第26話 電車の窓を流れていく景色は、何故か全部嘘に見えてしまう。
そしてあっという間に、土曜日がやってくる。
天気は雲1つない快晴で、気温天候、共に出掛けるには持ってこいといった感じだ。
胡桃音ちゃんにお誘いをもらった翌日、会社で永濱に声を掛けると、遊園地と聞いた瞬間に大はしゃぎしていた。
永濱がそこまで遊園地好きだと思ってなかったので面食らった俺は胡桃音ちゃんも来るということを伝えそこねてしまったが、まあ当日でもいいかと楽観視していた。
しかしそれが間違いだったと気付かされるのは当日の朝、つまり今だった。
遊園地へは土曜日に行った水族館の最寄り駅から乗り換えて行けるということだったので、とりあえずその駅で合流することになっている。
胡桃音ちゃんは【echos】の近くに住んでいるらしいので、事前に連絡先を交換しておいた俺達は、連絡を取り合って電車内で落ち合った。
お店のエプロン姿しか見たことのなかった胡桃音ちゃんの私服はやはり新鮮なものがあった。
白いレースのブラウスにダークグレーのデニムを穿き、足元は黒いヒールで大人っぽい。
しかし胡桃音ちゃん自身の印象も相まってか、全体的にはフェミニンな印象が強かった。白い清潔感のあるバッグも、それに拍車を掛けているのかもしれない。
そして髪型はもはや彼女のトレードマークとも言えるであろうポニーテールだった。俺はあれが揺れるのを見るのが地味に好きだったりする。
「高園さんのお知り合いの方って、どんな方なんですか?」
挨拶もそこそこに、ドア近くの角の座席に腰を落ち着けていた俺の隣が空いていたので、そこに座って一息ついてから胡桃音ちゃんは聞いてきた。
「ああ、会社の後輩なんだ。少し変わってるけど、悪いやつじゃないよ」
少し、というのは嘘だったかもしれないが、しかし会う前から胡桃音ちゃんを不安がらせるのも気が引けるので、このくらいで言っておくのが妥当だろう。
話題に上がっている永濱は、待ち合わせの駅よりも一駅向こうに住んでいるので予定通りの駅での合流だ。
ちなみに、俺の膝の上には花乃が座っている。
今日の服装もとても可愛い。先週の土曜日に買った服ではやはりバリエーション足りない、と俺が言い出して急遽昨日買いに行った服だった。
少しゴスロリ感のある黒のドレス。そしてツインテール。もうこれだけで充分可愛いのだが、細部に拘って足元のブーツもニーハイも黒で統一している。
まさにお人形さんのような出で立ちだった。俺としては、アイドル時代の衣装のようで、とてもテンションの上がる仕上がりだった。
もし今の花乃が普通に誰にでも見えたとしたら、誰もが振り向くことだろう。それくらいの存在感がある。
あ、ついでにどうでもいい俺のファッションを適当に紹介しておくと、ネイビーのコーチジャケットに、グレーのTシャツ、あとは黒のスキニーパンツ、こんな感じだ。
無難だが、一応花乃に確認したので大丈夫なはず。おおもとの素材の問題はあるけれども、それはどうしようもない。
まあ服装はともかくとして、だ。
電車といえば、電車内で花乃が普通に席に座るといろいろと問題が生じてしまうみたいだった。
厳密に言うと、花乃が座ってしまうと他の乗客は何故か誰も椅子に座ろうとしないのだ。
最初は不思議に思ったけれど、花乃が座っていると以前花乃とも話した理屈で、地続きの椅子の全てが花乃と存在を共にしてしまうらしい。
つまり、その椅子は列ごと存在しなくなってしまう。何故か俺だけが花乃と物を共有出来るのだが、その辺のことを他の人がどう捉えているのかは全く分からない。
更に言えば、『じゃあ乗っている電車はどうなんだ?』と思うのだが、電車自体はちゃんと認識されるようで、その辺の線引きはハッキリとはしない。
