第9話

 (どうしたの?)

 ルガーはリモの声に我に返った。

 「騎士のジョージ・ルガーとリモナーダ・ベルデ。殺人事件の捜査に参上しましたァ!!」

 一週間前に見た玉座の前の大きな一枚岩のテーブルと椅子に血が飛び散っていた。

 「よぉ、お疲れ!!リモちゃんにルガーの旦那ァ!!どうだ、ひでぇ有様だろ。血の海だ」

 玉座の男がルガーに負けないくらいの大声で応えた。

 「ザイログ王! すまねェ。借りた荷車は壊した」

 ルガーは胸を張って大声で言った。玉座の男は朝方、ルガーが荷車を借りた男ザイログだった。

 「なぁに旦那、弁償してくれりゃぁいい」

 「それが……持ち合わせがなくてな……」

 ルガーの声が小さくなった。

 「何でぇ? 懐の方が火の車かい? 来月までしか待てねェよ!」

 ザイログは笑う。ルガーはザイログの目から涙が流れているにに気付いた。

 「ザイログ……王……どうした?」

 「旦那。殺されたのはオレの女房と子供五人だ」

 ルガーは息を飲む。

 (何時です?)リモは聞く。

 「今朝だ。おいらが丁度港にいた頃だ」

 (第一発見者は?)

 「私です」

 赤ら顔が言った。先ほど、ザイログからオールドマンと呼ばれた男だ。リモはオールドマンの方を向く。

 「陛下は毎朝、港に出掛けられます。八時には城に戻られ、ここで大臣達と会議を行います。私は会議の準備のためここ玉座の間に八時三十分前に来ました。すると、この玉座の間で陛下のご家族が無惨なお姿で椅子に掛けておいでになるのに気付きました」

 (無惨とは?)

 オールドマンはザイログをチラリと見てから言った。

 「首をハネられていました。奥様と五人のお子様達がです!……ウッ……ウウウッ」オールドマンは泣き出した。

 「……ひでぇ」ルガーは俯く。

 「ひでぇ話だ」

 ザイログはまるで他人事のように言おうとした。だがそれは無理だった。ザイログの顔は崩れ、泣き声を殺して泣いていた。ザイログとオールドマンの鼻水をすする音と漏れ聞こえる嗚咽がしばらく続いた。

 「……クッ!……ズズズッ!……だが……だが末娘のコモだけは無事だった。オールドマン、こいつが見つけてくれた」

 ザイログは抑揚のおかしな声でオールドマンに向かって言った。

 「おまえが見つけてくれなければ……ウッ!……リズも殺されていただろうよ。ありがとな。ズズズ……」

 リモはザイログとオールドマンが泣き止むのを待ってから言った。

 (リズちゃんはお幾つですか?)

 「この間、一歳になったばかりだよ」ザイログが答える。

 (オールドマンさん、リズちゃんを見つけた時の状況を教えて頂けますか?)

 「はい。玉座の惨劇を発見した私はすぐに近衛兵を呼び。城や鉱山を探索させました。犯人を探すためです。そうしておいてから私自身は陛下の部屋へ急ぎました。お部屋に変わったところはありませんでした。早朝ということもあってとても静かでした。そんな静寂の中で赤子の泣き声が聞こえてきました。隣の寝室へ行くとリズ様がベッドの上で泣いてらっしゃるのを見つけたのです。急いで、抱き抱えました。幸い何処にもお怪我はありませんでしたわ」

 リモはルガーの顔を見た。

 ルガーと目が合う。

 ルガーはリモからオールドマンへ視線を動かす。

 そこにはオールドマンではなく、黒髪の女がいた。

 ルガーが駈ける。

 「だ……旦那……」

 ルガーは黒髪の女の顎に鋼鉄の拳をぴたりと付ける。

 鋼鉄の拳にカートリッジを装填する音が玉座の間にガチャリと響いた。

 「久しぶりね。ルガー君……だっけ? やっぱりあなたって手が早いわ」

 黒髪の女は笑いながら言った。

 「ベルリーネ!! こいつはエルフガルド海軍の大佐だ」ルガーが言った。

 「どういう事だ? 旦那! なんでオールドマンではなく女がそこにいる? ベルリーネ? エルフガルド? 何のことだ?!」

 「ザイログ、海軍ってのはエルフガルドの諜報機関のことだ。この女はそこの大佐だ。しかも仲間を皆殺しにした異常者だ。行きがかり上、オレが捕まえてエルフガルドの奴に引き渡した。こいつの名前はベルリーネ・ベルデ。何でここにいるのかオレにも分からねぇ!」

