かないと後々に差し支える。
何とか踏み込む口実を見つけてから壁の向こうを調べないとな。
調べた結果、何もなかったのならそれはそれでいい。
必要なのは喋る魔物が居るなら居る、居ないなら居ないと言う確証。
それさえあれば上も納得するはずだ。
マルスランの件は、奴の暴走と言う事で御しきれなかった責任は問われるだろうが致命的ではない。
最悪、俺が泥を被って丸く収めると言うのもありだ。
万が一生きていればマルスランに責任を全ておっ被せるつもりだが、まぁないだろうな。
奴に関しては同情心はこれっぽっちも湧かない。
勝手に動いて勝手に落とし穴に落ちた馬鹿に同情される資格はない。
むしろ面倒事を増やしてくれた落とし前を付けさせて欲しい位だ。
……おっと。
ぽつりと顔に雫が落ちる。
雨が降り出してきたようだ。
濡れるのは好きじゃないのでさっさと自分の
雨が周囲を打つ音を聞きながら出口の見えない思索に耽り、俺はまた時間を浪費していく。
幸いにも通り雨だったようで、直ぐに降り止んだが空は曇天のままだ。
湿った空気が風に乗って流れて来る所を見ると、しばらくは降ったり止んだりが繰り返されるだろう。
経験から来る予想なのでまぁ、的は射ている筈だ。
翌朝にはそれが現実になり、再び雨が降り始める。
各々、雨具を身に着け降り注ぐ雨を防いでいた。
備えはしていたので、大した問題ではないが足が遅くなることは避けられない。
クリステラも無理をさせる気はないらしく、余裕を持っての移動を命じて、予定より三日程の遅れが出ての到着となった。 加えて雨の所為で移動が遅れ、深夜になってしまった。
俺とクリステラは到着した足でスタニスラスへの報告の為、奴の私室へと向かう。
この時間だと流石に奴も執務室には居らず、部屋で休んでいたようだ。
事前に連絡はしていたのですぐに会ってくれる事になった。
スタニスラスは俺達の顔を見て小さく息を吐く。
「やはりマルスランは戻っていないか……」
「あぁ、部下にも探させてはいるが、どう言う訳か合流できていない」
「……どういう事ですか? マルスラン聖堂騎士に何が?」
クリステラが訝しむような視線を向けて来る。
まぁ、初耳だし当然の反応か。
……と言うかお前はいつまで経っても戻って来ない事実を少しは重く受け止め――いや、ただの報告に行かせるだけのガキの使い程度の用事で居なくなるとは思わんか。
「戻って来ないので部下を行かせたって話はしたよな?」
俺がそう言うとクリステラは頷き返す。
「……で、その部下から連絡があったんだがな。 マルスランの奴が何処にも居ないんだとさ」
「どういう事ですか? それは何か問題が起こったと言う事でしょうか?」
十中八九そうだろうが、確証もないし事情もできれば話したくはないので肩を竦めて答える。
「それが何とも。 いたであろう場所から綺麗さっぱり消えていたんだとさ。 足取りも不明」
「……何者かに襲われたと言う事でしょうか?」
どちらかと言うと襲われに行ったんじゃないかと俺は思うがな。
「それも分からん。 もしかしたら功を焦って例の魔物を探しに行ったのかもしれん」
我ながら白々しいと思いながら可能性を挙げる。
それを聞いてクリステラは眉を顰め、少し考えるように少し俯いた。
「……マルスラン聖堂騎士が何に焦っていたのかは分かりませんが、人々の為に魔物の討伐に向かったと言うのならそれは充分にあり得る事でしょう。 いえ、もしかしたら魔物を見つけられなかった事に焦りを感じて彼はそのような行動に出たのではないでしょうか?」
………は?
俺は目の前の女が何を言っているのか全く理解できなかった。
それはスタニスラスも同様で「何を言っているのだこいつは」と言った表情を浮かべている。
人々の為? まぁ、そう言う奴も居るだろうよ。 無論、俺は違うが。
だが、マルスランは明らかにそう言う事を考える奴ではないだろう。
奴は上昇志向と承認欲求の塊だ。
傍から見ればそれは明らかで、数日も過ごせば分かる物だがこの女には分からなかったのか?
どう見ても俺やお前に対抗心剥き出しだったぞ?
