第2話 錬金術士クララ・クルル

 ガッチャが退団してから数日が経った、ペオヌルの月、カヤルの週、ニルの曜日の正午前のことだった。

 一人の少女が【厚切り肉のコートレッタ】のユニオンホームの門戸を叩いた。

【厚切り肉のコートレッタ】の冒険者たちの朝は遅い。昼近くだというのにまだ誰一人として覚醒しておらず、ノックの音に気づく者はいなかった。

「ごめんくださーい!」

 という少女の大きな声と、先程より大きくなったノックの音がホームの中に響き渡る。

 それでようやっと、手足を隣で寝ている相手の上に乗せ合い、雑魚寝していた八人の内の数人が目を覚ます。ちなみにユニオンリーダーであるジルクだけは、ホームの中に一つだけある個室の中で寝ている。

 玄関扉に一番近い位置で寝ていたユキトが、気怠く目を擦りながら起き上がり、玄関扉を開けた。

 晴れ上がった青空の下、そこにいたのはユキトと同じか、もしくは一つか二つ程、年下に見える人間ヒュマ族の少女だった。

 少女は垂れ目がちの大きな瞳が美しい美少女だった。大きく三つに編んだ柔らかそうな灰色の髪房を、背中に垂らしている。その頭に上には、花の飾りがいくつも付いた橙色の帽子。華奢な体には、花の意匠をあしらった、水色が少し混じる白を基調とした、膝下までのワンピース。ワンピースの腰の部分には、アイテムを吊り下げることができる吊り革のベルトを巻いている。ベルトには革製のポーチが付属していた。足にはレザーブーツを履き、背中に茶革のリュックを背負い、手には黒い木製の杖を持っていた。杖の先端部分には、金色の金属製の鳥の両翼の意匠。逆側には同じく金色の金属製の石突きが付いている。

 百七十五セーチあるユキトより、二十セーチ程背の低い少女は、出てきたユキトを見上げると、なぜか嬉しそうに柔和な笑みを浮かべた。

「入団テストを受けに来ましたクララ・クルルです!」

 元気の良い声で言うと、クララと名乗った少女は深々とお辞儀をする。

「あー、ちょっと待ってくれ。今リーダーを呼んでくる」

 元気の良いクララの返事を背中で聞きながら、ユキトは奥の個室に向かった。

 ジルクを起こして事情を説明したユキトは、ジルクを連れて玄関の外に戻ってきた。

 ジルクに挨拶すると、クララはジルクにステータス表を手渡した。

 クララがギルド本部二階アナライズフロアで作成してもらったステータス表には、名前、年齢、バトルレベル、錬金レベル、習得アビリティの他に、各ステータス値が記載されている。

 HPヒットポイント

 STスタミナ

 MPマナポイント

 力 (物理攻撃力)

 体力(物理防御力)

 魔力(魔法攻撃力)

 精神(魔法防御力)

 敏捷

 運

 活力(ステータス異常の発生確率と持続時間に関係する)

 NEXT LEVEL UP(次のレベルアップまでに必要な経験値)

 そして最後に、火、氷、雷、土、風、水、聖、闇、重力、無、の十属性それぞれの属性耐性値がパーセンテージで表記されている。

 それに目を走らせているジルクの横から覗いていたユキトは、錬金レベルの項目があることと、習得アビリティの項目に《錬金術》と記載されているのを見て、彼女が錬金術士であることを知った。

 それから年齢の欄には、ユキトが予想していた範囲内の、十五という数字が記してあった。

 クララのステータス情報を確認し終えたジルクが顔を上げる。

「じゃあ入団テストやろっか」

「はい! お願いします!」

 クララはまたしても深々とお辞儀する。

 ジルクがユキトに顔を向ける。

「つーわけでおれは試験官やってくっからよ。お前らはいつも通り適当なクエストやっとけ」

 ユキトが了解する。

「クララだっけ? バトルレベル1だったな。それならモネア平原へ行――」

「一緒に行きましょう!」

 ジルクの台詞を遮り、クララがキラキラした眼差しでユキトを見上げる。

「え、おれは行かないけど。試験官はリーダーのジルクがやることになってるから」

「うぅ……」

 何故か途端に涙目になり、訴えるような上目遣いでユキトを見やる。

「は!? なんで泣くんだよ!」

 わけがわからなくて戸惑うユキト。

「一緒に行きましょうよぅ……」

 ユキトのシャツを両手で掴んで揺さぶり、至近距離から見上げてくるクララ。

「そ、そういう決まりなんだよ。仕方ないだろ」

 クララの手を取り、何とか引き剥がそうとしていると、横からジルクが言い放った。

「こいつはかなりお前にお熱みてえだな。お前も一緒に来いよ」

「はあ!? やだよ!」

「何の問題があるってんだ? 別に今日一日、お前がクエスト攻略に参加しなかったところで、ほとんど稼ぎに差はねえだろ」

 確かにジルクの言う通りだったが、ユキトとしては、この妙な少女にあまり関わりたくないと思ったのだ。

「それにお前が来なくて、意気消沈している状態じゃ、本来の力を発揮できなくなる可能性があるだろうが」

 クララが力強く首肯を繰り返す。

「リーダー命令だ」

 そう言われてしまえば、ユキトに逆らう術は残されていなかった。

「わかったよ」

 不承不承頷くと

「やったあ!」

 とクララが諸手を上げて何度も飛び跳ねた。

 クララを外で待たせ、ジルクとユキトは一旦部屋の中に入って着替える。

 ユキトはブロンズプレート、ガントレット、レザーブーツを装備し、最後に腰に巻いた剣帯に、二本のガルウィングソードを佩いた。

 その頃になると他のユニオンメンバーも続々と目を覚まし、ユキトと同様にダンジョンに赴くための準備を始めていた。準備が終わった者は外に出て、他のユニオンメンバーを待っていた。