 「あら、非道い言われようね。それにでも今でも”大佐”よ」

 リモが走り出した。玉座の間を出て行く。

 「逃げることないじゃない・・・。姉が来たというのに」

 「おまえがリモの姉ちゃん?! リモの家族はトラス村で死んだんじゃねぇのか?」

 「私だって分かんないのかしら? ……えっ? 何か言った?」

 「聞いてねぇのかよ?! おまえがリモの姉なら何で生きてる? トラス村の奴らはリモ以外トクビル達に全員殺されたハズだ!」

 「フフフ、皆殺しにされたのはその王様の家族の方よ。 おっと!! その鉄の手で殴るのはやめてよ。それより気にならない? 私はオールドマン大臣じゃなかったわね……何時から? 私はいつからオールドマンだったのかしら? どう? 何だか気になってこない? こう胸の辺りがざわざわしてこない?」

 「何が!!」ルガーが叫ぶ。ベルリーネが微笑む。

 「もう一度言うわよ。私はオールドマンじゃない。じゃあ、何時から? 私は何時からオールドマンだったのかしら?」

 ルガーは顔中から汗がにじみ出るのを感じた。

 ザイログが玉座を立った。

 無言のままベルリーネとルガーに歩み寄る。

 「ザイログ……王?」

 ルガーがザイログに呼びかける。が応じない。ザイログはベルリーネの腰から吊り下げられた剣を抜くと、ベルリーネの背後に回る。ザイログはベルリーネの背中に剣を突きつけて叫んだ。

 「リズは何処だ?!」

 ベルリーネの口の端がつり上がった。  

 「言え!! くそったれ!! リズは何処だ?! 殺したのか!! 言え! 言え! 言え! 言えぇぇ!!」

 ザイログは泣きながら喚いた。

 ベルリーネは岩のテーブルの方向を指差す。

 テーブルの上には何か四角いものが乗っていた。

 「陛下へ。献上品ですわ」

 ザイログは剣を捨てると、テーブルの上の物に飛びついた。

 それは三十センチ四方程度の大きさの木箱だった。

 ザイログは木箱を開けようと苦戦する。手が震えて木箱の蓋を取れない。途中、涙を拭くため手で目をこする。手をどけるとザイログの顔に黒い汚れが付着していた。

 それを見てルガーは胸が詰まるような感覚に捕らわれた。だが木箱を開けようと苦戦するザイログを呆然と見ていることしかできなかった。

 ルガーは思った。

 ベルリーネは何処から木箱を取り出したのだろう? ルガーは気付く。

 「ザイログ!! 見るな!!」

 やっとのことでザイログは木箱を開けた。

 ベルリーネが笑う。

 ザイログは木箱の中を見つめたまま動かなくなった。

 「どうかしら? 陛下への献上品。お気に召しましたかしら?」

 「首……? リ……リズ?」

 ザイログが木箱から顔を上げると、泣いてるような笑っているような不思議な表情だった。

 ザイログは小さな声で「やべぇ」と連呼しながら木箱をテーブルの上にそっと置いた。ルガーは箱の中に赤子の首が入っているのが見えた。

 「……やべぇ。やべぇ。やべぇ。やべぇ。やべぇぞ。リズが死んじまった。違う! 殺されちまったんだ。カミさんに何て言う? 違う! カミも死んじまったんだ。違う! カミさんは死んだんじゃねぇ! 殺されたんだ! 違う!! カミさんだけじゃねぇ! ノッテも! ホーヤスも! シルも! カメリも! ザーネも! みんな殺されちまったんだ! もう会えねぇ! 何をどうやってももう会えねぇんだ! そうだ……もう会えねぇんだ……会えねぇ。やべぇ、やべぇな……」

