2話3節

「おやおや、怖い顔をしているねぇ。せっかくの美人が台無しだよ?」


 何とも耳障りなねっとりした声の主は、やはりディフィスタンであった。


 以前戦った時同様、既に空は夜より暗い色に覆われている。


 使徒が展開する闇の結界だ。


 周囲の生物からマケイヌオーラを吸い上げ、バッドキングに送るためのものだ。


 その傍らには、すでに改造チューンアップを済ませたバッドドッグを侍らせている。


 少なくとも、外見上の違いは明音と戦った時のものと変わらない。




「アウェイクニング・ガブリエル!」


 龍姫は掛け声と共に空気が凍り付き、彼女を包み込む。


 そうして生まれた氷の結晶は、次の瞬間粉々に砕け散った。


 氷の中からは、清廉な青き衣を纏った天使、リア・ガブリエルが姿を現す。


 髪型に変わらず、流れるような長髪が氷のような白銀色へと変わったくらいか。




「対応が早いねぇ。冷静な点はミカエルにはない長所だ」


「ずいぶん余裕ね……あんたみたいなのは人質取るくらいすると思ってたのに」


「それも守備範囲内だけど……私が見たいのは消耗しきった相手をじっくりと調教する光景だからね。強気な相手の心を屈服させるのって興奮しない?」


「私にそんな趣味はない!」


 怒気の混じった声でガブリエルが両手に力を込めると、掌に氷塊が出現する。




「アイシクルゲイザー!」


 彼女が氷塊を地面に叩きつけると、次々と氷柱が発生し、敵へ向かっていった。


「マケーーッ!」


 バッドドッグが触腕を振るい、氷柱を破壊する。


 以前なら撒き散らされる粘液で足を取られるところだが……。


「へえ……やるじゃないか」


 氷柱に触れた部分が凍り付き、触腕から粘液が止まっている。、


 飛び散ったものも凍結し粉微塵に砕け散った。




「粘液を凍らせてしまえばミカエルに使った戦法は使えない……考えたね」


「そりゃあどうも……だったらそのまま氷漬けになってなさい!」


 彼女が再びアイシクルゲイザーを放ち、氷柱を追いかけるように敵に迫る。


 このまま一気に勝負を決めるつもりなのだろう。


 バッドドッグは、氷柱に凍らされた触腕で相殺し、破壊する。


 続いてガブリエルに向かって先程とは逆の触腕を振るった。


「同じ手を何度も――!」


 触腕を凍らせるべく、ガブリエルは触腕を両手で受け止めようとする。




 だが、彼女には見えていなかった。


 ディフィスタンが下卑た笑みで顔を歪ませている事を。


 それが見えていたのは、俺だけだった。




「……っ、まずい! ガブリエ――」


 思わず叫んでしまったが、時既に遅し。


 雷鳴のごとき轟音に声はかき消されてしまった。


 思わず、耳を塞ぎ目も閉じてしまう。


 少し経って、恐る恐る目を開けてみると――




 そこには地面に倒れ伏したガブリエルがいた。


「がっ……! ぐぅ……ぁ」


 体が小刻みに痙攣し、それでも立ち上がろうとしているが、それが出来ない。


 ダメージが大きかった影響か、発生していた氷柱も消えている。


 原因は、バッドドッグを見ればすぐに分かった。




(触腕が……帯電している!)


 先程まで触手から滴らせていたはずの粘液が無くなっていた。


 代わりにバチバチと音を立てて稲光を纏っていた。


 あの帯電触腕に触れた事で彼女は感電したのである。


 スタンガンや電磁警棒の類がわかりやすいだろう。


 だが、エンジェルスとなった彼女達が並の電撃でダメージを負う事はない。


 おそらく、常人なら一瞬で死ぬ程の電圧を叩き込まれたのだろう。




「粘液に即応できたのはさすが。でも、それで勝った気になったのは甘かった」


「どういう……こと? 改造チューンアップは、即座に出来ないはずじゃ……」


「君の言っていることは正しい。バッドドッグの本格的なチューンは即座には出来ない。変化にも多少は時間が掛かる。どうすればいいか、君ならわかるだろう?」


(あらかじめ改造チューンアップした個体にあえて能力を隠させていたのか……)


