第20話 星を巡りし星命素

 満月の月明かりに濡れた森に、ふくろうの鳴き声が遠く聞こえる。

 辺りから響いてくる、虫たちの優しい音色が肌を撫でていく。

 闇を遠ざける灯りが二つ。

 卵をひっくり返したような形のランタンが、夜陰に隠れていた木々や草花を見つけていく。

 ダンジョンレベル5、アルセの森。昼行性の魔物モンスターが眠りに就き、夜行性の魔物モンスターが活動を始める夜のアルセの森は、ダンジョンレベルが上がるのだった。

 まだバトルレベル2のクララが訪れるのは危険だと承知していたが、いつも以上に警戒心を高め、周囲に注意を払うバトルレベル16のユキトが護衛を務めれば、特に問題は起きないはずだ。

 片手に探索用ランタンを持っているため、ユキトはもう片方の手にだけ、ガルウィングソードを装備していた。

 幸い魔物モンスター遭遇エンカウントすることもなく、目的地に到着する。

 森の奥の幻晶泉である。

「綺麗ですね!」

 黄金の満月が泉の水面に映り込んでいる。

 その周りを取り囲むようにして咲いている幻晶花。淡い赤紫色の花弁はなびらも、葉や茎さえも青白い光をしんしんと放ち続けている。

 陽光が差している時間帯とは異なり、夜の帳に映える幻晶花の光は美しかった。

 ユキトもその景観を暫し眺める。

「これを見せたかったのか?」

 クララが顔を横に振る。

「いえ、少し待っていてください」

 探索用ランタンを地面に置くと、クララは錬金杖れんきんじょうで白い光を引き伸ばす。

 暗闇の中、白い光が円や紋様を描き出していく。

 まるで踊るようにして描かれていく錬金陣は、ユキトの知るHP回復薬ポーションでもボルスでもなく、初めて見るものだった。

 クララは無限袋インフィニティバッグの中からオイルフルーツを一つ取り出し、素材円の中に置く。次にバケツを取り出し、錬金術的には聖水に分類される泉の水を汲む。生まれた波紋が満月を歪ませる。それを二つ目の素材円の中に置いたクララが、続いて無限袋インフィニティバッグの中から取り出したのは手袋だった。白い手袋を両手に嵌めると、二本の幻晶花を手折り、それぞれ異なる素材円の中にそっと置く。

 そして錬金陣の中央まで歩を進め、クララは白く光る錬金陣を杖で突いた。

 闇夜あんやの中、眩くまばゆく白い輝きを迸らせる錬金陣の中で、クララが調合を開始する。

 激しい光の渦が収まると、錬金陣の中央に作製した物が現れた。灰だった。

 クララがユキトを振り返る。

「も、もう少し待ってください。すぐに成功させますから。レシピは知ってたんですけど、作るのは初めてなんです。やっぱりお母さんみたいにはいかないか。簡単そうに作ってたんだけどなあ」