 ザイログは床に落とした剣を拾い上げる。

 それを見てルガーが叫ぶ。

 「ザイログ!! 止めろ!! おまえが見たのは現実じゃねぇ可能性がある! こいつは幻覚魔法を使う! 人に幻を見せるん……ンガァ!」

 ベルリーネがルガーの口に自分の拳を突っ込んだ。

 「さすがに口は鍛えてないみたいね。ええと……この義手が厄介だったわね。どうするんだっけ? あっ! そうそう、思い出したわ」

 ベルリーネは片手で小さなナイフを取り出すとルガーの義手の排莢口に差し込んだ。

 「これでよしッと。得意のパンチを打つと暴発するわよ」

 ベルリーネの言う通り、差し込まれたナイフがカートリッジの動きを止めており、暴発の危険性があった。これでは鋼鉄の拳を打てない。

 ルガーはもがくしかなかった。だがその分ベルリーネは腕をぐいぐいとルガーの喉の奥へと突っ込んでいく。呼吸ができない上に吐き気が襲う。苦しくて力が出ない。

 ベルリーネはザイログの方を見る。

 「さあ、王様! どうする! 自分の家族が皆殺しにされて!! どうすンのよ!! 赤ん坊まで殺されて! どうすンのよ!!!!」

 ザイログは剣を構えたままベルリーネにフラフラと近づく。

 ザイログが剣を振りかぶる。

 ベルリーネが笑う。

 ザイログの振り下ろした剣がベルリーネの首に触れる――直前で剣は止まった

 女の声が聞こえた。

 ザイログはその声をとても懐かしい思いで聞いた。今朝も聞いたばかりだというのに。

 「あんたァ! 何やってンの! 」

 ザイログは声のする方に目をやる。

 玉座の間の入り口に一人の中年女性が立っていた。

 ザイログの目が大きく開く。

 「カァちゃん! …………生きてやがった!!」

 ザイログの妻サボンだった。

 そうしている間にザイログの五人の子供達がサボンの後ろに現れた。

 「ホーヤス! カメリ! ザーネ! シル! ノッテ!」

 ザイログは剣を捨て、子供達に駆け寄って頬ずりする。そして顔を崩し声を上げて泣きはじめた。

 「……うッ。……リズはどこだ? リズは! リズも無事か?!」

 ザイログは顔を上げてサボンを見る。

 サボンは微笑んだ。

 (無事です。リズちゃんはここに居ます)

 リモの声が聞こえた。廊下の暗がりからリモが現れた。胸に赤子を抱いている。

 「リズ!!!」

 ザイログはリモに駆け寄り赤子を受け取った。

 ザイログは涙を流して喜んだ。

 「ウッ・ウウウ。ありがとな、リモちゃん。でも何処にいたんだい?」

 (陛下はご自分の執務室に隠し部屋があることをご存じでしたか?)

 「いや、知らねェ。おいらの部屋に?」

 (ええ、机の下に隠し部屋へ続く階段があります。階段を降りると、執務室と全く同じような造りの隠し部屋があります。歴代王の間で密かに伝えられてきたのでしょう。ですが、陛下は選挙で選ばれた初の王です。ご存じないのも無理はありません」

 「で、そこにカァちゃん達がいたということかい?」

 (はい。特に拘束はされていませんでした)

 リモは赤子をサボンに渡すとサボンに言った。

 (これでザイログ王も安心なさいました。奥様たちは安全な場所へ移動してください)

 「分かったよ。リモちゃん。あんたって……ホント良い男だね。女の子みたいに優しくて……男の子みたいに勇気があって……。それにとびきりの美人だしね。わたしゃあんたのファンだよ」

