第89話 「死者」

 俺――リックは腕を切断されて動揺しているアイガーに追撃とばかりに斬り込む。

 アイガーは奇襲の動揺から何とか立て直したのか、俺の斬撃を際どい所で躱し続ける。

 それを見て俺は冷静に動きを観察しつつ剣を振るう。


 さっきまで、怒りに支配されていた思考は驚くほど澄み渡っている。

 あのローと言う男に施された『処置』とやらのお陰で体の傷は癒えた所かむしろ調子が良いぐらいだ。

 人間ではなくなった俺に残された思考は怒りと殺意だけだった。


 それに突き動かされるままにヘレティルト――いや、ヴォイドか――に襲いかかったが、後一歩といった所で邪魔が入った。アイガーだ。

 あの男の『魔眼』で動きを封じられた上に俺という存在を支える上で最も大事な物を抜き取られた。


 お陰で死ぬのを待つ状態だったが、そこに現れたのがローだ。

 ローは無機質な眼差しで俺に言った「もう一度立たせてやる」と。

 正直、その時の俺には何故かローが悪魔に見えた。そして奴は俺に代償を求めた。


 それを聞いた時に俺の脳裏に過ぎったのは、もはや在りし日となった日常。

 サニア、アンジーさん、レフィーア、教官、ついでにガーバス。

 そしてそれを奪ったヴォイドとアイガーへの怒りだった。


 連中がのうのうと生きているのに俺はこのまま死ぬ?

 有り得ないだろ?同じ死ぬにしても最低、あの二人を道連れにしないと収まらない。

 あっさりと覚悟は決まった。上等だ。俺に支払える物なら何でも持って行け。


 それを察したローは薄く笑うと、俺に『処置』を施した。

 具体的に何をされたかは何故か思い出せないが、気が付けば俺は人間に近い体付きになっており、理性を失うほどの怒りと殺意は鳴りを潜めていた。


 消えた訳ではないが、自分で制御できるようになっている。

 その後、どこから持ってきたのか鎧と剣を与えられた。どこかで見た事があるような気がするが、使えそうだったのでありがたく借り受ける事にした。

 

 いつの間にか現れた聖騎士に鎧を身に着けるのを手伝って貰い準備完了。

 先行したローを追ってヴォイド達の下へ向かう。

 ローを見つけた時にはすでにアイガーと接触していたので、先制で斬り込んだ。


 狙いはさっき俺の動きを封じた腕、アレさえなければ少なくとも理不尽に動きを封じられることはなくなる。鎧に魔力を流し込み『機能』を発動する。


 『白雨の鎧』これを持ってきたイクバルと名乗った聖騎士によると、魔力を流し込む事によって自らの気配を遮断する事が出来るらしい。あくまで隠すのは気配だけで姿が消える訳ではない。


 ……それで充分だ。

 

 俺はもう一つの借り物である剣を一閃。

 『濡羽の剣』速度と威力を極限まで追求したのがこの剣らしい。

 備わっている能力は『所持品の重さを感じない』『使い手の魔力を吸い上げて剣の強度と切れ味を上げる』の二つだ。

 

 これにより両手剣としては破格の剣速を繰り出す事が可能になり、鎧の重さも無視できる。

 そして悪魔になった事で大きく向上した身体能力、それらが揃った事により奇襲は完璧に成功した。

 実際、アイガーも俺が間合いに入るまで反応できずに腕を切り落とされている。


 奴の驚く顔を見て少しばかり胸がすく思いだが、まだまだだ。

 待っていろヘレティルト改めヴォイド。

 こいつを嬲り殺しにした後に、お前を八つ裂きにしてやる。

 

 「……誰かは知らんが、随分といい動きをする。この街に居る聖殿騎士以上は把握していたはずだが、お前には覚えがないな」

 

 アイガーは距離を取りつつ俺の動きに注視しているようだ。

 それにしてもこいつの声を聞いていると冷静さを失うほどではないが不愉快な気分になるな。

 

