【本編完結済】帰ってきた元奴隷の男

いろじすた

第1章 帰ってきた男

第1話 帰ってきた男

 ざわざわ……ざわざわ……

   

「何だあれ? 生きてんのか?」

「さぁ? 死んでんじゃねぇの? そんな事よりあの子可愛くね?」

「汚ねーな、こんな道のど真ん中で寝んなよな」

「てか、臭いし。マジ勘弁だわ。これからご飯食べにいくのに食欲失せるし」

「ママ、あの人何であんな所で寝てるの?」

「こら、近づかないの!」


 空がオレンジ色に染まる頃、都内の繁華街では行き交う人の波で溢れかえっていた。

 だが、ある一ヶ所だけ、人の波が割れている場所があり、そこには一人、薄汚れたボロを着た男が倒れていた。


 立ち止まる事のない人々の波は、その男に対して若干の反応を見せて、その場を去っていく。

 誰一人として男の安否を確認するどころか口にする者さえいなかった。


「うぅっ……こ、ここ、は……?」


 男は鉛でも埋め込まれているかの様に重い瞼を開き、気だるそうにゆっくりと体を持ち上げる。

 自分が今現在置かれている状況をまだ覚醒しきれていない二つの瞳でキョロキョロと確認する。

 艶などとうに無くした針金の様なボサボサ頭から覗いている双眸からは生気が感じられない程に男は憔悴しきっている様子だ。


 だが、眩しく輝くネオンサイン、行き交う人々の姿、道路を横切る無数の鉄の塊……そんなありふれた情景を目の当たりにした男の双眸からは自然と涙が溢れ出した。


「か、帰って来たんだ……お、お、おれ、日本に、日本に帰ってこれたんだあああああ! うおおおおおおおおおおお! 帰ってきたああああ! バンザァァァイ! バンザァァァイ!」


 男は両手を何度も突き上げて叫びだした!

 そんな男の異様な光景を、その場にいる通行人達は、キチガイを見るような目向けていた。男に対して罵るような声さえも発せられていた。


 だが、男はそんな事は気にも掛けず、ただ、帰ってきた事に対しての喜びを爆発させていた。


 男が狂った様に何度もバンザイを繰り返し、大粒の涙を垂れ流している、その時だった。


「うお!」


 男の背中に鈍い衝撃が走る。

 男は無防備だったため、その衝撃により前方へ倒れそうになるが何とか踏みとどまる。

 そして、何事かと男が後ろを振り向くと、そこには数名のガラの悪そうな青年達がニヤニヤしながら立っていた。


「な、なんだ?」

「おい、てめぇえよー、キタネー格好してわめいてんじゃねぇよ! 人様の迷惑を考えろッ!」


 青年に叱咤された事で、男は冷静さを取り戻したのか、周りの様子がハッキリと目に入ってくる。誰もが汚物を見るかの様な視線を男に向けていた。


 そんな視線を向けられていても男の態度は変わらず、いつもで向けられていた視線だと苦笑いを浮かべ、青年達に向けてゆっくりと口を開ける。


「いやぁ、すまない。少し嬉しい事があってついつい人様の迷惑も考えずはしゃいでしまった。もう、俺は行くから、お前らも俺の事は気にしないで行ってくれ」


 男の動じていない態度に青年達に幾ばくかの動揺が走る。


「あぁん? すまないじゃねぇんだよ! こっちとら、スロットで負けてムシャクシャしてんのに、嬉しい事があった? てめぇ、なめてんのかッ⁉」


 ガラの悪そうな青年達のリーダー格だろうか、一際身体の大きいツンツン頭の青年が、男に対して怒りをぶつけるが、男は、迷惑をかけた事について謝罪をした自分が、なぜこんなにも責められているのか皆目検討もつかない様子だ。


「スロットで負けたのは、俺のせいじゃないだろう? それを俺に当たるのはどうかと思うんだが?」


 ガラの悪そうな青年達は、自分達のリーダー格が怒鳴り散らしても全く動じな男の意外な反応に少しばかり驚いた表情を見せるが、それはすぐさま怒りに変わる。それもそのはず、男の怯えた哀れな姿を見て、スロットで負けたストレスを解消しようと思っていたのが男はまるでそんな素振りを見せず、逆に神経を逆なでにされているのだから。


