第7話 ある女性
いつもの様に学園の訓練所で剣を振っていると、見覚えがある貴族の女性がやって来るのが見えた。彼女はふらふらと歩いていて目的地に向かっているという様子ではなく、何やら深刻な悩みを抱えているという表情を浮かべて、考え事をしながら歩いているような感じだった。
俺の記憶が確かならば彼女は、クマール侯爵家の長女であり第二王子の婚約者だったはず。そんな高貴な人間が学園の敷地内とはいえ一人きりで歩いているのが奇妙だと思った。
彼女の側近くに居ないだけで、隠れて護衛しているのかもしれないと考えて辺りを観察してみたが、彼女の周りの気配を読んでみても本当に彼女一人だけしか居ない。貴族の女性が一人で、しかも訓練所なんて場所に来るなんて珍しいことだったので、そんな彼女の姿が妙に気になった。
再び彼女をよく見てみると、顔色は血の気が引いていて肌が青白くなっているように見えて気分が悪そうだ。目線はどこか遠くに向いているようだが定まっておらず、周囲にも気を配らないでボーっとした様子だった。そんな状態で身体が微妙に左右にフラフラと振れて今にも倒れそうな感じで歩いていたために、見ているだけで不安な気分になってくる。悩み事ではなく、気分が悪かったのかな。
さすがに見過ごせなかったので、訓練を一旦止めて俺は声をかけることにした。
「お嬢さん、どうしましたか?」
俺は控えめに声をかけると、ビクッと身体を揺らしてすぐに目線をコチラに向けて警戒するように身構えた。案の定、近くに人が居る事に気づいて無かったのだろう。声をかけたことが思いの外、彼女を怖がらせてしまったようだった。
「すみません、暗い表情をしているのが見えたので、おせっかいだと思ったのですが声をかけさせてもらいました。私は、ロートリンゲン家のルークと申します」
俺はすぐに地面に片膝をついて頭を垂れて、怖がらせたことを謝罪。加えて、自分の身分を彼女に明かして安心してもらうように説明をする。
「あ。いえ、こちらこそすみません。怖がってしまって……。私はクマール家の長女であるカロルと申します。お見知り置きを」
彼女の声が少し震えている。泣き出しそうな、それとも恐怖によるものなのか判断が付かなかったが、返事と自己紹介をしてくれた。コチラの話は一応聞いてくれているようだ。
「カロル嬢、曇った表情が晴れませんがどうされましたか?」
「すみません、事情は聞かないでもらえますか……」
表情は依然晴れないのが気になるが、無闇矢鱈と事情を聞くのは失礼になる。拒否されたので、すぐにこの話題を止める事にする。
「あちらへ歩いて行くと、学園の外へと出てしまいます。ただ、見たところ護衛の方がおられない様子。貴族の女性がお一人で外へ出るのは非常に危険です。学園へお戻りになられるようにお願いします」
指差す先には普段は使われない学園から外へ出る門がある。カロル嬢の目的は学園の外へ出ることではないかもしれないが、貴族で女性である彼女が護衛も付けずに外に行くなんて危険すぎるだろうという、もっともらしい理由で学園へ送り返すように仕向ける。
「えっと……」
戸惑った様子で、左右を見ている。どうやら、俺の言葉に今更ながら一人でいた事に気づいたようだった。俺は畳み掛ける。
「学園の学舎までお送りします」
「え? あ、……はい、お願いします」
俺は彼女を連れて、学校の学舎まで連れ立って歩いた。カロル嬢は終始無言で付いて歩いていて俺からも何も話さないために多少息苦しさを感じたが、婚約者が居る女性として親しく話していて誰かに見られたら誤解される可能性もあるので、コレでいいだろう。
その後はもちろん何もなく、学舎の見える場所まで案内をしてからすぐに別れた。しかし彼女は翌日も訓練所へと来た。再び暗い表情をしている彼女は、俺にお礼をしたいと言って菓子を持ってきた。
すぐに頂くことにした俺は、彼女と少しの話をすることになった。他愛ない話をして多少は安心してくれたのか、彼女は来た時よりも少し明るい笑顔で学舎へと帰って行った。
会話をしているうちに、次第に彼女が笑顔になる事が増えていった。
訓練所に来る時は暗い顔をして来る彼女は、晴れ晴れした表情になって帰っていく。彼女にとってこの場所は居心地がいいらしく、良い感じでストレス発散ができているようだった。
俺は、訓練所に時々集まる他の3人の友人達とも彼女と引き合わせて、彼女や俺達は訓練所に集まって他愛ない話をするような仲になった。今ハマっているもの、新調した剣、チェスの戦術をまとめた本、お気に入りの寝具、新しく入手した茶葉、外国について、学園で受けている教育について、等など。
それから訓練所へと度々通うようになったカロル嬢。訓練所なのに菓子を食べて、ティータイムを楽しんむようになった。あまり訓練に根を詰めすぎるのも駄目なので、ちょうど良かった。
菓子は訓練の合間に一休みする為に、俺やノリッチ侯爵の次男が用意しておいた物を。お茶を入れる道具や茶葉は、もう一人の友人であるバーウェア侯爵の次男の奴が常備しているものがあったために、それを使わせてもらってティータイムを楽しんだ。学園で親しくなった友人たちが訓練所に集まって、次第に談笑の場になっていった。
だが彼女がこの場所へ訪れる頻度が増えるにつれて心配なことがあった。婚約者が居る彼女が男性だけが集まる場所へ何度も何度も通っていると、学園の誰かに見られた場合に外聞が悪いし、変な噂が流される可能性もある。
そんな事を危惧した俺は彼女に対して訓練所へ来る回数を制限するように言うと、彼女は魔法まで使って学園の人間に見つからないようにこっそりと訓練場へと忍びこむようにして来るようになった。誰にも見つかるなと言ったつもりはないのだが。
彼女がそうまでして訓練場に来るようなので、彼女との時間を内心では楽しみしていた俺達は彼女に自由にしてもいいと許可を出すことにした。許可を出すにあたって、何か起こったのならば俺や友人たちが全力で助けられるようにしようと密かに約束を交わした。
***
訓練所に遊びに来る仲間が一人増えてから数ヶ月。学園内では、ある噂が流れるようになった。その噂とは婚約者のカロル嬢が居る第二王子が婚約者とは別に、ある女性にご執心だという事。
それだけならば多少の問題でも済むのだが、それに加えて婚約者であるカロル嬢を蔑ろにしているということ。
第二王子は、先のクーデターにより第一王子を退けて王位継承順位が第一位になった。そのため、婚約者であったカロル嬢は将来には王妃となる。そんな彼女と仲が悪いという評判を聞けば、いずれ王になる第二王子に対して多くの貴族たちの不信感が生まれるだろう。
他国の付け入る隙にもなる。王族の責務として、婚約という契約をしている女性を優先すべきであり、婚約者とは少なくとも表面的には仲良くするべきであるが、他の女にうつつを抜かしていると噂になっている現状は最悪だった。
そんな状態なために、学園では静かに緊張が走る日々が続いていた。これは、何かのキッカケによって大爆発が起こりそうだと。嵐の前の静けさのような危険な雰囲気を感じていた。
そして、とうとう第二王子とクマール侯爵家令嬢との間に決定的な事件が起こる。それは学園で開催されるイベントの一つ夜の月パーティー。夏の夜に開催されたこのパーティにて起こってしまった出来事だった。
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