元が未知の現象だけあって、今だに分からないことだらけだった。
そういうわけで花乃は椅子に座ろうとはしないのだが、かといって立たせておくのも俺が忍びない。というわけで膝をぽんぽんと叩いて座るよう促すと、素直にそこに腰を落ち着けてくれた。
普通だったらおかしな光景であるけれども、今の花乃の状態ではそこを心配する必要はない。俺に座っていれば他の人に迷惑を掛けることもないので、花乃も納得したようだった。
というか、そもそも本当なら花乃を連れてくる気はなかったのだ。花乃を1人にはしたくないのだけれども、もう一つ俺の気持ちとしては、他の女の子と遊んでいるところを花乃に見られたくなかった。
特に永濱は、絡み方が独特なので俺は翻弄されがちだ。そんな情けない姿を、好きな女の子に見られたくないというのは、男としてまっとうな心理だろう。
なのに何故連れてきたのかと言えばそれは単純な話で、花乃が一緒に行くと言い出したからだ。
『春樹が女の子をちゃんとリード出来るか心配だから、私がこっそりアドバイスしてあげるね』
などと言っていた。
俺は別に永濱と胡桃音ちゃんの好感度を上げたいわけではないので、そんなことしてくれなくてもいいのだが、花乃の好意を無下にすることは俺には出来ない。
俺が気にしてるのはいつだって、花乃の好感度だけだ。
まあよくよく考えてみれば永濱に花乃が見えるかもしれないという可能性が残っていたので、それを確認する為にも花乃は居た方がいいのかもしれない。
それに、こうして花乃を抱っこすることが出来ているのだから、俺としても連れてきて正解だったと思える。俺は現金な性格らしい。
花乃の体重と胡桃音ちゃんとのちょっとしたお喋りを楽しんでいると一駅の区間は一瞬のようで、すぐに目的の駅に到着した。
永濱とは駅構内にある、ふくろうの像のある場所で待ち合わせをしているので、そこまで歩いて行くしかないが、さすが土曜日だけあって人混みがすごい。
「胡桃音ちゃん、はぐれないように気をつけてね」
「あ、はい! 高園さんに付いていきます!」
と声を掛けつつ、俺が本当に気に掛けているのは当然花乃だ。胡桃音ちゃんは身長がそこそこ高い方で恐らく160cm半ばくらいはありそうなので、見失わないようにすれば大丈夫だろう。
一方花乃は身長も低めなので、人の波に飲まれたら危険だ。
そう思った俺は、横に立っていた花乃の左手を握った。勝手な行動だったけれど、胡桃音ちゃんが居る手前花乃に声を掛けるわけにはいかない。
「春樹、ありがと」
花乃の顔を見ると、安心したように笑っていた。やはり花乃も不安だったようだ。
俺としては、花乃に嫌がられなかっただけで充分過ぎるので、微かに頷くだけに留めた。
「それじゃ、行くよ!」
胡桃音ちゃんに再び声を掛けて、人混みへと入っていく。俺は人から認識されない花乃が押し潰されてしまわないように気を付けながら、前へ前へと進んだ。
都内の駅はどうしてこう、構内が広いのだろう、などと内心で文句を言いながら、なるべく人混みの少ない経路を選んでいく。
この駅には何度も来たことがあるので、待ち合わせ場所までのルートは何通りか頭に入っている。記憶を辿って最適なルートを進み、どうにか無事にそこまで到着した。
果たして、永濱は――。
「あれ、居ない――」
「だーれだっ!」
「うおっ!?」
「ひゃっ!?」
急に背後から誰かに押され――いや、抱きつかれていた。俺と、手を繋いでいたせいで花乃も少し体勢を崩す。危ないと思って花乃を抱きとめながら、
「な、何やってるんだよ、永濱……」
「おお、さっすが先輩、正解です♪ 身体つきで分かったんですか? ふふー、先輩のエッチ♪」
