第30話 斬撃姫

 第一の試練となる門番を突破したそこは既に冥界だった。

 極限の冷気が吹きすさぶ雪の園。

 あたり一面を覆いつくすのは有史以来の死者だ。

 門を抜けた先、階段のような通路だけが、奥に見える白の大地には死者の大軍が見える。

 これからそこへ行くことになるのだろう。漆黒の岩盤と白亜の雪が支配するここが冥府か。

「あの大軍は流石に相手にできないよなぁ」

「相手にする必要はない。そもそもそこまで降りることはないからな。目指す場所はあそこだ」

 巨大な宮殿が奥に見える。門からそこまで階段のような長い通路が続いていた。

 その途中には広々とした島があり、おそらくはあそこが第二の試練の場なのかもしれない。

「了解、それじゃあ進むか」

「滑りやすイ。気を付けロ」

「ツェルニは詳しいな、来たことがあるのか?」

「ツェルニは詳しイ。それだケ。冥界、来るの禁止」

「確かに、早々来れるところではなさそうだけど。それにしては詳しいよなって」

「伝承たくさン」

 なるほど、そういう伝承を語り継いでいるとうことだからか。

「うぅ、寒いなぁ」

「郡川は大丈夫か」

「大丈夫だけど、私の役割は終わったし、どこかで待ってたらダメかな」

「駄目だと思うというか、危なくないか」

「それもそうだよねぇ。でも甲野くんについていく方がもっと危なそうだしなぁ」

 そういわれても反論が出来ないというか、これから先確かに危険なことが多そうな気配がするのだ。

 そうこうしている間に、島へと辿り着く。

 岩ばかりで何もない空虚な島だった。もとより冥界だ。自然豊かなど期待できるはずもない。

 しかし、こうもなにもないとなるともの悲しさや寂しさを感じてしまうし、ここにどんな試練があるのかと疑ってしまう。

 そもそもレーダーがまるで機能していないのである。

『生体反応がありませんからね。マナそのものも濃く、一切のセンサー類が機能しません』

 視覚とか聴覚が頼りってか。

 それでも問題ないが今までと比べると安心感に劣る。

「いたぞ」

 この島には門の類はない。

 だが、道の類が先へと通じていない。そして、島の端には、意味ありげな石像がある。

 その前にはテーブルがあり、いくらかの宝石が並んでいた。そのわきには巻紙がある。

「これは……」

「八雲、なんて書いてあるんだ?」

「全然読めん」

 思わずずっこけそうになった。

「おいおい」

「辺境の古い言葉だ。僕でもそこまでは履修していない。ツェルニ、読めるか」

「ん……ツェルニ、これ読めル」

「良かった。なら読んでくれ」

 ツェルニが巻紙を読む。

 六つの宝石。

 いずれかの宝石が冥府の宮殿への道を開くであろう。

 しかし、挑戦者よ注意せよ、どれか二つは猛毒で、触れただけで死に至る。

 正解は一つだけ。

 どれか一つは何の変哲もない宝石だが、失せ物を探すことが出来る。

 残りはただの宝石だ。

 道を開く宝石は潔癖症で毒の隣にはいない。

 毒は孤高であるため端の方にいる。

 毒の隣にいるのは何も考えていないもの。

「なんだこれ」

 まだまだ文章は続いているが、良くわからない。

「論理クイズというやつだな」

「わかるのか?」

「もちろんだ」

 八雲は、右から三番目と左から二番目の宝石を取った。

「こっちが先を示す宝石で、こっちが失せものを探す宝石だ」

「なんでわかったんだ」

「簡単だ。謎解きにすらなっていない」

「それじゃわからないんだが」

「まあまあぁ。時間がないんだし、急ごうよ~」

 先へ先へ。

 出来上がったばかりの通路を進む。下に見えるのは死者の雪原。雪と氷に覆われた古からあふれ出す死者の群れは、こちらを見上げている。

 落ちたならば最後、生者は引き裂かれ、死者の葬列に加わることになるだろう。

「ぞっとしないな」

「落ちたら助けてね」

「できる範囲でなら。だから落ちないでくれよ」

「うそばっかり。絶対助けてくれるでしょ」

「……」

 そもそも誰一人失わせないためにここにいるのだから、当然だった。それを認めるのが癪だったから思わず無言になってしまったが。

『素直じゃありませんね』

 シーズナルほどじゃない。

『おや、そうですか。それよりも気が付いていますか』

 シーズナルの言葉にうなずく。

 もう宮殿は目の前に来ている。当然、第三の試練がそろそろあるだろう。

 力を示すこと。

 宮殿の前には広場があり、そこに一人幽鬼のような女がたっていた。

 知っている。

 その女を俺は知っている。

「ゆい」

 八雲がそうつぶやく。

 橋本ゆいが俺たちの前にいる。

 真っ白な髪に赤い瞳は日本にいた頃とそのまま変わらない。

 だが、元々あった浮世離れした雰囲気がより純化されている。大いに何かの箍が外れてしまっているのだと感じた。

 何より白の着物にはべったりと血がこびりついている。顔面に降りかかった血を払うこともせず、彼女はまっすぐにこちらを認識する。

「んっ、あら? あらあらぁ。出流さん、こんなところまで来ていただけるなんて」

「ああ、ゆい。来た。だから帰ろう」

「それは出来ませんと、お上に言われましたよって。どうしても連れ帰りたいいうんなら」

 その瞬間、剣花が爆ぜる。

 かろうじて八雲の頸に迫った刃を腕ではじく。

「あら? 甲野さん、随分とお強くなったというか。変わりましたねぇ」

「どうも。橋本も随分と変わったように見えるけど」

「いえいえ、変わっていませんよぅ。あては、病弱のままですし、ただ、そうただ、色々と斬り開き直ってみただけなんですよぅ。出流さんが呼んだ助っ人ならこれからどうすればいいかわかっているんでしょうし、さあ、死合いましょうて」