 「カァちゃん! いいから、リモちゃんの言う通り、とっとと安全な場所へ引っ込みな! すぐそこにゃ危険な奴がいるんだ!」

 サボンは「引っ込みな? あんた、後で覚えときなよ」ザイログに悪態をつきながら、子供達を連れて玉座の間から消えた。

 リモは玉座の間に入ってくるなり(ティロ!)と呪文を詠唱した。

 腰に付けていたロープが生き物のように動き出す。ロープは独りベルリーネを目指し宙を疾走する。

 リモもロープを追うように走り出す。

 リモの人間離れした俊足はすぐにロープを追い越し、リモをベルリーネの直ぐ後ろに運んだ。ロープはベルリーネの直前で方向を変え、何処かへ飛んで行った。

 「あと少しでザイログが私を殺すところだったのに!」

 ベルリーネは鋼鉄の拳に差し込んだナイフを抜き取るとリモに向かって投げた。

 リモは床をスライディングしてナイフを避ける。そのままベルリーネの股下を抜け、ルガーの股下も抜けていく。

 リモはルガーの後方で立ち上がるやいなやルガーの背中に強烈なドロップキックを見舞う。

 ルガーはベルリーネを巻き込んで地面に倒れこむ。

 ルガーは倒れたままベルリーネの顔に鋼鉄の拳を付ける。

 「オヴェェ……気持ちわりぃ」

 ルガーはベルリーネの顔におう吐する。

 「わりぃ……だがオレ達の勝ちだ」

 (ルガー! そっちじゃない! )

 リモが玉座を指差す。

 誰も座っていない玉座にリモのロープが巻き付いていた。

 (ティロ・ガンチョ!)

 リモがそう言うと、ロープは玉座をぎりぎりと縛り上げていく。

 ルガーはそれを見ると走り出す。玉座の前のテーブルに飛び乗り、そのままテーブルの上を走り抜けて、玉座に飛び掛かった。

 「オイ! リモ! こいつでいいんだよな?」

 ルガーは鋼鉄の拳を構えながら聞く。

 (らしくないね)

 「この椅子高そうだしな」

 そして鋼鉄の拳を玉座の背もたれにぴたりと付けた。

 ガチッ!

 鋼鉄の拳を放つ。

 ズガーーーーンッ!

 玉座が瓦解して飛び散る。

 飛び散った大き目の破片がルガーの顔面を強打した。

 玉座のがれきの中にロープで縛られたベルリーネがいた。

――「分かったわ……私の負けよ……」

 ザイログは叫ぶ。「何でぇ? 何が起こった?」

 ザイログはベルリーネに近づく。途中、床に倒れているオールドマンを見つけた。

 「……オールドマン? どういうことでぇ?」 

 「……どうしました? 私……何かしましたか? ん? 何だか酸っぱい匂いが……」オールドマンは訳も分からず恐縮している。顔はルガーのおう吐物で汚れている。

 「うわぁ、とりあえず顔を洗ってきた方がいいな」

 ザイログはベルリーネの方へ歩く。ルガーがベルリーネを立たせた。

 「狙いは何でぇ? どうしてこんな事をする? 冗談じゃすまねぇぞ!」

 ザイログがすごむ。

 ベルリーネはその顔に唾を吐く。

 「臭いから近づかないでくださる? この平民出の田舎王!」

 ザイログは黙って唾を手で拭く。

 「それに冗談じゃすまないと仰ったわね? ならどうなさるの? オイッ!! どうすんのさ!! って聞いてんだろッ!!」

 ザイログはうんざりした表情でリモの方を向く。

 「何だこれは? 分かるかい?」

 (挑発です。彼女の、いいえ、エルフガルドの目的はマレクとの開戦ですから)

 「開戦? うちと戦争しようってのか? そりゃあ、昔っからエルフガルドがマレクを欲しがってるのは誰でも知ってる。だが戦争する理由がねぇ」

 (もし陛下がエルフガルドの使者を殺したらどうなります?)