 独り言を呟きながら、クララは素材アイテムを素材円の中に補充していく。そして再び調合を開始する。

 数度目の挑戦で、それは出来上がった。

 錬金陣の中央に集束した七色の光は、小瓶へと姿を変えた。中には青白く光る液体が入っている。

「できましたあ!」

 笑みを浮かべたクララがそれを拾い上げる。

「それは?」

「星の雫って言うんです。暗闇のステータス異常を治す効果があるんですけど、世界の美しさを視るためのアイテムでもあるんです」

 お母さんの受け売りなんですけどね、と付け足すクララ。

「とにかく使えばわかりますから」

 言うとクララは小さな容器の蓋を開け、顔を上向ける。そして星の雫を逆さにし、先細りとなっている容器の先端から、それぞれの瞳に一滴ずつ垂らした。

 数度ぱちぱちと瞬きをしたクララが破顔する。

「わあ! 良かった。お母さんが作ったのと同じ効果がちゃんと出てます!」

 手渡された星の雫を、ユキトも同じように目に差してみた。

 次の瞬間、ユキトは度肝を抜かれた。

「うお! なんだこれ!」

 世界中から集めた色という色を、宙に向かって振り撒いたかのような美麗な壮観。

 辺り一面に七色の光粒が浮遊している光景が、突如として現れていた。

 星の数、いやそれよりも遥かに多いのではないかと思える程の、数多の色彩の煌き。

 夜の帳は彼方へと押しやられ、その耀あかるさたるや、満月が霞む程である。

 絢爛な光景を見上げながら、ユキトが呟きを落とす。

星命素フォゾンが視えるようになるのか」

 クララが肯定する。

 これもお母さんから教えてもらったことなんですけど、と前置きしてから、クララが言葉を紡ぐ。

「普段は濃度が低くて視えない星命素フォゾンが、視えるようになるアイテムなんです」

 人族たちの目は、濃度の低い星命素フォゾンを視認することが不可能である。

 生物が命を散らす時、体を構成している全ての物質が一瞬にして星命素フォゾンに分解される。そして分解された一瞬間いちしゅんかん星命素フォゾン濃度が一気に上がる。故に、その刹那の刻だけは星命素フォゾンが視えるようになる。

 生物の絶命時に一瞬だけ現れ、そしてすぐに消えていくことから、この星命素フォゾンの虹色の輝きに幻晶光という名が付いた。

 幻晶泉である、満月を映す泉の水面から、おびただしい数の星命素フォゾンが上空に向かって噴き出し続けている。

 幻晶泉から離れた位置にある星命素フォゾンは、一見微動だにせずに、その場に滞空しているかのよう。しかしよく見ると、全ての光の粒が同じ方向に向かって、ゆっくりとゆっくりと移動していた。

 星を巡る星命素フォゾンの通り道、星脈。

 星命素フォゾンは星脈を通って、星の中心へと還る。そして星の中心から幻晶泉へと繋がる星脈を通り、幻晶泉より地表に噴き出す。そしてまた星脈から星の中心へと還る、を繰り返している。

 星命素フォゾンは一番近くの星脈に引き寄せられるという性質を持っている。引き寄せられた星命素フォゾンは、星脈に辿り着くと、星脈の流れに乗って世界を巡って旅をする。

 今ユキトの眼前で星命素フォゾンが動いているのは、世界に漂う星命素フォゾンを、星が効率よく回収しているためであった。

 アクラリンドの世界に存在する生物、物質の素となっているのは、星命素フォゾンという粒子である。

 星命素フォゾンの状態ではまた実体を持たないため、星脈に引き寄せられる星命素フォゾンたちは、ユキトとクララの体を透過していく。

 星命素フォゾンは幻晶泉の付近だけでなく、世界中に存在している。

 生殖行為から新たな生命が生まれる瞬間、周囲に漂う星命素フォゾンを取り込みながら誕生する、という性質がある。

 ユキトとクララの体にも、星命素フォゾンは内包されている。

 体内に取り込んだ星命素フォゾンは、星命素フォゾンに還元される前、人族だったかもしれない、或いは動物だったかもしれない、はたまた魔物モンスターだったかもしれない。

 レベルアップした時にアビリティを覚えることがある。

 自分が体に取り込んでいた星命素フォゾンが、星命素フォゾンとして還元される前、つまり生前の生物が習得していたアビリティの記憶が、レベルアップした瞬間に呼び覚まされることにより、自分が修練したこともないアビリティを覚えることが可能なのだった。

 ユキトが息絶え、星命素フォゾンに還元されても同じことが起きる。ユキトだった星命素フォゾンが漂う近くで新たな命が生まれた時、ユキトだった星命素フォゾンが取り込まれ、その新たな命を宿した生物が成長し、レベルアップした時に、ユキトの習得していたアビリティの記憶が呼び起こされ、その生物の技となり、生存確率を上げるのだ。そしてその生物が、命を燃やし尽くして星命素フォゾンに還ると、また同じことが繰り返される。

 常に星命素フォゾンを噴き出している幻晶泉だが、いつも以上の膨大な数の星命素フォゾンを噴出させる時がある。この現象を幻晶体誕生フォゾンバースと呼ぶ。

 幻晶体誕生フォゾンバースが起きている間、幻晶泉の周囲のフォゾン濃度は高まり、普段は視認できない星命素フォゾンを視ることができる。

 そして幻晶体を生み出すのだ。

 幻晶体とは、体が星命素フォゾンのみで構成された生物のことである。生殖行為によって生まれずに、幻晶体誕生フォゾンバースによって生まれてきた幻晶体は、血肉を持たない。