うおお……いつも以上にテンションが高いようだ。花乃の前でそういうことを言うのはやめてもらいたいのだが、それ言うわけにはいかないのが世知辛い。
「ほら、とりあえず離れてくれ」
もちろん花乃ではなく永濱に言っている。
花乃は俺ががっしりと前に抱いている。
「もー、先輩は相変わらずつれないですねー。まあ、そういうとこが良いんですけど」
文句を言いながらも素直に離れてくれる永濱を振り返る。
実は永濱の私服もろくに見たことがない。普段一緒に出掛けることなんてないのだから当然だ。去年だかの社員旅行の時に一度見たくらいだろうか。
そんな永濱の今日の服装は、ブラウンの半袖ニットに白のフレアスカート、そしてあえて同色で揃えているのか履いているバレエシューズも掛けているミニショルダーバッグも白だ。
いつものイメージよりも大人っぽく、そして乙女感が強い永濱は俺の目に新鮮に映った。
「えっと、この人が高園さんの後輩さんですか?」
横合いから、永濱の突然の襲撃に驚いていた胡桃音ちゃんが立ち直ったようで声を掛けてくる。
「ん?」
永濱の視線が、胡桃音ちゃんに向く。表情はない。
ようやく俺に解放された花乃は、そんな永濱を見ている。こちらも表情はない。
永濱に見つめられた胡桃音ちゃんは、不思議そうな顔で首を傾げている。
「だ……」
永濱の右手が力なく、それでもゆっくりと重力に逆らって上がっていき、その人差し指が胡桃音ちゃんに向いた。
「だーれだ?」
事態を飲み込めていない永濱は、そう言いながら俺を見る。
「雪島胡桃音ちゃんだよ。今日遊園地に誘ってくれたのはこの子なんだから指をさすんじゃない。失礼だぞ」
と、俺は大人として大人な対応をしてみせたのだが。
あろうことか永濱は、俺のジャケットの襟に掴みかかってきた。
「いやいやいやいや! そういうことを聞いているんじゃないです! 誰ですかユキシマって! 誰ですかコトネちゃんて! どうしてここに居るんですか!? いやそれよりも、先輩とどういう関係なんですかー!?」
人混みのど真ん中で、永濱は叫んだ。
* * *
そういうわけで、これは詳しい説明と紹介が必要であろうと判断した俺は、胡桃音ちゃんと永濱と、もちろん花乃を引き連れて近くのカフェに移動した。落ち着いた雰囲気のカフェで 、そこそこ賑わっている。
遊園地に行くのは多少遅れてしまうかもしれないが、今にも狂喜乱舞しそうな永濱を放っておくわけにはいかない。
それと、やはり永濱にも花乃が見えていないということが確定した。ずっと誰よりも俺の傍に居る花乃に何の反応も示さないということは、つまりそういうことだろう。
このことについて花乃と話してはいないが、可愛い上に賢い花乃のことだから既に察していることだろう。
俺達はそれぞれドリンクを注文して、壁際の四角いテーブルに陣取った。
どちらかを隣に座らせるのも微妙だったので、苦肉の策で俺の向かい側に永濱、その隣に胡桃音ちゃんを座らせた。それでも二人とも微妙な顔をしていたが。
だが結果として花乃が俺の隣に収まることが出来たので、俺としてはこれが最適解だったと思う。
「えーと、こちらは雪島胡桃音ちゃん。俺が最近行っているカフェの店員さんで、えっと俺とは……友達、かな?」
胡桃音ちゃんとの関係性を改めて考えると、定義しづらいものがある。汎用性の高い 『友達』を持ち出してみたけれど、胡桃音ちゃんの反応やいかに。
「友達、ですかね? とりあえず、今のところは……」
微妙な感じだった。
今のところは、って、他にどんな関係になるというのだろうか。
「はい友達ですね。ただのお友達ですね。なるほどなるほど、じゃあ問題ないです! 雪島胡桃音ちゃんね、よろしく! ていうか何このおっぱい、本物?」
胡桃音ちゃんに魔の手が!
