無味な人生を愛と縄で煮つめたら、幸せになれますか?

砂山 黒白

第1話

1.無味無色

私は、平塚りん。

大学2年生、19歳。

学校は四年制大学で、養護教諭になるためにハードな学生生活を送っていた。

毎日毎日、実家から片道2時間の登校、授業後には課題、サークル。そして片道2時間の帰路につく。

就寝できる時間は、約4時間。

土日はバイト三昧。

そんな生活に正直、身体が持つわけもなく。

ええい、もう惰性だ。

学びたいとか、成績アップだとか、1年生のうちに打ち砕かれた。

友達も少ない、成績も良くない。

そんな私の学生人生は無味、味のないガム、という有様だった。


「かおりちゃんが降板だって…!りんが代役お願いできない?」

そんな抜け殻の学生生活を送っていた頃、サークルの部長から急に電話がかかってきた。

「えっと…、なんて?」

「かおりちゃんが家庭の都合で稽古参加出来なくなっちゃって…。りんなら役者経験豊富だし、1番上手いからさ」

「ちょっと待って。急に?」

「ずっと話し合ってたんだけど、やっぱり無理みたいで…。でも、りんなら大丈夫でしょ?」

本番まで1ヶ月を切っている。それに私はそんな話、知らなかった。

「いやいやいや。無理だよ。なんか、すっごく買いかぶられてるけど、さすがに無理だって」

「そこを何とか…。公演中止したら、サークル赤字出しちゃうし…」

「えぇ…」

「お願い!前オーディションした台本で、役はお母さんだから!!」

いや、まて。決定みたいに話を進めるんじゃないよ。

だいたい、お母さん役は私に向いてないからってオーディションで、はじめに落とされたやつじゃんか!