 準備を整えたユキトは外に出た。

 ジルクを待っていると、クララが話しかけてきた。

「あの、ユキトさんですよね? 《スピードスター》の」

 その瞬間、ユキトの顔が凍りつく。

「わたしユキトさんのファンなんです!」

 自分に向けられる、屈託のないクララの笑顔を見ていられなくて、ユキトはクララの顔から目を逸らす。

 ダンジョンへ向かうため、続々と外へと出てきていたユニオンメンバーたちも、気まずそうに微妙な表情を浮かべる。

 異変に気付いたクララが怪訝な表情になる。

「どうかしましたか?」

 ユキトは場を取り繕おうとして問いかける。

「いや、おれの、その、ファンだから、ここの入団テストを受けに来たのか?」

「はいそうです!」

 そういうことか、とユキトは理解した。

 事情を知らないクララに説明することは躊躇われた。単純に恥ずかしかったからだ。仮に今話したところで、クララが納得して帰ってくれるとも思えない。結局ユキトはなにも言わないことにした。ユキトが言おうとしないのを見て、周りのユニオンメンバーたちも口を噤んだ。

 残りのユニオンメンバーと共にジルクが出てきたところで、ギルド本部に向かって出発する。

 円形の防壁に囲まれたリーガには、北門、南門、東門、西門の四つの出入り口が存在する。都市中央のギルド本部から、四つの門に向かって目抜き通りが伸びており、それが境界線となって、リーガは大きく分けて、北区、南区、東区、西区の四つに区画に分かれている。

【厚切り肉のコートレッタ】のユニオンホームがあるのは南区・第八居住区。そこから、都市中央のギルド本部を目指す。

 赤みの強い橙色の三角屋根を被った、白壁の建物たちに両脇を挟まれながら、陽射しを受けた石畳の上を十人で歩いていく。

 途中で広場を通りがかる。

 先だけが白い、黄色い狐の尾に、同じく黄色い狐の耳を持つ、狐人ツヅラオ族の行商人が出店を開き、声を張り上げ呼び込みをしている。

 別の場所では、兎と小熊猫の獣人ベリーナ族の吟遊詩人が、歌いながらリュートを演奏していた。

 背に蝙蝠のような翼、兎のような長い耳に茶色い瞳、両頬からはそれぞれ三本ずつのひげが横に向かって伸びている、兎と小熊猫を足して半分に割ったような愛くるしい顔。耳までの高さが八十五セーチと小柄だ。

 その美しい歌声と音色に惹かれ、つと空中に複数の音楽妖精ソラシー族たちが現れた。

 身長は八十セーチほどの矮躯。横長の耳、白目のない青緑色の瞳、その相貌は人間に似ているが、人間の顔をデフォルメしたかのよう。それぞれ違った形の帽子を被り、帽子からはみ出した前髪が、可愛くくるんっとした巻き毛になっている。前面に大きく描かれた音符が特徴的な、ゆったりとしたお揃いのローブを纏い、そのローブ同様に、おしゃれな蝶ネクタイも色とりどりだ。爪先の尖った木の靴もお揃いである。

 音楽妖精ソラシー族たちはふわふわ浮遊しながら、どこからともなく楽器を取り出す。バグパイプ、ハープ、テイバー、ハーディ・ガーディ、プサルテリウム、フルート、フィドル。

 兎と小熊猫の獣人ベリーナ族の吟遊詩人に合わせ、演奏に参加する。

 小柄な獣人と妖精たちの合奏により、個々の音色が重なり合っていく。

「うわあ……!」

 そんな光景を瞳を輝かせて眺めるクララ。田舎者丸出しであった。

 ジルクがクララに目を向ける。

「珍しいか?」

「はい! やっぱり都会は凄いですね! わたし色んなダンジョンへ行って材料を集めて、色々な物を錬金術で作ってみたいんです。それからわたし、生まれ育った町から出たことなかったから 今まで見たことのない景色をいっぱいいーっぱい見てみたいんです!」

 嬉々として夢を語るクララの姿が、まるで昔の自分のように思えて、ユキトは何とも言えない気持ちになった。

 その時、大きな影が冒険都市を呑み込んでいく。

 蒼穹に大きな島が浮かんでいた。

 浮遊島シャテラ。

 未だ人類が足を踏み入れたことのない未踏領域の謎の島。

 首の皮が痛くなるくらいに顔を上向け、アクラリンドの天穹を回遊するそれを、クララが見上げる。

「いつかシャテラにも行ってみたいですね」

 ジルクが会話を繋ぐ。

「それで冒険者になったのか」

「それだけじゃなくて、わたしお母さんを探してるんです。お母さん行方不明になっちゃってて、それで冒険者になったら、小転移石テレポートクリスタルで色んな所に行けるようになるから、お母さんが見つかるかもしれないって思って」 

「そっか、見つかるといいな」

「はい」


 広場を通り過ぎ、ギルド本部に到着する。

 ギルド本部の建物は、冒険都市リーガの建造物の中で、一番の威容を誇っていた。

 ここでクエスト攻略組とは別れ、三人はまず総合カウンターへ向かった。

 クララがダンジョン内で、入団テストを受けられるようにするため、貸し出し用ギルドプレートを借り、クララはそれを首にかけた。

 カウンタールームの奥、巨大な結界を通り抜け、大転移石ヒュージテレポートクリスタルの前に来る。

 三人が転移先の名を口にした瞬間、三人の体がブルーの転移光に包まれ消えた。

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