 激戦は静かに始まった。

 理由不明。

 だが、彼女と戦わなければいけないことだけはわかる。

 こんなものは聞いていないが、そう文句を言う暇などなかった。彼女が手にしたのはこちらによくある剣じゃない、刀だ。

 斬ることにすべてを捧げた冷気の鋼。振るわれる刃はよどみなく、現代日本ではついぞ見ることが出来なかった橋本ゆいという人間の本質を垣間見せる。

「うふふ、楽しいわぁ」

 気合のみで、地が削れ、割れ裂ける。地を蹴る。

 一瞬どころか刹那、いや涅槃寂静のうちに間合いへと入る。もはや、常人ではその戦いを見ることなどかなわない

 振り下ろされる一閃。

 それは無音の一撃。音も光も斬ってただ斬撃――斬れたという結果だけを出力する。

 その技はどこまでも真っ直ぐだ。邪なものなど何一つない。一つのことを想いつづけ、それを目指した末の技がこれだった。まさしく絶技というべき剣戟の極致。

「ようやっと全力を出せる。ごふ、ふふ、もう死ぬことを気にする必要もない。だってもう死んでるんやし」

 橋本は死者になったことを憂うどころか喜んでいる節すらあった。 

 彼女を蝕む病魔は一切抜けていない。

 むしろより強力に蝕みながらも彼女はそれを一切頓着していなかった。

「いや、何があった――」

「んもう、出流さんと同じことを言うんですねぇ。なんにも。なんにもありませんよぅ。ただ、開き直ってみたんですよぅ。親も先生も誰もおらんのやし、自分のしたいことをしたいままやってみようって」

 そう思っただけ。

 彼女はそういった。

 そして、それが――。

「この戦いか!?」

「体を目いっぱい動かせればそれでいいですけど、戦いはほら、命と命のふれあい。心も体も動かせる本当に良いものですよ」

 などと言いながら振るわれる刃の鋭さに戦慄する。

 剣戟の轟音は衝撃波となって大地を割り崩し、踏み込みは地震の如く大地を揺らす。

 もはや、これは戦いではない。天災と呼ぶべきものだ。

 刀と剣が唸ればそれだけで、衝撃波が生まれる。そして、刀と手刀は肉体には届いていないというのに血飛沫が舞い紅い華が咲く。

 後退などありはしない。互いに最高の技を放つ。それが防がれれば、また次の技を放つ。

 最悪にもほどがある。こちらを害するほどの威力はまだないものの、こちらの手を見せれば見せるほど橋本は学習をする。

 おそらく既に俺の腕くらいは切れるはずだ。それを全力で防いでいる状態。

「シーズナル!」

『解析終了。彼女は何もしていません』

「なにもしていなくてこれかよ――」

『あるのは超特級の武術の才能です』

 病魔を与えなければ世界のバランスが崩れるほどに与えられた武術の才能が、死んだことにより肉体のくびきから解放されたことで開花していた。

「それじゃあ、これはどうでしょうか」

 言葉の直後、床へと押し込まれる。

「――ぐっ!」

 刹那、落下する。

 落下する。突撃を相殺した際の衝撃と下へと押し込む釖装の威力によって床が砕けた。

 上空へと投げ出される。

 足場を失われるが、シーズナルが風で足場を繰れる。

「まあ、飛べるのですね! うふふ、これならもっと早く甲野さんと戦っておけばよかったかしら」

「異世界に来ないとここまでできなかったよ!」

「あら、そうなのですか?」

 あろうことか同じく空中に投げ出された橋本は、吹きすさぶ雪を蹴って足場としていた。

 規格外の身体操作は物理法則に反逆する。

「というか、これどうやったら終わりなわけ」

「屈服させてくださいな。そうすればお通ししても良いと言われていますので」

「難しい気がする。じゃんけんで決めない?」

「うふふ、そんないけずなこと言わずに、付き合ってほしいわぁ」

 降り注ぐ剣戟雨をシーズナルの予測でかろうじて防ぐ。今まで戦った相手と比べて力はそこまでではない。少なくともギャラハッドよりは弱い。

 だが、技量はトップクラスだ。ありえないほどの正確さでもって硬いはずの刃が縦横無尽に翻る。

 剣閃に秘められた技巧はまさしく天上のそれだ。

「この強さ、それがおまえの特質なのか」

「いえ、全然。特質ってなぁに?」

「そこからかよ!」

 本当に特質も使わずにこれと言われたらこの世界ヤバすぎるだろ。

「そもそもなんで第三の試練なんてやってるんだ」

「ああ、そうでした。宣言しないといけないんでした。ありがとうございますね、甲野さん」

 ぞくり、と俺の背中を悪寒が全力で駆け抜けた。

「――では、改めまして、冥府へ至る第三の試練を開始させていただきましょう。ここは既に――斬撃姫の庭ですよぅ」

 嵐のような剣風が巻き起こった――。

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