 「……そういうことかい。分かったよ。勿論、使者を殺せば宣戦布告も同じだ。戦争になる。しかもオイラが――家族を殺されたという勘違いが原因だとつけ込まれる。言い訳しようがねぇ。だが……オレが殺そうとしていたのは大臣のオールドマンだった。エルフガルドの使者ですらねぇじゃねぇか。ひでぇ話だ」

 (ルガーの話から推測するに、彼女――ベルリーネはエルフガルドで死刑判決を受けているはずです。つまり使者としてマレクで殺される事こそが目的だったはずです)

 「大体合ってるわ。さすがはリモ。私の弟だけあるわ。いや妹かしら?」

 リモは黙ったまま何も応えない。

 「あら? またお姉さまを無視するの? まぁいいわ。それにしても”マレクでザイログ王に殺される”ってのは、すっごく良い死刑方法だって思わない? だってマレクに宣戦布告できるし、私は火あぶりを回避できるし。そうそう火あぶりは最高に苦しいのよ。良いアィディアだってガルド総統にも誉めて頂いたのよ」

 リモが大きな目をさらに大きく開いた。

 (ガルド? カール・ガルドのこと?)

 「やっと口をきいてくれたわね。嬉しいわ」

 (カール・ガルドが総統に?)

 「他に適任がいて? ガルド総統の人気は凄いのよ。もはや熱狂的といえるわ。この計画わね。私の死刑が執行される直前に、視察にいらしていた総統と直接交渉して引き出したのよ。大したものでしょう? まぁもっとも、そこの平民王に本当に殺されるつもりは微塵もなかったけど――ウグッ!!」

 ルガーがベルリーネの顔に鋼鉄の拳が押しつけた。

 「ザイログはうちの王様だ。敬意を払え」

 リモがザイログの方を向く。

 (陛下、軍事力の差はあまりに大きく、開戦すればエルフガルドによるマレクへの一方的な侵略となります)

 「戦争にはならねぇよ、リモちゃんだって知ってるだろ? エルフガルドがどこから攻めて来るって言うんだい? マレクの後ろは人が踏み入れねぇ高けぇお山だ、前は海だが、エルフガルドにゃ港はねぇ。どうしたって戦争にはならねぇよ」

 玉座の破片がカタカタ音を立てた。

 「何でい?」

 (揺れてる。床が揺れています)

 しばらくしてからズゥウンという低い地鳴りのような音が伝わってきた。

 ベルリーネが笑い出した。

 リモは玉座の間を飛び出す。

 ルガーはリモの後を追う。

 リモとルガーは玉座の間から鉱山を抜けて城の中へ入る。城の階段を駆け上がり、ドアを開け、空中庭園に転がるように到着する。崩れかけの空中庭園の端にリモが乗り出す。ルガーも真似る。

 ルガーは海を見て驚愕した。

 そこには見渡す限り大船団がいた。海を埋め尽くさんばかりだった。

 (艦砲射撃だ)

 リモがそう言うと、船団の一つから白い煙が上がるのが見えた。

 ドーーーーーン!!!!!!

 大きな炸裂音が耳をつんざいた。 

 やがて空中庭園のあちこちから軋むような音が聞こえた。崩れかけのブロックがいくつか落下していく。

 地面がぐわんと揺れた。

 「うわっと!!」

 ルガーはブロックと共に落下しそうになった。すんでのところで右手で空中庭園の地面の端を掴んで宙にぶら下がる。足下を見ると遙か下に海が見えた。

 「ひゅー」と言ってルガーが顔を上げると、前方でリモが同じような格好で片手だけで宙にぶら下がっていた。

 「リモ、おまえも落ちたのかよ。にしてもありゃあ何だ?」

 (エルフガルドだよ)

 「エルフガルド!? 奴ら船なんて持ってたのか? 港もねぇのに?」

 (勿論持ってないよ。あれは白い遺跡の中にあったドワーフの船だよ)

 「うまい事考えやがったな」

 (オストラス山から海へ出るルートを確保したんだ)

 「遺跡をそこらじゅう爆破してたからな。ドラゴンもいねぇしやりたい放題だ」そう言うとルガーは空中庭園に這い上がった。

 リモもロープを使って空中庭園の上に這い上がっていた。

 そこへザイログがオールドマンや他の大臣達を引き連れて到着した。

 「旦那! リモちゃん!」

 (陛下! ベルリーネは?)

 「大丈夫だ。牢に閉じ込めてある。にしてもあの船団はどこの国だい? エウロペかクラリアか? 大砲を乗っけてやがるが……」

 (エルフガルドです。マストが見えますか?)