正直、俺の部下でさえそれを察して距離を取っていたと言うのに――お前は一体何を見ていたんだ。
そう言ってやりたいが、俺は内心で首を振って出かかった言葉を飲み込んだ。
何と言うか、クリステラと言う女の歪さを垣間見た気がした。
こいつは明らかに聖堂騎士と言う立場への向き合い方が俺とは違う。
理解できていないのか、する気がないのか。
……まぁいい。 しばらくは蚊帳の外でいてくれ。
「一応、部下に探させているが、見つからんようなら何かあったと考えた方が良いかもしれんな」
「例の魔物に襲われたか、何者かに襲撃されたか……」
「心配ではありますが、彼も聖堂騎士の一人。 並の相手に後れを取る事はないでしょう」
「……だといいがね」
そう言いながらも並じゃないから奴は消えたんだろうと言う確信があるので、表情にこそ出さないが内心は苦々しい。
「……話は分かった。 エルマンの部下が現地で動いているようだし、少し様子を見よう。 闇雲に動いても仕方がない以上、足取りを掴んでからでも遅くは無い筈だ」
「分かりました。 では私はいつでも出られるように準備をしておきます」
……おいおい、納得するのかよ。
スタニスラスは暗に手遅れだと言っているんだが気付いてないのか?
「うむ。 有事の際にはよろしく頼む」
「では私はこれで」
「今の所、予定はないから疲れを癒してくれ。 後、エルマンは残れ。 部下の報告とやらの詳細が聞きたい」
そう来ると思ったぜ。
俺は無言で頷いておいた。
クリステラが挨拶をして退室し、足音が遠ざかった所でスタニスラスは魔法道具を使い、外に音が漏れないようにする。
同時に外から聞こえる音は消え、耳に入るのは窓を叩く雨音だけになった。
この道具は空間の内外へ漏れる音は消してくれるが、接触する音は通すのだ。
例えば窓を叩く雨音や扉を叩く音は通すので、不意の来客があっても気が付かないなんて事はなく、便利な代物だ。
……正直、欲しいが高価なので今の所、手が出ないな。
「……さて。 詳しい話を聞こうか」
スタニスラスがやや疲れた顔で話を切り出す。
「詳しくっつっても前に話した以上の事は分かってねぇぞ。 念の為、部下には探させているが無駄に終わりそうだ」
「オラトリアムの仕業と言うのは間違いないのか?」
「はっきりとした証拠はないがほぼ間違いなくな」
状況証拠だけだが、そうとしか考えられない。
むしろそれ以外の何だと言うんだ。
「……お前は、オラトリアムに例の魔物が居ると思うか?」
「その辺は何とも言えん。 あの領に秘密があるのは確かだろうが、それがその喋る魔物かどうかは分からん」
その辺りは俺自身、測りかねている所だ。
果たして魔物一匹囲うだけであそこまで領を発展させることができるのだろうか?
単にあのファティマとかいう女が有能なだけじゃないのかとも思うが……。
……だめだな。 判断材料が足りない。
「情報を整理しよう」
スタニスラスは俺の考えを察したのかそう言う。
「お前から聞いた話を纏めると――まず、マルスランはオラトリアムの領主代行へ魔物捜索の結果報告に行った。 本来、お前が行くはずの所を奴が行ったのは、何らかの手段で俺とお前の話を盗み聞いて手柄を横取りしようとした」
俺は頷く。
その辺りはほぼ確定だろう。
そうでもなければあの坊ちゃんが出しゃばる理由がない。
「その後、お前が様子を見に戻った時にはマルスラン一行は姿を消していたと」
「あぁ、地面を均した跡と土から血の臭いがした。 恐らくは戦闘の痕跡を消したんだろう」
「……マルスラン達は壁の向こうか。 諦めるしかないのは分かるが、どう報告した物か考えるだけで頭が痛いな」
「全くだ」
お互い分かっている。
もうどうしようもない事を。
はっきり言ってこの会話自体が現実逃避とそう変わらない。
俺達は選ばなければならない。
結果を求めて強引な手を使うか、罰則覚悟で上に報告するかだ。
「我が友エルマンよ。 どうすればいいと思う」
「……ありのままを報告するしかないだろう。 マルスランがあっさり消えた以上、俺が忍び込んでも殺されるのが落ちだしな」
スタニスラスは重たい息を吐いて頷く。
「……そうだな。 お前の言う通りだ。 今日はもう遅い。 明日の朝にでも――」
不意に扉が叩かれる。
俺達は眉を顰めて顔を見合わせて、扉へ視線を向けた。
スタニスラスは魔法道具の効果を解除。 そうしないとこちらの返事が届かないからだ。
「どうした? 入っていいぞ」
許可を出すと同時に聖騎士が入って来た。
聖騎士の額には汗がにじんでおり、慌てて走って来た事が窺える。
「て、敵襲です! 襲撃を受けています!」
……何?
俺達がその聖騎士の言葉を理解するのに数瞬の時を要した。
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