 青白い光でぼうっと辺りを照らしている幻晶花は幻晶体だった。

 幻晶花は元々アクラリンドの世界には存在しない花だった。

 稀代の天才と称される画家、ローエ・ヤンド。

 ローエの代表作『星の産道』。

 幻晶体誕生フォゾンバースをしている幻晶泉を描いた一枚の絵画作品。

『星の産道』は幻晶体誕生フォゾンバースをしている幻晶泉の、そのままの光景が描かれているわけではなく、ローエの想像力による幻想の要素が混在している。

 それが幻晶花である。幻晶泉の周囲に青白い光を放ちながら群生している美しい花として描かれている一方で、魔物モンスターの体液に反応し、根を伸ばして生物を捕食している場面も同時に描かれている。

 美しさだけでなく、生命の生き抜くための強かさ、残酷ささえも、一つの作品の中で調和させ、見事に表現しきっていることが高く評価され、誰もが知る名画となった。

 世界中の様々な地域に貸し出され、美術展を開催して展示され、多くの人の目に触れるようになった。

 展示時、作品の傍には解説文が付けられ、そこに幻晶花の設定も記載されており、ローエが作り上げた幻晶花の生態設定も、多くの人の知るところとなった。

 アビリティだけでなく、星命素フォゾンには、星命素フォゾンに還元される前の生物たちの感情の記憶も宿っている。

『絵画の世界の中にしか存在しない幻晶花を、現実でも見てみたい』

『精緻な絵だから、本当に幻晶花が存在してるみたいに感じる』

 等の想いを抱えた人たちの命が消え、星命素フォゾンに還元され、星脈に引き寄せられ、星の中心へと還り、幻晶泉より噴き出す。この循環を繰り返す中で、幻晶花に対する大勢の人々の想いの籠った星命素フォゾンが寄り集まり、そして幻晶体誕生フォゾンバースの力によって、現実世界に具現化したのが、今ユキトたちの目の前で美しく咲き誇っている幻晶花なのであった。

 ちなみに名に泉が付く幻晶泉だが、必ずしもすべての幻晶泉が泉に存在しているわけではない。水など一滴たりともない砂漠のど真ん中、荒野、氷の大地、火山であろうとも幻晶泉は存在する。

 ギルド本部で伝書妖精をしている小人妖精メルファリア族も幻晶体である。

 童話作家トラス・ラウェの大ヒット童話『ディンス・フィ』。

 小人妖精メルファリア族のシャンテ・ベルが大活躍する物語で、可愛い主人公のシャンテ・ベルが爆発的な人気を博した。

 そして今では誰もが、子供の頃に『ディンス・フィ』の本を開き、親から読み聞かせてもらった経験を持つ程に、誰もが知る童話となっている。

『可愛いシャンテ・ベルに会いたい! 本当にいたらいいのに!』

『シャンテ・ベルにはこういう友達の小人妖精メルファリア族がいるんじゃないかなあ?』

 多くの人々の空想までもが混じり合い、幻晶体誕生フォゾンバースによって誕生したのが、今アクラリンドの世界に実際に存在している小人妖精メルファリア族である。そのためシャンテ・ベル以外の小人妖精メルファリア族も多数顕現していた。

 この世界に存在しなかった花、幻晶花。しかしそれが今、自分の目の前で青白い淡光を放ちながら美しく咲いている。そして、オパールの中に閉じ込められたかのような錯覚を覚える幻想的な美景に、ユキトは圧倒されていた。

「どうですか?」

「これは、凄いな」

「気に入ってもらえたみたいで嬉しいです」

 クララが笑みを零す。

「レシピは知ってたって、最初から作れたのか?」

「いえ、錬金レベルが上がる前は、作れそうな気が全くしてませんでした。錬金レベルが2に上がった時に、作れるようになった感覚が突然湧いてきたんです。だけど今は星の雫よりも、HP回復薬ポーションとボルスの方が必要だから、今まで作らなかったんです」