 ザイログはオールドマンから望遠鏡を渡され覗いた。

 「ぶっちがいのテッポウユリの旗印! エルフガルドの紋章だ。……どういうことだ?」

 ((マレク国民よ))

 「何だ?! 今の声! 聞こえたか?」ルガーはリモの顔を見る。

 (聞こえた。エルフガルドの船から誰かがテレフォノで語りかけたんだ)

 「マレク全体にか? そんな事可能なのか?」

 (何らかの方法でテレフォノを”拡声”してるんだと思うよ)

 ((マレク国民よ。私はエルフガルドの軍人パーシバルだ。テレフォノという魔法で諸君らの頭に直接語り掛けている。気味悪く思われたなら詫びよう。我々は我が国の総統、カール・ガルドの言葉を諸君らに伝えるためにやって来た))

 「やっぱ、これ……エルフガルドの船かぁ……イヤんなるね」ザイログがため息をつく。

 ((”私はエルフガルドの総統兼宰相のカール・ガルドである”))

 先ほどパーシバルと名乗った男とは別の落ち着いた男の声が聞こえてきた。

 「リモ、この声、ガルドとやらか?」

 (そうだと思う。どうやってかシネフィルに録音した声をテレフォノで流しているらしい)

 ((”三百年前……この地に一人の男がいた。男はこの地を治めるエルフガルドの地方役人だった。男の謀略でこの地は母なるエルフガルドから独立した。その役人の名は今ではマグラ・ド・マレクール一世として知られている。つまり諸君らの言う”マレクの建国王”である。元々マレクと我がエルフガルドは血を分けた兄妹であり、諸君らマレク国民には優秀なエルフの血が流れているのだ”))

 ルガーはリモ見る。

 リモは黙って頷いた。

 ((”エウロペの列強諸国は、低俗な人間どもの国であるにも関わらす世界を割譲する生来の権利があると主張し始めた。そして実際にフランデルはリラを植民地とし、ポンドールはドール半島を手中に収めた。世界が人間共の手に落ちれば、奴らはそこら中を泥と汚物で満たし、互いの欺瞞と憎しみに満ちた馬鹿げた世界を作り出すであろう”))

 ルガーは一理あるかもなと思った。

 ((”エルフガルド国民と総統兼宰相として、私は今こそ歴史の前に宣言する。我が兄妹マレクをエルフガルドに併合すると! 新しき同胞マレク国民よ。立ち上がれ、嵐よ、巻き起これ! 我らに栄光あれ!))

 しばらく静寂が訪れた。

 ((”パーシバルだ。ガルド総統の言葉は以上である。マレク国王よ、総統に従いエルフガルドに併合されるか否かを、三日後の正午までに我が船に伝えよ。赤いマストが目印である”))

 パーシバルの言葉が終わらないうちにリモが言った。

 (陛下、併合を選んではいけません!)

 「何でだい? リモちゃん」

 (ガルドは危険な思想の持主です)

 「『この世にはびこる臆病との闘争の十年』だな」

 (はい……)

 「何だそりゃ?」ルガーが聞く。

 「旦那、ガルドが書いた本の題名だよ。まぁ内容は何てぇか……奴の自伝なんだが。問題は ”世界の秩序は優秀なエルフにより保たれなければならない” っていう考えだ。始めからお終いまで何度も出てくる」

 (十九回繰り返されます)

 「数えたのか……」

 (そうだよ。ガルドは非常に危険な男なんだ。偏執狂だよ)リモがため息をつく。ルガーは「おまえもな」と言おうとして止めた。

 「オールドマン。会議だ! ここにいない大臣も呼び出せ!」ザイログが叫ぶ。

 (陛下! 併合を受け入れてはいけません! エルフガルドに併合された場合、”最悪の想定”もあり得ます)

 全員がリモに注目した。

 「”最悪の想定”って何だい?」ザイログが穏やかに聞く。

 (マレク人を全員殺し、王都にエルフを入植させることです)