「くっ……!」


 ガブリエルも同じ結論に達したらしく、苦々し気に舌打ちする。


 ディフィスタンが繰り出したバッドドッグは、ミカエルと対峙した時と外見上の差異は全くなかった。


 故に、相手は同じ戦法で攻めてくるだろうという先入観を持ってしまったのだ。


 相手の作戦にまんまと嵌められてしまった。




「うひひひ……ミカエルの時は邪魔されたが、今度こそ……」


 舌なめずりしながら、ディフィスタンはバッドドッグに指示を飛ばす。


 地面に伏したガブリエルの四肢に触手を巻き付け、地面に張り付けにした。


「は、離しなさい! 何する気よ変態!」


「君、ずいぶんと気が強そうだよねぇ? いや、私個人としては大変よろしいよ。そういう娘を自分好みに調教しあげていくのってすっごい興奮するよね?」


 奴が再び指示を出し、触手がガブリエルのスカートを摘まむように持ち上げた。


「ひいいっ!? 気色悪い! スカート捲るな!」


 じたばたともがいて逃れようとするも、固定されていて動けない。


「君みたいな娘ってさ……お尻が弱いっていうのがよくある定番だよねぇ♪


さっきほどじゃないけど、電気も使って開発してあげようか……」


 触手が摘まんでいたスカートを離し、バチバチと帯電を始める。


 そして、ディフィスタンの指示通り、少しずつ彼女の尻へと向かっていく。




 って、見ている場合じゃない!