 「それにその装備、同志ヴォイドの物だな」


 ……あぁ、そうだったのか。道理で使い勝手がいい訳だ。


 聖堂騎士の専用装備だったのか。

 はは。こいつで八つ裂きにしてやったらヴォイドの奴、どんな顔をするんだろうな。

 胸の内がドス黒い愉悦で満ちる。それを味わいながら目の前のアイガーに集中する。


 妙な事に体の表面が不自然に蠢いており、切断した腕からの出血が止まっているが、気にもならなかった。

 正直、死に辛いのは大歓迎だ。たっぷり楽しめそうだしな。


 手足を落とした後にゆっくりと痛めつけてやるからな?

 レフィーア達が味わった痛みをお前にも味わってもらうぞ。

 

 俺は剣と鎧の機能を全開にして斬りかかる。まずは上段からの一撃。

 まずは鬱陶しい腕からだ。


 アイガーは舌打ちして躱す。良い反応だ。

 振り下ろした剣の軌道を変えて横薙ぎ、微かな手応え。掠ったか。

 

 「<魔眼:盲目の視線>」

 

 追撃をかけようとした所で視界が闇に染まる。

 それはもう見たんだよ。魔法を起動。<大嵐Ⅲ>。

 俺の周囲に立っていられないほどの強烈な風が巻き起こる。


 この魔法に攻撃力はないが――俺に手を翳して・・・・・・・いられないだろ?

 視界が戻る。

 あの時は視界の外から喰らったから分からなかったが、ローから聞いてるんだよ。


 ……常に相手に手を翳していないと『魔眼』とやらは使えないらしいな。


 大きく体勢を崩したアイガーに向けて踏み込む。その際に風を操作して自分の背を押して加速。

 追い風によりいきなり加速した俺の速度に反応できずにアイガーの口元が引き攣る。

 まずは、残った腕を切断。斬り飛ばされた腕が宙に舞う。


 アイガーが何か言おうとしているが口を開く前に剣を水平一閃。

 剣は何の抵抗もなく体に沈み込みアイガーの体を横に両断した。 

 両腕を喪った上半身が空中でクルクルと回ってベシャっと湿った音を立てて落ちる。


 俺は念の為、落とした腕を魔法で焼き潰す。

 

 ……終わりか?


 死んではいないだろうが戦闘継続は難しいだろう。

 さて、この後、念入りに痛めつけてヴォイドの居場所を吐かせ…。


 「ケ、ケヒ……クヒヒ。素晴らしい力だ。つい先程までの私ならあっさり死んでいただろう。……だがなぁ!アクィエルとの契約に成功した私はこの程度では死なんなぁ」


 アイガーの上半身が音もなく浮かび上がると、傷口がボコボコと泡立ち始めて腕と下半身が突き破るように生えて来た。

 変化はそれだけでは終わらず、全身が鎧のような黒い外殻に覆われる。


 完全に覆われた後、押し出されるようにアイガーの三つの目玉が落ちる。

 空洞になった眼窩が黒い物で埋まり、頭部が黒いつるりとした石の様に変化。

 最後に変化した頭部が軋むような音を立てて四つ足の魔物のような頭部になり、目があるであろう箇所に切れ込みが四つ入り、黒い光沢を放つ眼球が現れた。


 アイガーは「はぁ」と陶酔したような息を吐くと、俺の方へ視線を向ける。

 

 「どうだ?この彼と繋がった事により彼の眷属となった私の姿は?」

 

 言いながら片手を軽く持ち上げて指をパチンと鳴らすと手元に小さな魔法陣が現れ、そこから剣の柄が突き出て来る。

 アイガーはゆっくりとそれを掴んで引き抜く。


 「さぁ、続きと行こうか?」

   

 言い終わると同時にアイガーの姿が霞む。

 俺は剣を立てて横薙ぎの斬撃を防ぎ、即座に反撃に転じる。

 姿が変わり反応速度が大きく向上したようで、俺の斬撃を悉く防いで来た。

 