言いたいことは山ほどあった。でも、私は強く言えるような性格ではなくて

「う、うん。まぁ、とりあえず要相談だね?みんなの意見も聞きたいし…」

「そ、それもそうだね、ありがと!次の活動の時にくわしく!」

「他にできるキャストいないの…あっ」

切られた。

うちの部長は、よく1人で突っ走る。サークルの会計の子がその都度ブレーキ役をしてくれるのだが…

「まだ授業中か…」

大学のサークルは他学科と時間を合わせ活動しなければいけない。顧問の介入もほとんどない演劇サークルは、学生が自ら仕切らなければならなかった。

不和や運営破綻なんて、しょっちゅう耳にする。それでもこの劇団は公演回数50回を迎えようとする、この大学きっての古参のサークルだった。

「だからといって、良いお芝居ができたら苦労もしないんだけどな…」

そう独りごち、私は次の教室を目指し、廊下に出たのだった。



2.自分じゃない、誰かになりたい

私は、大学のサークルで演劇をしている。

役者だ。

他の社会人の方が、主催をしている劇団にも出演したこともある。名前がある役、それも結構主要人物の。

なーんて、1度出ただけじゃ自慢にはならないだろう。

ちなみに、また別団体の役者募集のオーディションには落ちた。

まぁ、いい。そういうこともある。

私の顔立ちは、どうやら役を選ぶようで。芝居も特別上手ではないし、女優なんて言えるほど美女でもなかった。


朝のルーティン。歯を磨いてメイク。

鏡に映った自分とにらめっこ。

目と目の間が広い。マグネットのように引き合う力があればなってよく考える。

あと、つり目。ただ友達を見てただけなのに、睨んでる?って言われる。

髪は黒。前の公演で、役作りのためにロングだった髪をばっさり切った。

前下がりのショートヘア。

惜しいなって感じてたけど、役作りのために髪を切ったり染めたりするくらいには、お芝居に気概があるよ。

「…こんなもんかな」

不細工ではないと思う。肌も荒れてないし、メイクも多少できる。

でも大前提、私は、私という存在が嫌いだった。

お芝居を始めたのは、もしかしたら違う何者かになるかもしれないと思ったから。

でも、そう甘くなかった。

芝居は、自分の経験が映し出される、自分というスクリーンを通して伝えるものだった。

ただ、ぼんやり生きてきた私は、違う何かになりたいだけの虚無のような存在感しかなかった。

今日は代役のために、サークルの稽古に参加しなければいけない。

重い足取りと、片道2時間。

強い日差しを、睨めつけながら、私は電車に乗った。

電車では、特に何をするでもない。

テストがあれば勉強。音楽を聞きながらSNS。仮眠をとるとか色々。

本も読む。混んでない時の限定で。

今日は、いまいち気分が上がらないし、サークルが憂鬱でダラダラSNSを流し見していた。

「…なにこれ」

SNSの写真付きの投稿に一瞬、目を奪われた。

ぼんやりしていた脳内に、冷水をかけられたような衝撃だった。

「セーラー服、黒タイツ…緊縛…?」

それは一種のコスプレ、なのだろうか。黒髪の女の子がセーラー服を来て、その上から赤い縄で縛られている。

「???」

2度見、3度見した。

いいね、は怖くてつけられなかった。

なにこれ、なんで縛ってるの?

ていうか、スカート!中見えそう…。

この危ない写真、投稿して大丈夫なものなのかな?

疑問が絶えなかった。

初めて知る世界だった。

「……団体名…スワロウテイル?」

それは、アンダーグラウンド系の創作団体だった。

病み、苦痛、絶望、そんなコンセプトで写真や音楽、イラスト、演劇まで手がけている集団だそうだ。

そして、ある投稿には、


緊縛の練習に付き合ってくださる方募集中!時給、交通費、要相談です!


息を飲んだ。

緊縛の練習?なんで…?

疑問が頭を飛び交った。

私は静かに、スマホを閉じた。

顔が、熱い。

すごい。綺麗。不穏。病み。

感想が断片的に思い浮かんでは消えて、思い浮かんでは消えていった。

心臓がバクバクしてる。

いけないものを見てしまったような、目眩に近い背徳感でぞくぞくした。

もう一度、スマホを開いてあの写真を見た。

美しいって、これの事なんだんだな。

美術とか音楽とは、また違った感覚。


美しい。


20歳になる夏、初めてそう感じた。


3.私とあなたの時間は違う

私のした行動は1つだった。

緊縛の練習人、募集の投稿を探し、SNSの“コメントを送る”から、

興味あります。詳細を教えていただけますか?、と


返信はすぐに来た。

お問い合わせありがとうございます。

メールにて、ご説明いたします。


さぁ、困った。

本当に私は、踏み込んで良かったのだろうか?


メールはすぐに来た。

文面の物腰は丁寧で、穏やかだ。

本当にこの人が、活動しているのだろうか。

彼(男の人らしい)はメールでたくさんのことを教えてくれた。団体のコンセプト、被写体を募集していること、緊縛は独学に近いということ、そして男だということ…。


りんさんがよろしければ、緊縛の練習をしたく、


あ、いいんだ…。

雰囲気を知るために写真を送って欲しいと言われて、とりあえず1番よく撮れてるものを選んだけど。

自身はないに等しかった。


また撮影被写体にも興味ありましたらよろしくお願いいたします。


写真は嫌いなんだけどなぁ…。

まぁ、あとでどんなものか聞いてみたらいいか、と軽く考えて、私は承知しましたと返信をしたのだった。

話はとんとんと進んでいった。


私は悪い子でしょうか?


男だということも、移動が車ということも、私はさらりとOKしてしまっていた。

なんて危なかっしい、と思われるかもしれない。

でも、それ以上の好奇心。ワクワクやドキドキか溢れて止まらなかった。

つまらない毎日、変わらない生活、飽き飽きだった。

楽しさだけを原動力に、どうして物事を進めちゃいけないの?

ただ、縛って貰うだけ。そこに邪な気持ちとか下心なんてない。

私は刺激が欲しかった。


7月の終わり。

約束当日、駅前のコンビニに集合。

先方はちょっと遅れるらしい。

緑茶と麦茶を購入。ついでにメイクの確認。

サブカル感…あるかな?