 俺は急いで眼鏡を外し、力を解放した。


 ガブリエルの元に駆け付け、それぞれの触手を、力を纏わせた手刀で切り裂く。


「大丈夫か!」


 危機を脱したガブリエルは、即座に態勢を立て直す。


 そして、改めてこちらを見て、首をかしげる。




「……マッ〇のド〇ルド?」


 やっぱり、今度も真っ当な格好ではないらしい。


 女神の服飾センスは改善して欲しい所である。




「タキシード野郎の次はピエロか!? お楽しみを悉く邪魔してくれて!」


「ミカエルの時といい……お前の趣味はまるで理解できねぇな……」


「その口ぶり……あの時の野郎か! コスプレ趣味でもあるのか君は!」


「ねぇよ!」




 そう断言すると同時に、俺はバッドドッグの触腕を切り刻んだ。


 先んじて胴体から生える触手にも斬撃を加え、斬り裂いておく。


「マ、マケェ……」


 主な攻撃手段である触手を封じられ、困惑しているようだ。


 胴体にある目の動きでしか殆どわからんが。


「何をやっている! さっさと触手を再生して迎え撃て!」


「マ、マケ!?」


 バッドドッグは思わずディフィスタンに視線を向ける。


 どこか所在なさげなのは、気のせいではないだろう。


 そりゃあそうだ、ちゃんと攻撃できない理由はあるのだから。




「……残念だが、すぐには無理だな」


「なに!?」


 バッドドッグは、ある程度のダメージなら自己再生される。


 基本形態プレーンでも、腕が千切れたらくっつけたり、新たに生やすことも可能だ。


 そして同時に改造チューンアップは、戦闘力を大きく向上させる手段である。


 ある程度は使徒の思い通りに様々な能力を付与が出来る。


 だが、それらは二律背反であり、かつ限度がある。




「エンジェルスが昏倒してしまうレベルの電撃能力……素体に相当無理をさせてるだろう? それこそ、『再生能力を犠牲にしなければならない』レベルでな」


 チューンアップで付与できる能力にも限界があるのだ。


 本人が想像も出来ないようなものは付けられないし、強すぎる能力を付与しようとすれば容量オーバーで素体が自壊しかねない。


 ディフィスタンはキャパシティギリギリまで電撃能力を強化した分、再生能力といった守りの能力を削ってしまったのだろう。


 そして、俺の見立て通りバッドドッグは触手の再生に手間取っているようだ。


 さっきの命令も、余力が無い事を隠すためのハッタリだろう。


「バッドドッグのキャパシティの事まで知っているとは……貴様は何者だ!」


「前も……お前に言ったわけじゃないが、通りすがりのお節介焼きさ」




 だが、再生の暇は与えない。


 畳み掛けるように手刀で敵の様々な部位を斬りつけ、ダメージを蓄積させる。


「マケーッ!」


 短くなった触腕を帯電させ、ぶつけようとするが、上手く捌いてかわす。


 触腕はダメージの蓄積で再生が間に合わず、触手も纏う電気の勢いが弱い。


 再生か、攻撃か……リソース管理の判断が間に合っていないのだ。


 もちろん、その隙を逃す程俺は甘くない。


「だりゃあっ!」


 バッドドッグの脚部を斬りつける事で態勢を崩した。


 支える力を失い、完全に転倒してしまう。


「ガブリエル、今だ! 奴を浄化しろ!」


「……変なピエロにサポートされるのは癪だけど!」




 俺の指示を聞くまでもなく、ガブリエルは準備を完了していた。


 両手で握りしめているのは、巨大な氷塊……ではない。


 いうなれば、身の丈を超えた巨大な氷の剣だった。


 切るより叩き潰す使い方が正しいであろう肉厚の西洋剣の形をとっている。


 それを正面に構えると同時に、周囲に冷気が満ち、地面を凍らせていく。


 すると、倒れた敵の四肢に氷が纏わりつき、地面に張り付けにされる。




「はあああああああああああああっ!」


 裂帛の気合を込めて、スケートリンクを滑るように敵に突撃した。


「ガブリエル――」


 続いて、敵の目の前で大ジャンプし、氷剣を大上段に構える。


「スマッシャアアアアアアアアアアアアーーーー!」


 そして、落下する勢いを乗せた全力の一閃を振り下ろした。


 その一撃を喰らったバッドドッグは、文字通り真っ二つとなる。


 着地したガブリエルが払うように剣を振るう。


 それに合わせ、氷剣は細かな氷粒となって砕け散った。


「マイリマシター!」


 最後は、敵が断末魔と共に虹色の粒子となって消滅していく。


 夜よりも深い闇に包まれていた空が晴れ、月明かりが見え始める。




「また失敗……それに、奴の正体は一体……」


 ディフィスタンはそう呟きながら姿を消す。


 その表情は、悔しさと困惑が混じっているように見えた。




 残ったのは、俺とガブリエルの二人だけ。


「……助けてくれたのには礼を言うわ」


 でも、と言葉を切って、彼女は話を続ける。


「あんたの目的がはっきりしない以上、全面的に信用する事は出来ない」


「考えなしに信用して後ろからブスリ! 何て事があるかもしれないしな」


「それをあんたがいうの?」


 彼女の慎重さは、エンジェルスにおいて重要なファクターだ。


 作戦における司令塔でもある以上、警戒するのは当然である。


「ミカエルの時もそうだけど、何故私たちを助けるの?」


 ガブリエルの目を見ても、馬鹿正直に答えるとは思っていなさそうだ。


 ……ここはあえて真実を含ませて答える事にするか。




「ある人から頼まれていてな、お前らをフォローしてくれってさ」


「……誰から?」


「そこまでは言えないな。一応、お前らを助ける事は俺の目的にも繋がってる。……今言えるのはこれくらいか」


 じゃあな、と話を切り上げ俺はその場を去った。


「あ、待ちなさい!」


 ガブリエルに呼び留められるが、聞かなかったことにする。


 流石にこれ以上喋ればボロが出て勘繰られるかもしれない。


 さっさとその場を離れよう。


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