 遠くでウミネコの鳴き声が聞こえた。

 「馬鹿馬鹿しい。いくら何でも、そこまでやる理由は無い!」大臣達の中から声が上がった。声の主は立派な口ひげを蓄えた鋭い目つきの初老の男だった。背はやけに小さかった。

 「まぁ待て。トリトス公。リモちゃんはあくまで想定の話をしただけだぜ」

 「陛下! 何度言ったら分かるんです。私の名はトリスタンです!」

 「悪りィ。悪りィ。トリスタン公。だが最悪を想定するのは世渡りの常だろ? リモちゃんは正しいぜ」

 「陛下はその者に全幅の信頼を置いておられるようですな。ですがトクビルのせいで我が国の財政状態は酷いものです。今後金の採掘が見込めない以上、経済規模の大きいエルフガルドに併合される事は一顧の価値があるのではないですかな。それにガルドはマレクを兄妹国のように言っておりました。最初から可能性を排除して、議論を尽くさないのは政治家の常ではありません」

 (トリスタン公。エルフは人間との混血が進んだマレク人をエルフとは見なしません!)

 「それは事実か? それとも貴様の意見か? どっちだ?」

 (事実です。私はエルフです)

 「聞いておる。リモナーダとやら。貴様は四英雄に虐殺されたエルフガルドの村の出だそうだな。さぞ祖国を恨んでおるだろうな」

 (それとは関係ありません!)

 「大ありだ!! 虐殺事件はエルフガルドのスパイだったトクビルの謀略だった。貴様は自らの祖国エルフガルドを恨んでおるのじゃろう。マレクにエルフガルドと戦争させたいのじゃろう! 私情からたわけた事を抜かすとあらば、ワシが家宝の斧で頭を叩き割るぞ!」

 ルガーがトリスタンの頭を掴んだ。トリスタンの背が低く、胸倉を掴むのが難しいため頭を掴んでしまった。

 「おい! 勝手な想像でモノ言ってんじゃねぇ! トクビルに好き勝手やらせてマレクをボロボロにしたのはお前ら大臣共だろうが!」

 「人の頭を掴むな!! そもそも、エルフガルドがオストラス山からの侵攻ルートを開いたのはおまえらのせいではないか!」

 リモは(僕に任せて)と言いながらルガーがスリスタンを掴んでいた手をどける。

 (エルフは他の種族を差別する性向が昔から強くありました。ですが、これはどの種族にもあると思います。他種族より優位であると思い込むことで自らの自尊心を保とうとする、心のメカニズムです」

 「えらく達観しているな。ワシは個人的には、エルフはその長命、容姿、魔法の才能ゆえ人間より優れていると思い至っても不思議ではないと思うがな。特に野蛮なイエン人よりはマシじゃ」

 そう言われてルガーはトリスタンを睨んだ。

 (ではトリスタン公はエルフとドワーフのどちらが優れているとお思いですか?)

 「わしがドワーフの血を引いていると見ての質問か? フン! ドワーフに決まっておる! と言いたい所じゃが、どちらが優れているかはそいつ次第じゃ! 一般論では片づけられん!」

 (お見事! 先程おっしゃったエルフの寿命、容姿、生まれ持っての才能はどれもが先天的な資質です。後天的な努力、機知、勇気には比べるべくもありません。どちらの種族が優れているかという質問自体が愚門なのです)

 「そうじゃ。誰が役に立つか立たないかは、あくまでそいつ次第の資質であって種族は関係ない!」

  (はい。意気投合しましたね。マレクでは誰でもそう考えます。かつてはエルフガルドでもそのように考える人が多かったのです。ですが…ガルドが人々を、人々の考え方を変えてしまったのです)

 「洗脳か何かか?」トリスタンの声が大きくなった。

 (いいえ、洗脳などではありません。皆進んでガルドの考えを受け入れたのです。そこが恐ろしい点です)

 皆、リモの話に聞き入った。

 (ガルドは総統になる前、地方議会の代議士だった時代に、エルフが先天的に他の種族より優れているという主張の本を出版しました)