 俺は押し切ろうと更に切り込む。アイガーはその全てを危なげなく防ぐ。

 瞬きの間に二十近い斬撃の応酬を交わしているが、お互い実力が拮抗しているのか決定打にならない。

 

 「身体能力はほぼ互角。力は君、技量は私がやや上か。こうなった私と平気で打ち合えるとはますます君に興味が出て来たな。こうなってくると魔眼を失ったのは痛いな」


 その余裕が癪に障る。俺は面頬の中で表情を歪めた。

 だが、このままダラダラやる訳にもいかない。何とか突き崩さないと…。

 不意にアイガーが大きく剣を振った後、距離を取る。


 「始まったようだな」


 そう呟くと、周囲が薄暗くなっていく。

 空に目を向けると黒い雲のような物が街を覆っていき、あちこちから小さな光がポツポツと現れる。

 

 「これは――?」


 思わず呟く。


 「おや?その声は――あぁ、触媒の小僧か。心臓を引き抜かれて生きているとは驚きだ。恐らくは使徒殿が何か……そうか。貴様は祝福を受けたのだな」


 アイガーはその後も「そうかそうか」と呟くと俺を睨み付ける。


 「貴様ぁぁぁぁぁ!何を簡単に使徒殿から祝福を賜ってるんだよぉぉぉ!」


 突然、怒りを露わにして斬りかかって来た。  

 

 「小僧小僧小僧ぉぉぉぉぉぉ!!このクソガキがぁぁぁぁ!」


 剣幕に少し驚いたが冷静さを崩さずに攻撃をいなし続ける。

 怒りで攻撃自体は激しくなったが、動きが雑になった。

 隙が出来るまで待って斬り返す。


 下から胴体を斜めに切り裂いたが、手応えが薄い。

 見た目通りかなり硬く、刃が通らなかった。

 アイガーは斬り返されたことが意外だったのか、斬られた個所を押さえて後ろに下がる。


 「ふ、ふふ。私とした事が少し興奮してしまったようだな」


 言っている間にアイガーの傷は塞がっていく。

 

 「……小僧――確かリックと言ったな。貴様に相応しい罰を与えてやろう」


 アイガーは指を鳴らすと足元に魔法陣が四つ現れ、何かが音もなく出て――。


 「なっ!?」


 俺は思わず声を漏らす。

 出てきたのはレフィーア、サニア、教官の三人で、残りの一つからは何故か光の塊が出て来ただけだった。

 教官はともかく、レフィーアとサニアは死んでいるので出てきたのは死体だ。

 

 レフィーア、サニアは切断された自分の首を持っていて、教官は――酷い有様だった。

 顔と両手がなかった。拷問でも受けたのか体も徹底的に痛めつけられており、無傷の個所を見つけるのが難しい状態で、辛うじて髪形と体格で判別できたぐらいだ。


 ……教官、何で……。


 「あぁ、この女が死んでいる事は知らなかったのか。馬鹿だよなぁ……」


 言いながらアイガーは教官の頭を掴んでグキグキと左右に動かす。


 「詳しくは知らんが同志ヴォイドに直接問い質しに行ってあっさり殺されたらしいぞ。分からんように調べればいいものを直接いくとは愚かとしか言いようがないなぁ」


 哄笑を上げるアイガーを見て、俺は衝動的に感情を爆発させて突っ込もうとして…止める。

 何故かいきなり心が冷えたからだ。怒りは消えてないが感情が強引に押さえつけられた。

 その感覚を不快に思いながらも呼吸を整える。


 「おや?突っ込んで来るかと思ったが意外に冷静だな。それとも薄情なだけかぁ?」


 何か言っているが無視。

 

 「なら手を変えるとしよう」


 レフィーアとサニアは片手で自分の首の髪の毛を掴んだ状態で細剣、短剣をそれぞれ構える。

 教官は何処から出したのか剣の柄を銜えて姿勢を低くした。

 

 「やれ」


 アイガーの声と同時に三人が襲いかかって来た。

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