 そんな彼らの様子に行き交う人の波も、少しずつではあるが立ち止まり、野次馬と化していた。


「おい、コイツやっちまおうぜ?」

「ホームレスなんて、いなくなった方が世のためっしょ!」


 どうやら青年達は、男をリンチにでもしたいらしい。


 集まった野次馬達も、この一触即発な状況をハラハラドキドキ見守っている。

 まぁ、見守るだけで、止めに入る者はいないのだが……。


「だな。 おい、ごらぁ、てめぇついて来い」

「なんで? 嫌だけど?」

「なめてんのか⁉ 来いって言ったら来んだよ!」


 思い通りにいかない事が気にくわないリーダー格の青年が、口汚く怒鳴りながら、乱暴に男の服を引っ張る。元々ボロボロな服だったため、それはいとも簡単にビリビリに破られ、男の上半身が露になった。


「「おおお~!」」


 周りの野次馬達から感嘆の声が漏れる。

 そして、カシャ、カシャとやたらとシャッター音が鳴り響く。


「え……っ?」


 男の服を引っ張ったリーダー格の青年は、男の露になった上半身に、出かかった言葉を飲み込み、声を発する事が出来ずにいた。


 リーダー格の青年が、そうなるのも無理はない。

 ホームレスにはあり得ない、見るからに鍛え抜かれた筋肉に、無数にある切り傷らしき跡が男の上半身から現れたからだ。


「お、おい……ヤバくね?」

「何だよ……あの体……」

「おいッ」


 男は狼狽える青年達に向けて若干ではあるが、怒気を込めて声を発する。


「な、なんだよ?」

「これ、どうしてくれんだ……」


 男はビリビリなって落ちているシャツの残骸を指差す。


「てめぇがそんなボロ雑巾みたいのを着てる……プギャぁぁ!」


 リーダー格の青年が言い終わる前に、男の拳がリーダー格の青年の顔にめり込み、その勢いでリーダー格の青年は、数メートル後ろにぶっ飛ばされる。


「てめぇ! 人様の服破っておいて、なに逆ギレしてんだッ!」


 怒りを露にしている男は、倒れているリーダー格の青年に近づき、胸ぐらを掴んで無理矢理立ち上がらせる。男が最大限手加減して殴ったらしく、リーダー格の青年はギリギリではあるが、意識を保っていた。


「や、やめて……」


 たった一発で、リーダー格の青年の戦意は削ぎ落とされたのか、先程まで挑戦的だった両目は、狼を前にした震える子羊の様だ。


「やめて? ふざけんなよ? その前に言うことがあるだろうが!」


 男は再度リーダー格の青年の顔を殴る。


「ぐぇ!」

「聞こえねぇぞ!」


 更に殴る。


「ご、ごめんなさい……」


 リーダー格の青年は泣きながら、男に謝ってくる。


「謝る位なら、んな事してんじゃねえええ!」


 男が止めと言わんばかりの一撃を食らわせると、

「謝ったじゃん……」とリーダー格の青年は気を失う。

「ちっ、弱いくせに絡んでくるんじゃねぇよ!」


 男は気絶したリーダー格の青年を彼の仲間に向かって、片手で投げると、結構な巨漢が、まるでボールみたいに飛んでいく。


 そして、男は唖然としている青年達に近づく。


「おいっ」

「は、はい!」

「脱げ」

「は……い?」

「お前らのせいで上半身裸だろうが!」


 男に指を指された青年が何かに気付き、急いで着ていたシャツを脱いで男に手渡すと、男は手渡された服を乱暴に奪い、その場で袖を通す。


 ついさっきまで、他人が着ていたとかは気にはならないようだ。


「俺の目の前から失せろ」

「はひッ!」


 青年達は、二人掛かりで未だに気絶しているリーダー格の青年を背負い、逃げるようにその場から走り去っていった。


「ったく……戻ってきて早々……」


 ピッピーピーピピー

 男がブツブツと不機嫌そうにしていると、遠くの方からホイッスルの様な音が聞こえる。

 音のする方へ視線を向けると、そこには二人のお巡りさんが、こっちに向かって走って来ていた。


「やっべぇ!」


 絶対に面倒事になると思った男は慌ててその場から逃げ出した。

 常人では想像もつかない速さで。


 その日の検索ランキングに、“リアルケ◯シロウ現れる”が、密かにランクインしていた事は、勿論この男が知る由もない。

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