別に寄せろと言われたわけではなかったけど、気分だ。

あと、今回縄の完成は写真に納めたいというので、それもある。


ぽこんっ。


間の抜けた音。メールだ。


ただいま到着しました!


来た。

緊張して、外に出る。

事前に教えて貰った車を探し…あった。

黒の軽自動車。

運転席から、優しげな男性が顔を覗かせていた。

えぇと、普通だ。

普通の男の人だ。30代後半。

アラフォーかな?

Tシャツにジーンズ。

The普通。

「遅くなりました」

「あ、いえいえ!別に…」

「どうぞ。助手席に座ってください」

「あ、はい…」

あって数秒で車内へ。

警戒する暇もなかった。

完全に、意表を突かれた状態だった。

「お茶ありがとうございます」

「いえ」

「お金返しますね。あと暑くてすみません。車の冷房壊れちゃったみたいで…」

「えぇ!?」

「修理会社の人は、これで大丈夫!っていってたんですが…」

「…確かに」

「ぬるいですよね」

「はい、送風ですね…」

ははは、と彼は乾いた笑い方をした。

目じりに、深いしわができる。

堀が深い。鼻が大きい。

柔らかそうな髪を、軽く流してセットしている。

なんか、かっこいい人だな。

お互い緊張した面持ちで、車は発車した。

「えぇと、なんてお呼びしたらいいですか?」

「僕ですか?そのままでいいですよ」

「えぇと、それは…」

「スティングバグ、と。もしくはカナブン」

「よ、呼びづらいですよ…」

「はは、でも名前なんで」

「はぁ…」

それから、少し話して沈黙して、少し話して沈黙して、と少し気まずい空気感で私たちは、ある公共施設に向かった。

「よくこの部屋を借りるんでしすよ」

「へぇー…」

それはよくある公民館のような施設だった。窓口のおじさんが丁寧に受付を終わらせてくれる。

あ、結構利用料金高いんだ…。

この人、駐車料金も払って、私に時給とか出すんだよな…。

そう思うと、途端になんだか申し訳なくなってきた。

私みたいな、普通の女って縛りがいあるのかな…

「鍵もらいましたよ。行きましょうか」

「っはい!」

「ははは、緊張していますか?」

「あたりまえです…」

「僕もですよ」

彼は、スタスタと階段に向かった。


え?僕もですよ。って今言った。

なんで?とは聞けなかった。


2階に上がって、すぐ右に借りた部屋はあった。

和室だ。

畳の独特な香りと、夏なのにひんやりとした風が流れてくる。

私はここで縛られちゃうんだ…。

カナブンさんは、部屋に入っておもむろに座り込んだ。

「冷房が効くまで、ちょっと休憩しましょう。荷物はテキトーに」

「はい…」

対角線上に、私も座った。

冷たい風が心地良い。

カナブンさんは、こちらを眺めるように見ていた。

ぼんやりとした視線が、身体を舐めるようで落ち着かない。

「さて、どんな風にしばってほしいですか?」

「えっ!?」

「細いなぁ。あまり縄はくい込まないかな」

「はぁ…。ど、どういうのがありますかね?」

「1番聞いたことあるものが、亀甲縛りとかじゃないかな。前、それで写真撮ったんですよ」

知ってる。

初めて見たやつだ。

「ただ亀甲縛りは股下を通るので、抵抗があるなら止めた方がいいね」

「れ、練習ですし、やりたい縛り方でいいです…」

「えぇ、それは迷うなぁ」

彼はクツクツと笑いながら、手提げカバンから赤い縄を取り出した。

計3本。綿っぽい。

「これで縛ります。1人で全部使うこともあるんですよ」

どうぞ、と部屋の真ん中を指した。

そこに立てってことかな…?

モゾモゾと移動して、和室の真ん中あたりに立つ。

もう、始めるのか。

身体が強ばる感じがする。

「じゃあ、お願いします」

彼はゆっくり近づいてくる。

「とりあえず、なんでもいいということで」

私の前に立った。

「亀甲縛りしよっか」

背ぇ、高いなぁ。

私は、ぼんやりとそう思った。


かくして私の“初体験が始まる”

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