 圧巻の風光の中で、クララが独白する。

「わたしは昔から引っ込み思案でどんくさくて、そのせいで周りの子たちを怒らせちゃうことが多くて。友達の輪の中になかなか入れてもらえなかったんです。そうやって落ち込んでる時に、お母さんが初めて星の雫を作ってくれたんです。星命素フォゾンは生命の欠片。普段は視えないけれど、いつもこうやって傍にいて、クララのことを見守ってくれているんだよ。クララは独りじゃないんだよ。寂しがることはないんだよって言ってくれて、わたし落ち込んでたのがパッと元気になれたんです。それから自分の周りには、いつも生命の欠片たちが見守ってくれてるんだって思って、勇気を出して自分から話しかけたら友達ができるようになったんです。そのことをお母さんに話したら、お母さんも喜んでくれて、わたしが落ち込んでるのを見ると、決まって星の雫を作ってくれるようになりました。この光景を見る度に、光たちから元気を貰ってるんです。ユキトさんも少しは元気が出ましたか?」

「ああ。少し気分が晴れたよ」

 レベルフルカンストしてしまったという事実に、奈落の底に突き落とされた気分になっていたユキトは、雅な絶景を眺めている内に、いつの間にか心が幾分楽になっていた。

「ありがとう」

 落ち込んでいた自分を、励まそうとしてくれたクララの心遣いに、ユキトは笑みを浮かべた。

「よかった」

 屈託ない笑顔を向けるクララに、申し訳ない気持ちが込み上げてくる。

「ごめんな。頑張るって決めたばかりなのに、こんなことになっちまって。その内おれよりもクララの方が強くなって、おれは足手まといになるだろうな」

 諦めとも取れるユキトの言葉に、クララの瞳に涙が滲む。

「わたし嫌ですよ。これからもユキトさんともっともっと一緒に冒険者をしたいんです! 折角、一緒に頑張れるって思ってたのに。それなのに……!」

 クララが嗚咽を漏らして涙を零す。

 涙を流してまで、自分と一緒にいたいと言われたのは、ユキトにとってこれが人生で初めてのことだった。

 ここまで自分のことを想ってくれていたのかと、今まで感じたことのない嬉しさが込み上げてくる。

 でももう一緒にはいられなくなるかもしれないと思うと、ユキトの胸がぎゅうっと締め付けられて苦しくなった。

「そう言ってくれるのは嬉しいけど、レベルカンストしちまった以上、どうしようもないだろ。これからどうするのかまだ決めてないし、クララが一人前になるまでは、これまで通り一緒に冒険者を続けるよ。おれが知る限りのことを教えるから。クララを冒険者の道に駆り立てちまったのはおれだからな。……それが終わったら悪いけど、おれ以外の誰か良い奴を見つけて、そいつと頑張ってくれ」

 瞳から、とめどなく涙を溢れさせながら、クララがユキトにしがみつく。

「もう二度と諦めないって言ったじゃないですか! わたしはまだ諦めてません。わたしが錬金術でユキトさんの強い武器と防具を作れるように努力しますから。それを装備すれば、レベルが上がらなくなっても、これからも、一緒に冒険者を続けられるはずです。だから、まだ諦めないでください。これからもずっと、わたしの傍にいてください」

 ユキトの胸に顔を押し付け、クララは涙を流し続けた。

 武器と防具を装備すれば、自分のステータス値に装備品のステータス値が加算される。

 クララの言う通り、強い装備品を身に付けることで、まだ高みを目指せるのかもしれない。

 毎日クララが頑張っていることを知っているユキトは、今は無理でもクララなら、錬金術で強い装備を作れるようになれるんじゃないか、と思う一方で、頑張ろうとしていたのにレベルフルカンストしてしまうという現実に打ちのめされたばかりということもあり、努力してもやっぱり無理なものは無理なんじゃないのかと、少し前までユキトがいだいていた考えが再び首をもたげ始めていた。

「もし本当に、強い武器と防具をおれのために作ってくれるのなら、ずっと一緒にいるよ」

 相反する二つの気持ちが混在する、複雑な心境で言ったユキトの言葉。しかし、それでもクララはユキトを見上げ、

「はい! 任せてください!」

 と笑みを零すのだった。

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