本当のような嘘のような

Fumi

優しい会話

優しい会話


 十月の終わりの肌寒い風は金木犀の香りを終わらせる。これがもう少ししたら鼻を刺す空気に変わって、寒空に襟を立てるサラリーマンの群れに溶け込む。

 息が白くなるのはとてもロマンチックで、ため息にも、優しい会話にも模様をつけてくれる。

 公園のベンチに座っている男女はなにやら楽しそうに話をしていて。あの日の僕もこんな風に笑っていたんだと思い返させてくれる。

 その二つ離れたベンチに腰掛けて、少しだけ冷めてくれたコンビニのコーヒーを口に運ぶ。いつからか苦さを感じなくなったその液体を口に運ぶたびに大人になったなと思う。はて、これは美味しいと思って買ったものなのか。まぁでも別にいいかとスチールが少しずつ冷えていくのを手のひらで感じ取る。


 金木犀の匂いも、錆びついたガードレールも、緩やかに落ちていく月も、よく笑う君との思い出も少しずつ擦り減って、また誰かで塗り重ねて。この感覚だけは二つ隣のカップルにはわかってたまるかと公園の中にある湖に小石を投げた。ちょうど二回跳ねた後に小石がストンと沈んだ。ぽちゃんという音になぜか僕は少し驚いてしまっけれどお隣の二人はまだ優しい会話を続けている。

 「今日は家に帰ったらあれを食べよう」なんてことをいっていたのか、男が先に立ち上がってゆっくり背伸びをしていた。



 ちょうど二人が僕の前を通り過ぎるときに、女の方が僕に話しかけてきた。「大丈夫ですか?」。あまりの出来事に僕は声にならない声を出してしまった。「お兄さんなんかきつそうですよ?」「うん、なんか私水買ってくるね」と女の方が公園の隅の自動販売機に向かった。ああ、この二人はどんなに優しいのか、そんなこともしらずにすいません、僕一人で金木犀もガードレールも月も独り占めしてしまっていました。すいません、すいませんと僕は何度も唱えた。声になっていたかは知らない。それでも必死にこの感謝の気持ちだけは伝えたのだ。


 ちょうど二人が僕の目の前を通り過ぎたとき、こちらにちらと視線を向けた。「なんかやばそうだね」「そうだね」そういった二人は公園の出口からちらつく街灯の中へと消えて行った。金木犀の香りも、錆びついたガードレルも、よく笑う月もやっぱり僕のものではなかった。もうなにもこの手のひらには掴めないか悲しさからもう一度湖に小石を投げた。

 公園はさっきより夜が濃くなったせいか、小石が何回跳ねたか誰も確認はできなかったけれども、ぽちゃん…という大きな音だけが水面に映る落ちていく月を揺らした。

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