 「先ほど陛下が仰った『闘争の十年』とかいう本だな」

 (はい、勿論多くの良識ある知識人からは相手にされませんでした。ですがこの本……正式な題名は『この世にはびこる臆病との闘争の十年』は多くの国民に熱狂的に受け入れられたのです。国民的大ベストセラーと言って良いほどに)

 「何がそんなにウケたんじゃ?」

 (エルフの心の奥底にある暗い自尊心を刺激したんだと思います。”金髪碧眼の美しい容姿、三百年を超える寿命、魔法の才に富むエルフは神に最も近い存在である。みじめな北方の地エルフガルドに押し込められていて良い存在ではない。世界の秩序は優秀なエルフにより構築され、そして永遠に保たれなければならない” とね)

 「くだらん選民思想じゃな」

 (そうです。自尊心の膨張と選民思想に皆酔ったのです。ガルドが政敵を牢獄に入れ、良識ある国民やエルフ以外の種族を弾圧し始めるのに、わずか五年しか掛かりませんでした。国民がそれを許したのです。やがてエルフガルドでは国中でマレク侵攻の機運が盛り上がります。マレクは元々エルフガルドの領土であったという思いが強いのです。小さい頃から親や教師からそう聞かされ育ってきましたからね)

 「なるほど。マレクの奪還――あえてそう言わせてもらうが――はエルフガルドの総意になっているのじゃな」

 (はい。マレクから見れば身勝手で危険な考えです。ですがマレクはエウロペ侵攻への拠点確保の第一歩でしか無いと思います。 なにしろ ”世界の秩序は優秀なエルフにより保たれなければならない” のですから……)

 誰もが黙った。

 沈黙を破ったのはザイログだった。

 「みんな! とっとと玉座の間に移れ! 議論を尽くそうじゃねえか。併合を受け入れるのか否か。期限は明日の正午だ。議論で宵越したぁたまにはいいモンじゃねいか」

 ザイログはリモに目をやる。

 「リモちゃんにも議論に参加してもらいてぇんだが……」

 ザイログの言葉を耳にするなりトリスタンは憤慨した。

 「陛下! 御前会議は王と大臣、騎士団団長、それにアビオン教の司祭しか出席できない決まりです。この者はどれでもありません。参加はなりません!」

 「うーん。そうだな、そこは”とんち”の見せ所よ。なぁ! リモちゃん!」

 (えっ?! 僕ですか? )

 「当然! マレクを好いてくれてんだろう?」

 (ええ……勿論。うーん、そうですね……新しい大臣を作って、その大臣に僕を任命して頂くというのはどうでしょうか?)

 「いいね。なんて大臣だい?」

 (……国防大臣なんていいかがでしょう?)

 「決まりだ。リモちゃんを国防大臣に任命する! これなら文句あるまい、トリストス公?」

 「トリスタンです! そっちの方が言いにくいでしょうに! もう勝手になさってください! ワシは先に玉座の間に入っとります!」

 ザイログと大臣達は空中庭園から城の中へ戻っていった。

 空中庭園は急に静かになった。「そう怒るな、トリトン公」というザイログの声が最後に聞き取れた。。

 空中庭園にはルガーとリモが残された。

 「さっきの話は本当なのか?」

 (どの点?)

 「マレク人を皆殺しするって話さ」

 (うけあうよ。今のエルフガルドはまともじゃない。マレクの金欲しさに自国の村を犠牲にするような国になり果てた)

 「ならどうする? 併合を受け入れるのはあり得ねぇ。だがあの大艦隊と戦争しようにもマレクの大砲は数十問がいいところ。戦になりゃしねぇ」

 (そうだね。状況は厳しい。見て)

 リモは自分の手を広げて見せた。

 リモの指先は震えていた。

 「怖いのか?」

 (怖いさ。でもここが踏ん張りどころなんだ。良いアイディアの一つも出せないようなら国防大臣失格だよ)

 リモが笑った。

 リモの顔に夕日があたった。ルガーはその美しさに神々しさすら感じた。

 やがてリモが城に入っていくと空中庭園にはルガー一人が残された。

 夕日とは反対方向の東の空が、紫色からより暗色に変わっていくのをルガーはずっと見ていた。

 「夜ってのは東から来るもんなんだな……」

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