と俺が気付いた時にはもう手遅れだった。胡桃音ちゃんすまん。
「ひゃああ!? ちょ、いきなり胸を揉まないでください!」
永濱の手で胡桃音ちゃんのその大きな胸がみるみる形を変えていく。それに伴って胡桃音ちゃんは身をよじるが、しかし永濱の興味はまだ尽きないようで、そこからしばらく胡桃音ちゃんはされるままになった。
「春樹の後輩さん――永濱さんだっけ? すごい人だね」
成り行きを見守るしかない花乃が、半ば呆れたように言う。
永濱は胡桃音ちゃんの胸に夢中だし、胡桃音ちゃんは抵抗に必死なので大丈夫だとは思うが、俺は一応視線だけは真っ直ぐに固定して花乃に答える。
「ああ、こいつはすごいんだよ。絡み方が普通じゃない」
「でも楽しい人だね」
「友達になりたいか?」
俺はある程度の皮肉を込めて言ったつもりだったのだが。
「そうだね。普通に戻れたら、話してみたいかな」
顔を見なくても、花乃が寂しそうな顔をしているであろうことは分かった。俺にとっては花乃もここに居るのだけれど、花乃にとって花乃は、ここに居ないのだろう。
きっとどこに居ても、どこにも居ないように感じてしまうのだろう。
いや。
花乃は、俺が花乃に居場所を与えていると言っていた。
だから今は俺だけが唯一、花乃に疎外感を与えずにいられるんだ。なら俺は、それを自分の役割としてまっとうしたい。
今日は永濱と胡桃音ちゃんとの約束で出掛けているけれど、花乃がここに居る以上、俺は花乃のことも楽しませてあげたい。
そんな器用なことが本当に出来るかは分からないけれど、やるだけはやってやる。
そんな決意を固めている丁度そのとき。
「春樹、そろそろ胡桃音を助けてあげたら?」
花乃は見るに見かねたようで、この場で救いの手を伸ばせる俺に打診してきたようだ。
なるほど分かった。
花乃を楽しませるにはまず、目の前の2人の仲を取り持つ必要があるらしい。
やれやれ、なかなか骨が折れそうだ。まあがんばるとしよう。
「永濱落ち着け、いきなり胸を揉むなんて失礼だぞ。しかも俺より先に揉むなんてどういうつもりなんだ。後輩なんだから普通は先輩に先を譲るものだろう?」
「高園さんも揉む気なんですか!? まだ早いです!」
「そうです! このグレードのおっぱいは童貞の先輩には文字通り手に余ります!」
「文字通りだったら、童貞じゃなくても手に余るわ!」
「春樹って、やっぱり童貞なんだ」
うわ、花乃に変なこと知られた!
くそ、永濱のやつが余計なことを言うから……!
ていうか、『やっぱり』って何? 地味に傷つくんだけど……。
「先輩、高望みは良くないです! なので先輩はいつも通り私の程よい大きさの美乳でも好きなだけ揉んでてください!」
「春樹……」
「いつも通りってなんだよ!? 揉んだことないぞ!」
「もしかして私の胸、ディスられてますか!?」
ダメだ、永濱を喋らせておくと花乃に余計な誤解をされてしまう!
どうにか止めなくては!
「おい永濱!」
「なんですか先輩!」
「あとでお前のお願いを1つ叶えてやるから、ここは黙ってくださいお願いします」
俺は深々と頭を下げた。
やはり、人に何かを頼む時は下手に出るに限る。
「え、本当ですか!? やったぁ! 分かりました黙ります! お口に南京錠かけておきます」
セキュリティが厳重なのか甘いのかよく分からんなぁ……。まあ、とりあえず黙ってくれるならいいか。
花乃に誤解されるのを防ぐ為であれば、このくらいの代償は安いもんだ。
「えー、いいなぁ……」
と、何故か胡桃音ちゃんが羨ましがっているが、今だにその大きな胸が永濱の手中にあるのはいいのだろうか。
そんな俺の心配をよそに、当の胡桃音ちゃんが進行役を務めるようだった。
「えっとそれで高園さん、永濱さんに私が来ること、伝えてなかったんですか?」
「ああうん、ごめん。言いそびれてて……でもまさか、胡桃音ちゃんのおっぱいがこんなことになるとは……」
背後から伸びる永濱の両の手によって鷲掴みにされているその早急は原形が分からないほどに形を変えてしまっている。
「ちょっ、余り見ないでください! ていうか永濱さんもいい加減離してください!」
お口をピッシリ閉じたままの永濱が、何故か俺の方を見る。まるで離していいか許可を待っているようだった。
別に俺が揉ませてわけじゃないんだが……。
「離してやれ」
まるで人質の解放を部下に指示する悪役の気分だ。
俺が言うと、永濱は素直に手を離した。なんでだ。
さて、ここから胡桃音ちゃんがここに居る理由を永濱に説明し、納得させなければいけない。
といっても、俺の都合で2人との約束をバッティングさせただけなのだが。
永濱と行く場所も決まっていなかったし、胡桃音ちゃんの方の券が1枚余ってるなら丁度いいじゃん!
という短絡的思考による浅はかな行動だったわけだが、俺はこれからの時間をなるべく花乃の為に使いたいと思ってるので、まとめられる予定はまとめてしまいたいというのが本当のところだった。
だがしかしよく考えれば、永濱にも胡桃音ちゃんにも失礼な対応だったかもしれない。
それは申し訳なく思うけれども、それでも俺は変わらず花乃を優先に物事を考えるだろう。
こんなことならせめて、2人にちゃんと前もって説明しておくんだったなぁ。
と、今更過ぎる後悔とともに、溜め息が零れた。
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